コラボ(久住氏 ネギま!の世界に行ってきて)

 その日、アシュレイは魔法界はグラニクスにいた。
 自由都市の名の通り、殺しも頻繁に起こる無法な場所であったが、アシュレイを殺せるような輩は世界広しといえど彼女の知り合い以外は存在しない。

 ここグラニクスの自由な気風はアシュレイも気に入っており、魔法界に来た際は必ずこの都市に立ち寄る。
 彼女は娼館や路上で女漁りというもはやアイデンティティーと化したことをやりつつ、闘技場で下々の争いを鼻で笑いつつも見学したり、路上での賭け試合に乱入し、戦っている当事者をぶちのめして賭けを台無しにしていた。

 まあ、そんな風に自由な――年中どこでもどんなときでも自由に過ごしているのだが――アシュレイは今日は大通りを散歩していた。

 行き交う人々の顔は無法地帯であるにも関わらずに明るく、昼間だというのに娼婦達が客取りをしているのも見えた。

 つい、ふらふらっと手近な娼婦に足を運んでしまうアシュレイであったが、そうは問屋がおろさなかった。

 彼女の行く先を阻むように数人の子供達が手に果物を持って走ってきた。
 
「どけどけ!」

 そんな声を発している。
 その彼らを追うように包丁持ったおっさんがやってくる。

「泥棒だぁああ!」

 グラニクスは自由過ぎて自己防衛しなければ生きていけないのである。

 アシュレイは慈善の心なんぞ持ちあわせてはいない。
 故に飢えた子供の為に逃げるのを手伝ってやろう、とも思わなければ、とりあえず捕まえて後でご飯を奢るなどということもしない。

 そんなわけで彼女は走ってきた子供達、その一番先頭の男の子を思いっきり蹴り飛ばした。

 その一撃で男の子は肉片と化した。
 後続の子供達にその欠片が付着し、次々と足を止める。


 アシュレイは彼らににっこりと笑った。

「偶には子供の悲鳴を聞くのもいいものよね」


 そして始まった惨殺劇。
 追いかけていた店主も通行人達も呆然とする中、アシュレイはあっという間に子供達を肉片へと変えてしまった。

「……んー、やっぱりちょっと加減が難しいわね」

 あんまり悲鳴を上げさせることができなかったアシュレイはそう言いつつも、呆然としている店主へと近づき、懐から金のインゴットを一本取り出し、手渡した。

「これ、商品を台無しにしちゃったから」

 そう言い、アシュレイは手をひらひらさせてその場を後にした。






「子供であっても容赦無し。相変わらずだな」

 宿に戻ったアシュレイは何故か自分の部屋にいたソイツに思いっきり不機嫌となった。

「何であなたがここにいるのよ? ウリエル」

 その問いかけにウリエルもまた忌々しげに顔を歪め、答える。

「こちらだって好きでお前に会いに来たわけじゃない。というより、私が来た一件はお前のせいだぞ?」
「品行方正、健康優良、清く正しく美しいこの私が何か問題を起こすわけがないじゃない」
「厚顔無恥という言葉を知らないようだな」




 それから10分程、悪口の応酬が続いた後、ウリエルは本題を切り出した。


「まあ、早い話、お前のことが嫌いで憎くて堪らない若い神族連中がハルマゲドン起こそうとした」
「ふーん……それで?」
「規模自体は小さかったから問題なくこちらで鎮圧したんだが、その残党が異世界に逃げてな」

 そこまでウリエルが言った時点でアシュレイは読めた。

「つまり、足取りがハッキリしないから、私に捜索して討伐してこいとそういうわけね?」
「お前が色々やり過ぎた結果、そうなったんだ。それと大雑把な行き先は分かっている」

 アシュレイのやったことは挙げればきりがない。
 脅威論が出てもおかしくも何ともなかった。
 ひとえに、過激なことが実行に移されないのはキーやんらの働きも勿論あるが、単純にアシュレイの恐ろしさにある。
 これまでしてきたことは確かに脅威論が飛び出てもおかしくはないが、それと同時に表立っては静かにしているのだから放置した方が良い、という慎重論が出るのもおかしくはない。

 特に神界の過激派最大手である帝釈天一派がアシュレイに敗れ、またその力を認めている為に大抵の過激な若い連中は何もできないのだ。

 もっとも、ちょっかいを掛けたら掛けたでそうした相手を全力で完膚なきまでに叩き潰すのがアシュレイであるので、結局のところ手を出さないことが正解なのである。

「まあ、そういうわけだ。確かにこっちの不始末ではあるが、元を辿ればお前が原因。暇しているんだろうから、やってこい」
「えー、めんどくさい」

 予想通りに渋るアシュレイにウリエルは彼女を動かす情報を開示する。

「その逃れた神族は128名、うち女性型が54名」
「この私に任せなさい。神魔友好、デタントの為に一肌脱いであげよう」

 心にもないことを告げるアシュレイにウリエルは呆れ返る。
 コレがあの恐怖公の実態だと知ったら、若い連中も一気にやる気を無くすに違いない。

「逃げた場所はこちらと似てはいるが、神族やら何やらが全く異なる異世界だ。向こうの神族や魔族にバレても問題はないが、くれぐれも騒動は起こすなよ?」
「分かってるわよ。向こうから手を出してこない限りは何にもしないわ……というか、地味に多いわね」
「もともとは1000名以上の連中がいたんだ。これでも減らした方なんだぞ?」
「100名以上も逃がすなんて不甲斐ない……そう思えるわ」
「……まあ、騒動は起こすな」

