彼女の領地ができてから既に数日が経過していた。
この数日で彼女は雨除けの為に丸太で領地の中に家を造ってみた。
ログハウスというような上等なものではなく、塀を作ったときの要領で塀の中に囲いを造り、丸太を囲いに引っ掛けるようにして上に乗せ、その丸太の上に葉っぱを敷き詰めた簡素なものだ。
「私、私、私私私私」
一人称を連呼する彼女。
もうどうしようもないのでこの姿で生きていこう、と彼女はわりとあっさりと決意している。
なってから、既に女言葉になっていたにも関わらず、言葉遣いを改めるべく、一人称の練習からしていた。
「あーう。疲れた。私疲れた」
開始後5分でもう面倒くさくなった彼女はおもむろに本を開く。
魔族入門ではなく、魔法入門だ。
読み進めて彼女が気づいたことだが、この本、ハードカバーだが、見た目の厚さはそれほど分厚くはない。
分厚くはないのだが、開いてみると明らかに見た目よりもページ数が多い。
魔法が使われているのだろう、と彼女は見当がついたのだが、さすがに最後のページが10万とか100万とかの大台になっていると読む気も無くなる。
時間はたっぷりあるからたっぷり勉強しろ、と送った連中が無言で告げているのかもしれない。
ともあれ、彼女としても暇だから、という理由で読み進めているのだ。
「これ、全部読んで内容完全に理解したらこの著者達と同じレベルに達したって思っていいよね……?」
魔族入門や魔王になる為の10の実践などのハウツー本はともかくとして、その他ものについては彼女がそう思っても仕方がなかった。
「ああ、実践もしないと……めんどくさい」
めんどくさい、と言いつつも彼女が知る現代文明の娯楽……ゲームなり何なりができるのは今から1万年以上先の話。
「自分で派閥でもつくって、人間社会を裏側から支配しようかなぁ」
悪っぽくていいかな、と彼女は思う。
そのとき、彼女は閃いた。
「一人だから退屈。ならば、使い魔でも作ればいい。きっとそういう方法も載っている筈」
思わずほくそ笑む。
やる気は十分、あとはやるだけだった。
「ふっふっふ、ふが3つ……私が真祖……いや、神祖になるのだぁああああ!」
拳を振り上げ、思いっきり叫ぶ彼女。
一応、この世界で一番初めに誕生した吸血鬼は彼女なので間違ってはいない。
吸血鬼の神様という意味で。
「神祖とは……そう、真祖よりも格上で唯一の存在……!」
いい感じに妄想が迸っているらしい彼女。
とにもかくにも、まずは力をつけなければ駄目なのは言うまでもない。
「そうだ、これから起こることを年表にしておこう……って、そういえば何か便箋まだ読んでないのがあった」
ふと気づき、年表を後回しにして残りの便箋を取り出した。
『麻袋やワンピースなどだが、見た目こそ普通だが、様々な処理を施してある。
強度は抜群、破れても汚れても元通りになる。有効に使ってくれたまえ。
ノートや筆記用具に関しても実質的に無限に使用できる。こちらも破れても汚れても元通りになる。
アシュタロス』
「恐怖公とか呼ばれているわりには意外と親切だなぁ」
そんなことを言いつつ、彼女はワンピースを手にとってみる。
見た目も触感も単なる布だ。
しかし、アシュタロスが嘘をつくとも思えない。
来たときから着ていたスウェットは川で洗っている為にそこまで汚れてはいないが、ところどころ穴が開いている。
女の格好をするのは今まで踏ん切りがつかなかったが、ことここに至っては仕方がない。
「……そういえばこっちきてから抜いてないな」
女の快楽も男の快楽も両方できる……これはすごいことでわ!?
