危険日

 アシュレイは言うまでもないが、温厚な性格ではない。
 だからといって常に不機嫌であるかというとそうでもない。
 しかし原因がなく、ただ何となくイライラするそういう日が人間と同じように彼女にはあった。

 とはいえ、あのアシュレイが何となくイライラしているのだ。
 そこらの人間がイライラしているのとはわけが違う。

 それ故に、その日は誰も彼もがアシュレイに対していつも以上に恐怖と畏怖をもって接するのだが、それを知らない者がいた。




「なぁ、アシュ様知らねーか?」

 その問いに問われたメイドはふるふる、と恐怖の表情を浮かべつつ、首を横に振り、素早く転移していった。

「……これで10人目だな」

 やれやれ、と彼女は溜息を吐いた。
 すらりと伸びた手足。
 その橙色の髪を後ろで一つに纏め、ポニーテールにしている。
 特筆すべきはその背中にある真っ黒なコウモリのような翼と頭から突き出る2本の角。

 彼女、長谷川千雨は人間のまま不老不死となった後、アシュレイの手によって立派な悪魔となっていた。
 既に彼女は加速空間で数千年程過ごしているが、比較的人間の常識や価値観を残していた。
 それは彼女の性質としか言い様がない。
 千雨は確かにかつてのイジメから人間嫌いではあるが、あくまで自分に対してそうしてきた人間だけであり、それ以外に関しては別に何とも思わない。
 無論、そのかつてイジメていた連中は彼女自身の手でこの世から消しているのだが。


「どうかしたのか?」

 そんな声が後ろから掛けられた。
 振り向くとそこにはフェネクスが。

「あ、フェネクス様」

 当然ながら千雨はアシュレイ以外の上位の者達に対して様付けあるいはさん付けであった。
 エヴァンジェリンのように驚く程にデカイ度胸があるならば、呼び捨てにもするだろうが、あいにく千雨にそんなものはなかった。

「実はアシュ様を探しておりまして……」

 その言葉にフェネクスは難しい顔となった。

「お前はまだこっちに来て日が浅いから、知らないだろうが……今日はアシュ様の機嫌が悪い日でな」
「えっと……生理ですか?」
「いや、そうじゃなくてだ……ただ何となくイライラしている、そういう日だ。危ないから近づかない方がいい」

 そこでフェネクスは言葉を切り、それでも、と続けた。

「会いたいなら死体部屋に行け。今はお嬢様部屋にいる筈だ」







 フェネクスの言葉を受け、千雨は死体部屋の前にやってきていた。
 死体部屋とはその名の通り、死体が飾ってある部屋である。
 何で死体を飾るかというと、アシュレイの嗜好による。
 死体程リアルな人形は存在しない。
 それを飾り、それを犯す。
 それがアシュレイの嗜好の一つであった。


 扉をゆっくりと開ければそこは廊下であり、その両側には幾つもの扉があった。
 幼女、少女、女性といったプレートが貼りつけられた扉からメイド、お嬢様、王族、娼婦などなど様々だ。

「確か、死体は死んだ直後のまま時間停止及び遡行魔法が掛けられて保存されているんだったな」

 そう千雨は呟き、アシュレイの規格外さに溜息を吐く。
 時間停止であるから、死んだ直後のまま永遠に保存され、また壊したりしても遡行によって元に戻るのだ。
 当然、千雨にこんなことはできない。 
 


 やがて千雨はお嬢様部屋の前に足を進め、扉を数回叩いた。

 何も返事はないが、用があることは伝わっただろう、と千雨はゆっくりと扉を開け、すぐに逃げたくなった。

 血が廊下に流れだしてきた。
 肉片や内蔵が部屋のあちこちに飛び散り、凄惨さを際立たせている。
 そのような中、彼女は全裸で部屋の真ん中にいた。

 臓物と血と綺麗なドレスを纏った死体達に囲まれて。

「……何か?」

 声を出すのも億劫だと言いたげな不機嫌な表情を浮かべた彼女――アシュレイは千雨へ視線を向け、問いかけた。


 あ、死んだ――


 そう千雨は感じた。

 何も言わない彼女にアシュレイは何とも思わずに、手近な死体を抱き寄せる。
 可愛らしい茶色髪の女の子。
 歳は10代前半程度だろうか。
 死んだ直後の状態であるから、勿論体温は残っており、汗や体臭などもある。