 正論であるのでウリエルは無理矢理話を打ち切った。

 わかってるわよ、と言いにこにこと笑みを浮かべるアシュレイにウリエルは恐ろしく不安になる……というわけでもなかった。
 何故ならば、今回の目的は逃げた過激派の処理。
 何だかんだで頭が良いアシュレイは行った先の世界システムに逆らってまで、無茶なことはしないということは容易に想像がついた。

「ああ、ところで報酬だけど」
「逃げた連中の処遇は任せる……というのでは当然駄目なんだろうな」
「わかってるじゃないの。だから、竜の涙でいいわ」
「ちょっと待て! アレは数百年に10本しか作られないんだぞ!?」
「あら、この私を動かすんだから当然の報酬よ」

 神界でも名酒と名高い竜の涙。
 日本円にして販売価格1本3億4000万円。
 とはいえ、実際には貴重品であることからオークションが開かれ、最低価格がその販売価格である。
 アシュレイも数百年に一度開かれるそのオークションで1本27億円とかいうふざけた額で落札している。 
 ちなみに平均落札価格は25億円前後。
 他の主神や魔王も勿論参加しており、そういった連中はだいたい金持ちであった。

「何もあなたが払うわけじゃないでしょ? キーやんに相談すれば何とかしてくれるわよ」
「ああ、そうだな……」

 だからアシュタロスに任せるのはイヤなんだ、とウリエルは内心呟いたが、表には当然出さない。
 アシュタロスに決めたのはキーやんだけではなく、ヤッさんやサッちゃん、ブッちゃんも絡んでいる。

 その世界にアシュレイとよく似た者がいる――そうウリエルは聞いていた。


「さて、データ頂戴。ちょっと行ってくるから」


 アシュレイはウリエルから必要な座標データなどを受け取り、早速転移したのだった。











「……うーん」

 彼女は悩んでいた。
 魔法世界各地では最近、大規模な地震が起きたり、あるいは巨大なクレーターが一夜にしてできていたり、と摩訶不思議なことがここ1ヶ月で127回発生していた。

 現地に白月の旅団員で構成された調査隊を送り込んでも、そこには何もない。
 誰かが何かをやったなら必ず痕跡なり何なりが残る筈だが、それすらもない。
 かといって地震はともかく、クレーターは単純な自然現象として処理するのは難しい。

 また、人里離れた村や街などでは住民が丸ごと消えるという不可解な事件も起こっている。
 こちらも同じように調査隊を送ってみたが、やはり犯人の手がかりは何も発見できなかった。
 唯一残っていたのは直前までそこに住民達がいたであろう痕跡のみ。

 魔物などに襲われたならば死体なり何なりが残っているものだが、そもそも抵抗すらした後すらない。
 
 一連の事件はUFOがやってきてこちらの調査をしていると言った方がしっくりくるような状況だった。

 彼女、霧河・アリスティナ・桜とて、さすがにリアルタイムで世界の全てを把握することなどできはしない。
 かつて、そう、あの歪みとの戦いの前ならば最高神の力によりアカシックレコードにアクセスし、未来を垣間見ることもできたのだが、それももはやない。

 あるのは世界とのリンクによって得ることができる力だ。



 UFOなのかなぁ、と考えた時に唐突に桜の脳裏にあることが浮かんだ。
 もし、万が一。

 別の世界から自分に匹敵するか、自分よりも上の存在がこちらへ干渉しているのだとしたら?

「まさか、ね。いくら何でもそんなことは……」

 そのとき、カタカタカタと執務机の上に置いてあったティーカップが揺れだした。
 同時に部屋全体が揺れだした。

 地震だと思うよりも早く、彼女は無意識的に机の下に避難していた。


 転生していようがいまいが、こういうところは日本人であった。
 よく訓練された日本人は地震がきたら無意識で避難行動を取ってしまうのである。


「って、こんなことしてる場合じゃない!」

 地震の発生源へ向かえば原因が分かる――直感的にそう感じた彼女はすぐさま窓から飛び出した。



 空は雲一つ無い快晴。
 ただし、街では被害が出ているようだ。
 元々地震対策などつい最近まで無かった魔法世界。
 急遽、日本から色々取り寄せて避難訓練や耐震補強工事をしているとはいえ、付け焼刃であった。

 怯えてる住民達に桜は空を飛びながら手を振ることで安心であるとアピールしつつ、世界とリンクし、自身が持つ索敵能力をフル稼働させる。


「……何、アレ……」

 見えた。
 見えてしまった。


 幾何学的な紋様の結界。
 色々と魔法を創ったりしている桜であるが、あんな紋様で創る結界は見たことも聞いたこともなかった。

 そのとき、彼女の脳裏に綺麗なソプラノ声が響いた。

『聞こえる!?』

 その声は今は神界のリーダーとして頑張っているフレイヤの声だった。

『フレイヤさん!? 今、何か妙なものを見つけたんですけど!』
『こっちでも確認しているわ……いい、桜。絶対に手を出しては駄目よ? あそこで戦っているのはこっちとは別世界の存在、魔力総量から考えると魔王クラスが来ているの』

 魔王と言われ、桜は管理局のあの人が頭に浮かんできたが、すぐにその想像を打ち消す。

『詳しいことはわからないけど、最近そっちで起こっている事件はその魔王が関連していると思うわ……痕跡を一切残さずに大規模破壊を起こせるのはそれくらいの存在しかいない』
『……事情聴取とかしちゃ駄目?』
『絶対駄目。見なかったことにしておきなさい。どんだけ凶悪なのが来ているかわかったもんじゃないわ』