一部思考が暴走を始めたのか、そんなことを考えてしまう彼女。
とりあえずスウェットを脱ぎ川で体を清め、下着を身につけてみた。
「……なんか暖かいというか程よい感じ」
温度を一定に保つ機能でもあるのだろうか、と思いつつワンピースを着てみた。
下着もワンピースも、サイズがぴったりなところが彼女を渋い顔にさせた。
「……しかし、いい加減小魚も木の実もキノコも飽きた」
彼女の言葉と同時にお腹も鳴る。
こっちに来てから、彼女が食したものは小魚と食べれそうな木の実、キノコのみ。
もっとも、そもそも彼女は吸血鬼によく似た魔族であるからして、食べなくても問題はない。
彼女が感じる空腹感はあくまで人間であったときの名残であり、徐々にそれすらも感じなくなっていき、最終的には食事は嗜好に成り下がる。
しかし、それは本人には分からないこと。
故に彼女は吸血鬼の怪力でもって摩擦で無理矢理火を起こし、一応焼いて食べている。
試しに魚の血を飲んでみたが、何だか微妙な味しかしなかったので、あまり飲んではいない。
幸いにも、毒性のあるものを食べても彼女には痛くも痒くもないので見た目やばそうなもの以外は手当たり次第に食している。
しかし、彼女としては動物性タンパク質……早い話が肉が食べたかった。
「お腹ぐーぐーにゃ。ぐーぐーですにゃ。ダンゴムシ食べるにゃ……ダンゴムシいないですにゃあ」
食べたい余りに頭がおかしくなったのか、妙なことを口走る彼女。
そのときだった。
彼女は鼻をひくつかせ、とある匂いを感知する。
とろけるような、とてもいい匂い。
それは吸血鬼の主食、血の匂い。
魚の血より微妙ということはない、と彼女のカンが告げていた。
「血を流すものは動物……ユクゾッ」
足に力を込め、塀を乗り越え、着地するなり疾風の如き速さで彼女は森の中を駆ける。
森を超え、数日前にいた草原に出た。
血の匂いは徐々に強くなる。
帰り道など知ったことか、と彼女はさらに加速する。
草花は彼女の巻き起こす風圧に強制的に跪かされていく。
やがて彼女は目的のものを見つけた。
「さすがにこれはない」
思わず彼女も引いた。
見知らぬ長身の男が草原の真ん中で鉄板で焼肉を焼いていた。
紫色の髪が特徴的だ。
どうやら血の匂いは山と積まれた血の滴る肉類が出所らしい。
呆然としていた彼女に彼は気がつくと親しげに手を上げ、口を開いた。
「やぁ、初めまして。私はアシュタロスだ。諸事情により君に勉強を教えにきた」
彼女は間の抜けた顔で生返事を返した。
なんで地獄の恐怖公がこんなところに、いやいや、そもそもなんでこんな親しげなんだ……などなど様々な疑問が思い浮かぶがとりあえず彼女は深呼吸をして、告げた。
「肉! 肉を寄越せ!」
「……相当飢えていたんだな」
思わずほろりときてしまうアシュタロスであった。
「そうだろうと思って用意した。存分に食べたまえ」
彼が鉄板を指させばそこには数々の魅惑のお肉達がいい具合に焼けていた。
カルビ、ロース、タンなどなど……
「ご、ごはん! 白米!」
「用意してある」
彼が指を鳴らせばどこからともなくテーブルと椅子、その上にはお皿に山盛りのごはんが現れた。
彼女はもう躊躇しなかった。
それから彼女の食事はおよそ1時間続き、その間、アシュタロスはひたすら肉を焼き続けた。
ようやくその食事が終わった後、彼女は食後に静岡茶を飲みつつ尋ねた。
「何故?」
ただ一言。
それだけで彼には十分理解できた。
「1000年程、私が君の家庭教師を人界で……ああ、いわゆる地球でやることになったのだ」
「キーやんとかサッちゃんは?」
「2柱とも承認済みだから問題はない」
「どう呼称すれば?」
「好きなように呼んでくれたまえ」
「了解……で、とりあえず私としては……」
「君の望みについては知っているとも。君については寝ているときやトイレのとき以外は私が監視していたのだから」
ハッとして彼女は冷や汗混じりに尋ねた。
「私が2柱に仕返しすることは?」
「問題ないだろう。こちらにも色々とあってな。ちょうどいいガス抜きになる」
小競り合いからハルマゲドンに、というパターンにはなりえないとアシュタロスは判断する。
小耳に挟んだ話によれば、どうせなら適当に理由つけて神魔の過激派同士をぶつけ合わせて対消滅させよう、とサッちゃんが言っている、と彼は告げた。