 フレイヤはそう言うと、神界の若いのを抑えてくる、と念話を切ってしまった。
 向こうも向こうで大変なようだ。

 桜はとりあえず様子を見守ろう、と思いゆっくりと結界へと近づき……中で戦っている者を見てしまった。

 一方は片腕がない、小さな女の子だった。
 その子は血まみれになりながらも、腕を復元させ、恐ろしい程魔力の込もった――正確に言うならば神霊力――収束砲撃を放つ。

 その砲撃の行方を目で追いつつ、桜はその女の子が戦っている相手を見てしまった。

 瞬間、彼女は総毛立った。
 体は震え、ガチガチと歯が鳴る。
 それは彼女が久しく、感じたことのない感情だった。


 桜が見たものは見るもの全てを魅了するかのような、妖艶な雰囲気を持った少女だった。
 しかし、それだけならば桜はそうはならない。
 そのような感情に囚われたりはしない。

 そう、恐怖になど囚われたりはしないのだ。



 少女は目の前に迫った敵である女の子の砲撃を何もせずにそのまま受けた。
 防御も回避も、ましてやカウンターなどもまったく考慮せずに。

 あ、と桜は思わず声を漏らした。
 女の子が放った一撃は桜であってもそれなりに力を入れて防御なり回避なりをしないと危険なものであった。
 それで消えてくれ――桜は半ば無意識的にそう思った。

 やがて砲撃の光が収まり、そこにあったのは変わらずに立っている少女。
 少女の周囲の地面は抉れているが、少女の体どころか衣服にすら傷一つついていない。


 逃げて――!

 桜は喉が潰れても構わない、という程の大きな声で叫んだ。
 その瞬間、女の子の体が真っ二つとなった。

 桜は頭の中がぐちゃぐちゃだった。
 凄惨な光景というのはそれなりに慣れているとはいえ、こういう風に一方的虐殺が行われている光景を彼女は見たことがない。

 呆然と桜がしている中で少女は転移魔法と思しきものを使い、相手の女の子の死体をどこかへと転移させた。



「見たわね?」

 ぞくりと背筋に悪寒が走った。
 つい数秒前まであった結界は既に無く、そこにいた筈の少女もいない。
 そして、背後から聞こえた声。

 否が応でも、桜はぐちゃぐちゃであった頭が急速に整理され、冷えていくのを感じた。

「何故、あんな風に殺したの?」

 色々な事情があるというのは分かる。
 だが、それでもやり方はあった筈だ。

 至極真っ当な桜の考えはしかし――

「私が楽しみたかったから。弱い輩を圧倒的な力で踏み潰し、その絶望する様を観賞するのは最高でしょう」

 悪魔である彼女に通じる筈がない。

「オーケー、わかった。あんたは私の敵だ!」

 彼女は世界とリンクする。
 膨大な魔力と気を一瞬で纏い、さらにそれを合成。

 気と魔力の合一……咸卦法。
 相反するものを混ぜあわせ、桜はより強大な力を得ることができる。

 振り向き様に放った裏拳。
 それは柔らかな感触に受け止められた。

「……むにゅ?」

 ベキとかバキ、そういう音や殴った感触を期待していた桜は全くの正反対の感触に思わず背後を振り返った。
 少女の顔が飛び込んできた。
 一瞬、見蕩れそうになるが、それよりもまず桜は自分の手がどこにあるのかに気がついた。

 少女の胸。
 そこにバッチリと食い込んでいた。

「……誘ってるのね」

 普通なら嫌がるところだが、少女は何故か嬉しそうな顔。

「え、いや、あの……すいません?」

 何故か謝罪しつつも、手をどける桜。
 
 ていうか、自分結構な力で殴った筈なのになんで?

 そんな疑問が彼女に浮かんできた。
 普通なら木っ端微塵に砕け散ったりしても良いレベルの威力であったのだが、目の前の少女は平然としている。
 どころか、胸で受け止められてしまった。

「何てことはないわよ」

 少女はその疑問を見透かしたように笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

「あなたの攻撃、その時間を限りなく長く引き伸ばさせてもらったわ」
「……え?」

 当然ながら、無限に時間が掛かるならばどんな攻撃も当たらない。
 少女は程良く調整して胸にちょこっと当たる程度にまで威力を弱めたということだ。
 

 時間操作は桜もできるが、彼女であっても瞬時に使うことはできず、多少の時間は必要とする。

 しかし、目の前の少女はあのコンマ数秒未満の時間を一瞬で引き伸ばしたという。
 にっこりと少女が笑った。

「悪いけど、私とあなたじゃ経験魔力勢力夜のテクニックその他諸々で私の方が上なの。確かに世界とのリンクシステムは厄介だけど、所詮はリンク。その繋がりを切ってしまえばどうということはないわ」

 あっさりと桜の力の根源を言い当て、挙句の果てにどうということはないと言い切った。

「どう、して……?」

 もはや桜は何が何だかわからなかった。
 何でそのことを知っているのか、一体目の前の少女は誰なのか。

 その意味が込められた問いに少女は不敵な笑みを浮かべ、告げた。

「伊達に数百年も世界システムの観測はしてないわ。世界の流れとか加護とかそういうのについては私は敏感でね。で、私の名前はアシュタロスよ」

 桜に寒気が襲ったが、それも一瞬のこと。

「あ、アシュタロスぅ!?」

 桜が転生する前から知っていたその名前。
 マンガやゲームでもちょこちょこと出てくる地獄の大公爵。

 オーディンとかと比べたらマイナーであるが、それでもその知名度は中々のもの。

「ま、あなたがどんな輩だろうが、ネームバリューでも私の方が上よ」
「確かに」

 桜は思わず肯定してしまった。
 彼女はオーディンを倒しているとはいえ、彼女自身の名前が一般によく知られているかというとそうではない。
 無論、魔法世界では有名人だが、地球では圧倒的にオーディンの方が知名度が上である。

「で、そのアシュタロスがウチの世界に何の用?」

 敵認定したとはいえ、わざわざ話し合いができる雰囲気で戦闘を仕掛ける程に桜はバカではない。

「ウチの世界でハルマゲドン起こそうとしてた若い神族連中の処理」

 飛び出してきたとんでもない単語に桜は目を丸くした。
 もっとこう、アシュタロスの個人的な理由だと予想していたからだ。

「随分とすんごいことが起こってるのね、そっちの世界」

 おそらく、と桜は予想する。
 一罰百戒の意味も込めてアシュタロスはあれほどに残酷な殺し方をしたのだろう、と。

 ハルマゲドンといえば善と悪の最終戦争。
 そんなものが起こったら人類どころか世界が危ない。

「あと、さっき戦ってたあの子。見た目は幼いけど、あれでも3000年は存在してるからね」
「何ですと!」

 どう見ても子供にしか見えなかった女の子が、実は自分よりも遥かに長生きしている年上ということに驚愕する桜。
 ロリババアとかいうレベルではなかった。
 もはやロリ化石であった。
 そういった意味ではアシュタロスも大変な年月を過ごしているのだが……それはまあいいだろう。

「神魔族にとって表面的な姿形は幾らでも変えられる。あなたも神族の端くれならそのくらいは知っておきなさい」
「あ、はい……って、どうして私がそうだと!? 正確には神族のような人間なんだけども!」
「神族の匂いっていうか、そういう気配みたいなのが若干出てるのよ」

 もうこの人、ホントなんでもアリなんじゃないのか……

 そんなことを桜は思った。
 自分も人外の域にあるが、目の前の輩はより人外で超越者っぽい、そう思ったのだ。

「で、あなたの名前は?」
「霧河・アリスティナ・桜です。桜って呼んでください」
「そう、じゃあティナと呼ぶわ。私はアシュレイでいいから」
「桜」
「ティナね」
「桜」
「ティナ」
「桜」
「ティナ」
「桜」


 それから延々と2時間程、桜とティナで言い合いが続いたが、とりあえず空の上で話すよりは、と白月の旅団の本部へとアシュタロス――アシュレイを案内する桜であった。








 そして、やってきた旅団本部。
 昨今の地震などの対策の為にほとんどフルメンバーが詰めていたのだが、そこに桜がアシュタロスなんていうとんでもない輩を連れてきた為に目も当てられない状況となった。
 
 ただそこにいるだけであらゆるものを恐怖させてしまうアシュレイ。
 彼女は遺憾なくその存在感を発揮し、桜の補佐官であるルーナをはじめ、隊長も副隊長も平隊員も例外なく、恐慌に陥り、アシュレイ目掛けて魔法が飛び交った。

 慌てて桜がそれらの魔法を防ごうとしたが、アシュレイが手をかざしただけでそれらの魔法は全て雲散霧消してしまった。

 そして、アシュレイは全員に状態異常を回復する魔法を掛け、ようやく一息ついたところであった。



「……今でも信じられませんですが、本当に、あなたはアシュタロスなのですね?」

 綾瀬夕映は厳しい表情でそう尋ねた。

 ここは大会議室。
 とりあえず隊長達と話し合いを、という桜の提案で隊長達全員が――念の為にフェイトとアスナは外で待機させている為に正確にはフェイト以外の――集まっていた。

「本当よ。まあ、私としては何で神族が人間界に手を出しているのか、詳しく追求したいのだけど……」

 そう言い、シアラへと興味深げな視線を向けるアシュレイ。
 その視線に背筋に冷や汗が流れるのを感じながらも、シアラは答えた。

「こちらでも色々とありまして……歪みの鎮圧の為に……」
「その歪みとやらは既に討伐されていると先ほど聞いたわ。大きな力を持った者が人間界に留まるのは世界のバランスの観点から極めて問題がある」

 自分のことは棚に上げて、いけしゃあしゃあとそう言うアシュレイ。

「まさか、人間に入れ込んでいるとかそういうことはないでしょうね? 神族が人間に干渉なんて。人間に干渉していいのは我々魔族だけよ。堕落した人間が一定数達した後、浄化の為に神族が降臨する……それが相互利益」
「それはそちらの世界の話ではないのですか?」

 夕映の問いにアシュレイは頷きつつも、告げる。

「とはいえ、人間への過剰な干渉は干渉されていない人間の不満を募らせ、結果として人類の寿命を早めることになる。あなた方はNGOみたいなことをしているけど、魔法世界全体をカバーしているとは到底言い難い」

 痛いところを突かれ、夕映は押し黙った。

「全部は無理でも、少しでも困っている人を助けるっていうのは駄目なんですか?」

 大河内アキラの問いにアシュレイはうんうんと頷く。

「ソレがよくある話じゃない。九を救う為に一を捨てるっていうね」

 アキラはハッとし、沈黙してしまう。

「じゃあ、あなたが我々の立場であったならどうにかできるんですか?」

 千雨の挑戦的な問いにアシュレイは不敵に笑う。

「できるわ。ただし、人類がこの世から消えるけどね」

 本末転倒なんじゃ、と居並ぶ面々は思ったが、すぐにその意見が正しいことに気づいてしまった。
 極論であるが、人類が消えれば確かにそういった問題は消えるのだ。
 紛争も起こらない、妬みや憎しみが生まれることもない。
 格差が生じることもない。

「悪いけど、私って死こそが安息であると考えるから、もし苦しいならさっさと死ねばいいんじゃないかしら。生きるってことは力が無ければ極めて辛いことよ。特に現代社会じゃ、命を維持するのにも金が掛かる……」