「何だか色々と大変ね」
「まあ、君には関係ないことだ。君は好きなように動いてくれればいい。それが世界を滅亡から救う」
「一応、私って悪魔なんだけど……」
「君は慣れるだろう。何、問題ないさ」
そんなもんか、と彼女は納得する。
彼の言葉には自身の存在に対する悲しみが僅かに含まれていたのだが、彼女は気づけなかった。
「で、使い魔の件だが、とりあえず何かを素体として使い魔を作るよりもまずは自分の魔力と血のみを使った使い魔を作ったほうがいい」
「何故?」
「簡単な話だ。素体を使って使い魔を作るよりも、自身の魔力と血で作る方がどちらかといえば簡単だからな。ああ、すぐにできるようにするから問題ない」
頼もしいが、とてもスパルタな予感がした。
あんまりひどいことは勘弁して欲しい彼女だ。
「さて、食事も終わり、一通りの説明もした。1000年は人間の基準で考えれば途方も無い時間だが、君にとっても私にとっても、瞬きする時間に等しい。時間を加速させる空間を用いるとはいえ、それでも足りない」
「……つまり?」
「つまり、大前提となるべき魔力。それを手っ取り早く得てもらおうと思う」
「そんなことできるの?」
「できるとも。君は自分が何かを忘れたのかね?」
吸血鬼ってそんなことできたっけ、と首を傾げる彼女。
「簡単な話だ。血液とは魂の通貨。それを吸い、相手の知識その他諸々を己のものにできるのが吸血鬼。ましてや、君はあの2柱に、そしてこの私により魂を変質させ、そうなったのだ。それでできない道理があるのかね?」
彼女は絶句した。
どうやら自分が思っていた以上に神と悪魔に弄ばれているらしい、と。
しかし同時に疑問も出てくる。
何故、そこまで自分に肩入れするのか?
悪魔として暴れてこい、というだけならそんなことをしないで適当に力を与えてくれればいいのに、と。
彼らのやり方は非常に回りくどく彼女には感じられた。
まるでわざわざ自分がより強い存在に、それこそ魔神や魔王になることを望んでいるかのように。
「さて、どうして自分にそこまで肩入れするのか、と君は思っていることだろう」
「当然でしょ。何でそんな回りくどいことをするの? どうしてわざわざ私を強くさせようとするの?」
「将来的に魔王になってもらう為だ。私は少々この位置が嫌なのでね。適当に暴れた後、引退させてもらう」
彼の言葉に彼女はポカンとした顔を披露する。
「そのことについては既にサッちゃんに伝えてある。新たな後継者が出れば私の引退は黙認するとのことだ」
「……私があなたの後継者に?」
目をパチクリとさせて彼女は問いかける。
「そういうことだ。頑張ってくれたまえ」
なんともまあ、えらい出世だ、と彼女は内心嬉しいような悲しいような複雑な気分であった。
「さて、早速血を飲んでもらおう。予め瓶に入れてある……ああ、勿論、最初は少量だ。許容量を極大にしてあるとはいえ、いきなりは壊れる可能性があるからな」
何だかわくわくとしているような感じのアシュタロスに彼女は苦笑するしかなかった。
「アシュのヤツ、ばらしてもうたか」
「まあ、許容範囲でしょう」
何処とも知れぬ空間にてサッちゃんとキーやんは彼女達のやりとりを見ていた。
その彼女は今、アシュタロスの血液を少量飲み、苦しみのあまりのたうち回っている。
「……にしても、えろう苦しんどるな。死ぬんやないか?」
「まあ、普通の動物の血しか吸っていなかったところに、いきなり魔神の血ですから当然ですよ。馴染んだらワインと同じように気軽に飲めるでしょう」
「そか。彼女が死ぬとまた新しい引っ掻き回し役兼アシュの後継者を探さんとあかんから、頑張って欲しいもんや」
「ですね。しかし、彼女も随分と吹っ切れてきました。サッちゃん、彼女の性欲に干渉してもう少し高めるというか、体質を淫魔的にはできませんか?」
「……何や、神様がそういうこと言うてええんか?」
「いいんですよ。清濁を併せ呑んでこそ良き指導者ですから」
「……できんことはない。せやかて、どうしてや?」
「彼女、こっちに来てから性欲発散させてないですし、彼女自身の願いにも女の子集めたいって言ってましたから、ささやかなプレゼントですよ」
「すまん、わいにはキーやんを止められん……あとで何かわいからも送っておくわ……」
将来的に彼女に殴られても到底文句は言えない2柱だった。