 ああ失礼、とアシュレイは嘲りの笑みを浮かべ、言った。

「あなた方は力がある方々だから、そんな苦労はしたことがないだろうけどね。日々の生活費、毎月の公共料金の支払い、医療費その他諸々……」
「それは……!」

 口を閉じていた桜が声を荒らげた。

「働いて稼げばいい? 職は選ばなければ仕事がある? ソレはそういうことをしたことがない輩の戯言……第一、何故あなた方は地球を捨ててここにきた? その暴力をより生かす為にこちらに来たのではないのかね?」
「私は、私達はこの世界が好きだから……!」

 桜の言葉をアシュレイは一笑に付した。

「もし本当に好きなら、地球とこの世界の橋渡し役になるべきじゃないのかしらね? 国連に掛けあって、人道的支援を引き出す……ああ、あなた方はこの居心地が良い世界を他国に踏み荒らされたくないからそうしないのかしらね? 少なくとも、あなた方が単独でやるよりも余程多くの人命が助かるんじゃなくて?」

 アシュレイの言葉に夕映が口をゆっくりと開いた。

「他国はこちらを経済的植民地にしようとするでしょう。魔法を使った兵器も作られるでしょうし、亜人などはそもそも人類と認められない可能性すらあります」
「その通り。先進国は常にフロンティアを探している。資本主義は常に大規模な市場が無ければやっていけないからね。ましてや、亜人? そんなものは珍しい動物として高値で取引されるでしょう」

 ある程度緩和されたとはいえ、地球ではまだまだ人種差別が酷い地域が多い。
 そこに亜人なんてものが入ってくればどうなるかは想像に容易い。

「あなたならどうしますか?」

 夕映は問いかけた。
 その言葉にアシュレイは試すように告げる。

「それはどういう思考から導きだされた質問かしら?」
「あなたの世界では魔族が人類に干渉しても問題がないのでしょうが、あなたは妙にコチラ側の事情に詳しすぎます。シアラさん、経済的植民地や資本主義の概念などは分かりますか?」
「え、あ、えーっと……」

 汗を流して頭をかくシアラ。
 その反応で十分だった。

「下級とはいえ、神族であるシアラさんでもこの反応です。ましてや、日々の生活費や公共料金の支払い、職業選択の自由の概念なんぞ分かるわけもありません」

 その上で問います、と夕映は告げ、まっすぐにアシュレイの紅い瞳を見据えた。

「あなたは人間からそうなったのではないですか? そして、今、あなたは人類社会を動かせるような立場にある」

 まさか、と夕映以外の誰もが皆、アシュレイへと視線を集中させた。

 そして、アシュレイは嘲笑から一転、柔和な笑みを浮かべ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「私は1300年代に日本で夕吉という者に色々教えたことがある。その者の家系は学者として、やがて綾瀬という姓を名乗り始めた」

 そう言い、アシュレイは居並ぶ面々を順に視線を向け、やがて夕映で固定した。

「世界は違うとはいえ、さすがね。頭の回転はそっちにいる桜よりも上じゃないかしら」

 その一言に桜はずーん、と落ち込むが、すぐに立ち直り、問いかけた。

「もしかして、今までのってこっちを試してたの?」
「いえ、全部本音」

 アシュレイの言葉に夕映が口を開く。

「アシュタロス、アスタロトをギリシア語にすればディアボロス、中傷者を意味します。ですので、この悪口は素であって、悪気は多分無いと思いますです」
「そういうことよ、ティナちゃん?」
「だから桜だって! っていうか、何でそんなことを……皆仲良くやればいいじゃないの」
「お手々繋いで仲良く、ね。悪いけど、それだけはできないわ。私の存在意義からして。私は常に悪でなければならないのよ。光の引き立て役のね」
「そんなこと誰が決めたのよ? 勝手に思い込んでいるだけじゃないの?」

 桜は咎めるような口調で問い掛けた。
 そんな彼女に対し、アシュレイは試すように告げた。
 
「ハルマゲドンで私は女神から完全に悪魔に堕ち、善と悪の緩やかで永遠の対立の為に常に負け続ける悪でなければならなくなった……とでも言えば満足かね?」

 え、と桜は呆気に取られた。

「ハルマゲドンが起きたんですか? そっちの世界では」

 シアラが緊張した面持ちで問いかけた。

「そうよ。数千年程前にね。神族の先制攻撃で私が守護していた街が住民ごと焼かれて」
「ちょっと待ってください。どういうことですか? あなたは元々悪魔ではなかったので?」

 千雨がコメカミを抑えつつ、問いかけた。
 その問いにアシュレイは頷く。

「ある日、暇つぶしに人間に干渉してね。色々教えたら、いつの間にか女神イシュタルとして祀られてた。そして、焼かれた街の名前はソドムとゴモラ」

 桜達は頭を抱えたくなった。
 話のスケールがあまりにも大きすぎる。

 確かに桜をはじめここにいる面々は神族ではあるが、シアラを除けばそのメンタリティは人間のままだ。
 早い話、まだ慣れていなかった。
 桜達はまだ過ごした年月は過去に遡ったときも含めても20数年程度。
 数百年とか数千年とか、善と悪の対立とかそういうことは想像の外であった。

 対するシアラはそこらへんは慣れていた。
 故に彼女は問いかける。

「確かに世界の維持の為にはそうする必要があります。ですが、個人が仲良くする程度ならば問題はないのでは?」
「ええ、そうね。事実、私の婚約者も神族のフレイヤだし」

 その単語に今度はシアラも固まった。
 立場的には彼女の上司にあたる人物であり、今は神界のリーダー的存在。
 世界が違うとはいえ、そのフレイヤと目の前のアシュタロスが婚約関係にあるなど……どこの誰が想像できようか。

「一応、聞くけど……マジなの?」

 いち早く我に返った桜は信じられない顔で問いかけた。

「マジよ。フレイヤったら、神界で男の天使とかといっぱい浮気して、夫に愛想つかされて離婚されたんですって」

 うわー、という顔になる一同。
 この世界のフレイヤではないとはいえ、知っている人物がそういうことをしていたとなるとさすがの桜達もドン引きであった。

「まあ、そういうところがいいじゃないの。フレイヤったら金髪碧眼白い肌で巨乳のお嬢様で、私の好みなのよ」

 ぐへへ、と怪しい笑みを浮かべるアシュレイにより桜達は引いた。

「あ、それと私は愛人が3000万以上いるから。そこんとこよろしく」

 3人とか30人とかではなく、3000万である。
 桜も嫁が3人もいるとかいう、普通では考えられない状態であるが、彼女はまだ自分達が普通であったことを認識した。

「いや、それはおかしいだろう? っていうか、もう1つの国家じゃねぇのか?」

 余りの乖離に千雨はもはや敬語など忘れて問いかけた。

「私の部下の数は最新の統計では1億を突破しているんだけども」
「アシュタロスは40の軍団を従える地獄の大公爵です。それくらいは当然でしょう」

 夕映はさらりと言った。
 元々知識欲の塊のような彼女である。
 悪魔関連のことを知っていてもおかしくも何ともない。
 ある意味、一番彼女が興奮していた。
 何しろ、あのアシュタロスが目の前にいるのだ。
 色々と質問したいことは山ほどある。

「もうお開きにしましょう……とりあえず、アシュタロス様はこっちが何かしなければ何もしないんですよね?」

 シアラは疲れた表情でそう問いかけた。

「勿論よ。幾ら私でも余所の世界を滅ぼしてやろうとか支配してやろうとかそういうことはちょっとだけ思っていたりいなかったりするけど」

 もう誰もツッコミを入れなかった。


 桜達はこの会談でアシュレイに関わると常識が次元の彼方に吹っ飛んで精神的に大ダメージを受けることを学んだのだった。








 桜は歓迎会からいつの間にか消えていたアシュレイを探し、近くの草原へとやってきていた。
 アシュレイの性格はある意味、桜に似ており、わりとすぐに旅団のメンバーとは打ち解けていた。
 とはいえ、その旅団の上位陣はほとんど女である。
 故にアシュレイが口説きまくり、そこを桜が懸命に阻止するという光景が繰り広げられていたのだが……アシュレイもいつでも来れる世界ではないと自覚しているらしく、本気で口説いてはいなかった。

 アシュレイは座って、満月を眺めていた。
 彼女を見つけた桜は思わず息を飲んだ。

 幻想的な月の光に照らされ、神聖さ漂う彼女はまさに女神と呼ぶに相応しい。
 桜は声を掛けるのを躊躇った。

 果たして、自分が声を掛けていいものか……そう感じたのだ。


 そんな彼女の葛藤を知ってか知らずか、アシュレイはゆっくりと口を開いた。

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の、欠けたることもなしと思へば」

 どっかで聞いたような――

 桜がそう思った直後、アシュレイが口を開いた。

「藤原道長よ。この世で私の思い通りにならぬものはない、とね」

 なるほど、と頷くと同時にアシュレイから犯しがたい神聖さが消えていた。

「あなたには決定的に足りないものがある。それは教養よ。力だけの脳筋馬鹿になりたくないのなら、しっかりと勉強しなさい」
「うぅ……そう言われると……」

 改めてそういった方面でツッコまれると桜としても返す言葉がない。
 これは明確な忠告だろう。
 桜は確かに魔法に関してはよく知っているが、それ以外のことに関してはほとんど知らない。
 前世も含めて40に届くかどうかという程度であるのだから、それも仕方がないのかもしれないが。

「まあ、座りなさい」
「はい……」

 しずしずと桜はアシュレイの横に腰を下ろした。

「……あなたは幸せなのね」

 唐突な言葉。
 桜は生返事しか返せない。
 どうにも彼女はアシュレイが苦手であった。

 まるでこちらのことを全部見透かされているような、そういう錯覚に囚われる。

「ある日突然、人間であった私はサタンとキリストによって世界の破滅を防ぐ為に吸血鬼で淫魔で魔族にされ、石器時代に送られた。それで色々あって今の私がいる」

 えらく色々端折られたが、桜は自分と似た境遇であることに思わずアシュレイを見つめてしまう。

「あなたのところにはエヴァンジェリン・マクダウェルはいるかしら?」
「いるけど……」
「そう。ウチにもいるわ。父と弟を殺して、実母を嫁にしているの」

 何やってんだ、と桜は口から出かかったが、何とか堪えた。
 もはやアシュレイの世界については考えるだけ無駄である。

「千雨はあんまり変わらないわ。こちらもそちらも」
「千雨も知ってるの?」
「ええ、私の弟子みたいなものだもの……あなたも千雨を弟子にしているのね」
「うん。知っていると思うけど、彼女は認識阻害とかそういうのが効かない」
「それで麻帆良でイジメられていたから、私が連れ去ったわ。悪魔にして、いじめていた連中をこの世から消させてあげたの」

 一々物騒なアシュレイに桜はもう気にすることをやめた。
 そうしないと身が持たない。

「ともあれ、あなたは幸せね。誰からも嫌われることなく、普通に永遠を生きられるでしょう。神様の力を持った人間みたいなものっていう分類だろうけど」
「あなたは幸せではないの?」

 桜の問いにさて、どうかしらとアシュレイは言い、更に言葉を続ける。

「私の思い通りにならないものはない。誰も彼もが私の手のひらの上」

 謎かけのような言葉に桜はうーん、と悩む。

「まあ、世界最強とかそういうのを人類は夢見るだろうし、あなたも夢見ただろうけど、なるもんじゃないわ。何でもかんでも思い通りにいってしまうから、極めてつまらない」

 桜は朧気ながらも、アシュレイが何を言いたいか理解できた。

「……何事も程々が一番ということ?」
「まあ、そういうことね。でも、私は力こそ正義だけど」
「どうしてあなたはそこに拘るの?」

 純粋な桜の疑問。
 程々が一番という言葉を肯定しておきながら、なぜそれを否定するのか。
 アシュレイは微笑んだ。

「力が無ければ何もできないからよ。私は孤高であるが故に強大な力、莫大な財宝、広大な領地を得たの」

 桜はその言葉で確信した。
 同時にアシュレイを可哀想に思ってしまった。
 安っぽい感情であるが、そう思わずにはいられない。

「あなたは強すぎるが故に気を許せる人がいないんだね……」
「そういうことよ。だけど、後悔はしていないわ。何よりも玉座とはそういうもの」
「でも、何か違うと思うよ。やっぱり寂しいんじゃ……」

 桜にアシュレイは不敵に笑う。

「寂しいとかそういうのも所詮は一時の感情に過ぎないわ。うまいものを食べて、美女を抱いて、ゆっくり寝る。それ以外に何が必要か?」
「友達よ」

 桜は躊躇なく言った。
 アシュレイはやれやれ、とこれ見よがしに溜息を吐いてみせた。

「友達というのは思い通りにならない、なってはいけない存在でしょう?」

 それで桜は先程のアシュレイの言葉が理解できた。
 ほとんど何でも思い通りになってしまうが故に、アシュレイには友達がいない、できない。

「私って、あなたが言ったみたいに脳筋馬鹿だから、そういうのは分からない」

 そう言いながら、桜はアシュレイの両肩を掴み、その紅い瞳を真っ直ぐに見据える。

「だけど、私は同情とかじゃなくて、心の底からあなたと友達になりたい。そう思った」

 桜の黒い瞳とアシュレイの紅い瞳が交差する――

「……駄目ね。私は今のあなたの言葉で257通りのあなたの打算的考えを予測したわ」

 それは実質的な拒絶の言葉。

「打算とか何も考えてないのに……」
「ま、縁がなかったってことでいいと思うわよ。私はきっと変わらないと思う」
「そんなことない! あなたにだって幸せになる権利はある筈よ!」

 悲鳴染みた声の桜にアシュレイはクスクスと笑う。

「魂の牢獄をご存知かしら?」

 問いに首を傾げる桜。
 その答えにアシュレイは簡単に説明した。
 神魔族のバランス、永遠に同じ存在として死んでも復活すること、強大な力を持つ者の代償。


 全てを聞き終え、桜は自分が思っていた以上に複雑であることに愕然とした。

「そんな、ものが……」
「そ。まあ、この世界はどうか分からないけど、あなたも今のうちに気に入った人間がいたなら不老不死にしておくことをお勧めするわ。私も多くの人間をそうしたもの」

 桜もアシュレイのようにジュース一杯飲ませるだけで不老不死にはできないが、それでも契約することで相手をそうすることはできる。
 
「でも、私はそれでも……」

 そう言い募る桜にアシュレイはやれやれ、と溜息を吐いた。

「私とお友達になって、どうするつもり? あなたがその気でも、私はその気ではない。何よりも、私は世界はともかくとしてそれ以外の誰にも縛られたくはない」

 桜はアシュレイの在り方に妙に納得してしまった。
 彼女自身も自由人のようであるが、その実、様々なものに縛られているといえる。
 彼女が好きでやっているとはいえ、白月の旅団がその最たるものだろう。

「まあ、そうね」

 そんな声がアシュレイから聞こえたと思ったら、桜の視界は反転していた。
 アシュレイの顔が目の前に。
 背中に当たる草の感触から押し倒された、と気づくのに時間はかからなかった。

「一夜の思い出という形でなら、なってあげてもいいわよ?」

 顔に掛かるアシュレイの吐息。
 その端正な顔を全て独占しているかのような錯覚に桜は囚われた。
 
「あ、それと私って両性具有だから」

 え、と桜が思ったときには既にアシュレイは行動に移していた。
 彼女は桜の白い首筋に口をつけ、ぴちゃぴちゃと音を立てて舐め始めていた。

 与えられる感触に僅かな喘ぎを漏らしながらも、桜は拒否することができなかった。
 こんな風にされるのって初めてだなー、とどこか遠い世界の出来事のように感じつつ。

「イヤって言わないのね」

 首筋から口を離し、アシュレイは桜の耳元で囁いた。

「……うん」

 そう答え、桜は両手をアシュレイの背中へと回し、ぎゅっと彼女の体に抱きつく。
 その体は程良く温かく、またその翼はもふもふとしていて触っていてとても心地良い。

「あなたは私。私の一つの可能性。きっと、私も今までのことがなかったら、あなたになっていたと思う」
「……少なくとも、あなたには数千万の部下を統率できるだけの力はなさそうね」
「そこでそんなこと言う!?」

 まさかの駄目出しに桜は声を上げるが、アシュレイはクスクスと笑う。

「教えてあげるわ。私を……ね?」








 翌日、アシュレイはつやつやと桜はげっそりとしていた。
 それだけで何があったか、一同は悟ったが誰も何も言わなかった。
 
 アシュタロス怒らせたら怖いもん、という共通見解である。


 遅めの朝食を本部の食堂で桜と2人きりで食べているとき、アシュレイはそういえばと切り出した。

「300人くらい食べたから」
「……え?」

 まさかの言葉に桜は唖然とした。
 どういう意味で、と彼女は問いかけようとしたが、それよりも早くアシュレイが告げる。

「だから、人里離れた村とかそういうところで300人くらい美味しくいただきました」
「えーっと……性的な意味で?」
「いや、牛肉とか豚肉を食べる意味で。ほら、私って吸血鬼でしょ?」

 白月の旅団としてはそういう危険な輩は退治しないといけない、いけないのだが……

「聞かなかったことにしておくから」
「直情だと思ってたけど、意外ね」
「まあ……本当は駄目なんだけどねぇ……」

 世の中綺麗事ばかりじゃないし、と桜は呟く。

「私に人間を食べるな、というのはあなた達にとって豚肉や牛肉を食べるな、というのと同じことよ。もしそう言いたいのなら、まずはベジタリアンになってから言うことね」

 ふふん、と得意げな顔でそう言うアシュレイ。

「人間だから、って特別視するとそう返されるのよねぇ……ホント、複雑……」

 あーうー、と机に突っ伏す桜。

「人間が食物連鎖の頂点に立っているとかそういう勘違いはしないことよ」
「何だか人間牧場でも作ってそうな勢いね……」
「作ってるに決まってるじゃない。魔王の嗜みよ」
「そーなんだ」
「そういうこと。人間も牛も豚も魚も皆同じ。命は重いとするならば全て平等に接すべしよ」
「あなたは絶対そう思ってないと思うんだけど」
「不老不死に死者蘇生、時間停止までできる私にとっては生死なんぞ意味のないものだもの」

 桜は溜息を吐いた。
 ここまで圧倒的な存在だと何だかもう一々人間食べるなとか抗議するのも馬鹿らしくなってくる。

「まあ、昨日は桜を美味しくいただけたから、そのお返しとして食べた分については蘇らせておくから」
「あー、うん、そうしといて」
「で、私、そろそろ帰るから」
「あー、うん……え?」

 呆気に取られた桜にアシュレイはにっこりと笑ってみせる。

「私の世界で私の女達が寂しく自らを慰めていると思うの」
「えっと……」

 桜はどう返していいか分からなかった。
 引き留めるとこっちの被害が甚大に、かといって引き留めないのも何だか寂しい……

 そんな桜の心情を見透かしたのか、アシュレイは微笑む。

「別にいいわよ。また来たくなったら勝手に来るし。私もあなたも時間は永遠でしょう?」

 桜はその言葉にこれまでのことを思い出す。
 色んな人達との出会いがあったが、その人達は100年後、200年後にはもういない。

 途端に桜は寂しさが込み上げ、同時に理解した。
 ああ、アシュレイもこんな気持ちを幾度も味わってきたのだろう、と。

「永遠の命の代価は永遠の寂寥よ。その寂しさは決して満たされることはない。まあ、私は同じような連中が大勢いるから楽しくやってるんだけども」

 桜はハッとした。
 アキラ、千雨、夕映の顔が同時に浮かんできた。
 桜の心は自然と満たされ、落ち着きを取り戻す。

 同時にもしかして、と彼女は思う。
 アシュレイは助言してくれたんじゃないだろうか、と。

 100年後、200年後も一緒にいてくれる存在。
 それをよりハッキリと彼女は認識させてくれた。


 問いかけるように桜はアシュレイを見つめた。
 彼女は微笑み、告げる。

「私、友達はいないけど好敵手は多いのよ。帝釈天とか色々と」

 なるほど、と頷きつつ、桜はアシュレイが昨日言っていたことを思い出す。
 愛人が3000万以上、婚約者にフレイヤ――

 友達いないとか言っておきながら、結構充実してるんじゃ……?

 桜はそう思わいつつも、問いかける。

「あのさ……アシュレイって、呼んでもいい?」

 にっこりとアシュレイは笑った。

「様をつけろデコスケ野郎」
「ひどっ!? この人、ひどい!」
「悪魔だもの。まあ、ここで恩を売っておくのもいいと思うから、特別に許可してあげましょう」
「何だかありがたくないなぁ」
「悪魔だもの」

 再びそう答え、アシュレイは席を立った。
 桜は帰るのだ、と直感した。

「残党はもう処理したから。それじゃ、またねー」

 手をひらひら振って、アシュレイは霞のように消え去った。
 面白い程に呆気無く、あっさりとした別れ。

 桜はしばらくアシュレイがいたところに視線を固定させたまま、呟いた。

「またね、優しい魔王様」

 ふふふ、と桜は笑みを浮かべた。

「さーて、後片付けをしないとね。クレーターは観光名所にでもして、地震で壊れたところは直して……」

 あ、そういえば夕映の質問、聞くの忘れてた。

 密かに桜は夕映からアシュレイに聞いてくれ、と頼まれた質問があったのだ。
 どう謝ろうか、と桜が考え始めたそのとき。

「桜、完璧です! 世界はまだまだ不思議に満ちているのです!」

 興奮気味に夕映が食堂の扉を蹴破って入ってきた。
 その手には一冊のノート。

「ど、どうしたの夕映?」
「アシュタロスです! いつの間にか私の机の上に、私の知りたいことどころか、私が気づきもしなかったことまで全部!」
「そ、それはよかったわね……」
「はいです! というわけで失礼するです!」

 風のように夕映は去っていった。
 そして、彼女と入れ替わるように入ってきたのはアキラだった。

「桜、行方不明になっていた村人とかがこの街の近くで発見されたって」
「……アシュレイ、完璧過ぎるよ」

 ぽつりと桜は呟いた。
 その呟きにアキラは首を傾げるが、そんな彼女に桜は不敵な笑みを浮かべる。

「これからはもっともっと頑張ろう!」

 さぁ仕事だあああ、と張り切りながら出ていく桜にアキラは笑みを浮かべるのだった。

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