 アシュレイはゆっくりとその少女の首に両手を添えて、思いっきり折った。
 ボキリ、と鈍い音。

 胴体と首が離れ、そこから鮮血が吹き出しアシュレイにふりかかる。
 既に血や臓物で汚れていた彼女が更に赤く染まる。

「……アシュ様」

 千雨は自然と声が出ていた。
 恐ろしいとかそういった次元を超えていた。

 もう私は死んでいる――ただ、そういう意識だけが千雨にはあった。

「課題が終わりました」

 死ぬならせめても、とそういう気概でもない。
 ただ自然に、機械のようにそう千雨は告げた。

 アシュレイはその言葉に僅かに頷き、千雨の手元に一冊のノートを出現させた。
 千雨はその新たな課題を受け取る。

「この世で最も綺麗な女はどういう女だと思う?」

 唐突なアシュレイの問いかけ。
 その声で金縛りのようなものが解けたのか、千雨は機械ではなく悪魔に戻る。
 思考は活性化し、現実感が戻ってくる。

「……尽くす女ですか?」

 見た目のことを言っているのではない、と確信した千雨の解答であったが、アシュレイは微笑み告げる。

「いいえ、狂って壊れた女よ。ただ性格が良い女なんぞつまらない。そういった女を壊すのも一興だけども」

 そーなんだー、としか千雨は思えなかった。
 正直、アシュレイの趣味嗜好を知ったところでごますり程度にしか使えない。
 そして、千雨はごますりをするつもりは毛頭なかった。

 アシュレイはそんな彼女の胸中を見抜き、くすくすと笑う。

「もう行っていいわ」

 アシュレイの言葉に千雨は軽く頭を下げ、部屋を後にしたのだった。









「ということがあったんだが」

 アシュレイに会って数時間後、千雨は自室で友人達に事の顛末を話していた。

「お前、よく生きて戻ってこれたな」
「不機嫌なアシュ様に近づくのは最高に危険な訓練」

 答える2人は小麦色の肌にクリーム色の髪が印象的だ。
 どちらも顔が同じであり、双子であることがよく分かる。

「まあ、それは良いとしてよ。お前もどうだ? こっち入らねーか?」
「私は親衛隊なんて柄じゃねーよ。そうだろ? ライカ親衛隊高級中隊指揮官殿?」

 口数が多く、表情が豊かな妹のライカ。

「……残念」

 反対に口数が少なく、表情も乏しい姉のカレン。

 カレンとライカの2人は親衛隊の名物姉妹としてそれなりに有名であった。
 そして、そんな2人が千雨と親交があるのはアシュレイによる。
 千雨が悪魔になった直後にちょっと戦ってみなさい、とアシュレイが連れてきたのは2人であったのだ。
 百戦錬磨の2人を千雨は圧倒的なスペックでもって瞬殺してしまい、そこからリベンジに燃えた2人が何百回と挑むことで妙な友情が育まれ、今に至っている。

「普通に大尉と呼べ。っていうか、お前の方が立場的には上だろう」
「まだ私は勉強中でね」

 そう言う千雨に対し、ライカは溜息を吐く。

「お前な、アシュ様から直接指導を受けるってのはエシュタル様以来なんだぞ? つまり、お前はアシュ様の弟子なんだぞ? ウチのボスのレイチェルやあのエヴァンジェリンもアシュ様から直接指導は受けていない」
「……千雨の方が立場的に上」
「まあ、それはいいとしてだ」

 千雨は話題を無理矢理転換する。
 悔しい、だから倒してやる、とそういう流れにこんな会話からなったことが過去にあった。
 彼女としては戦闘はやりたいヤツにやらせて、自分は課題やりつつ、最近始めたPCを弄っていられればそれで満足であった。
 純粋に計算の速さであれば千雨の頭の方がPCよりも遥かに上なのだが、PCのように様々なことはできない。
 

 そもそもPCのようなものは地獄において遥か昔から純粋な計算機として使用されていたが、最近になって人類はインターネットを構築し、色々やり始めた。
 ようやく時代が追いついた、とアシュレイは自分がネットサーフィンやネトゲをしたいが為に無理矢理自分の居城にネット回線を引き込んだのだ。
 
「お前らの写真、撮らせてもらうぜ」

 長谷川千雨、見た目14歳、実年齢数千歳。
 わざわざ14歳ボディにしているのはそれくらいの方が色々と便利であるからであった。
 そんな彼女は最近、自分でホームページを作り、ネットアイドルちうとして活動していた。

 勿論、これはただの千雨の趣味もあるが、立派な情報収集活動である。
 釣られてやってくる連中とチャットし、どのような不満や疑問を持っているかを集め、それをアシュレイに提出することになっている。

「別にいいけどよ、あれだ、荒らしとかそういうのがまた沸くんじゃねーのか?」
「前あったとき、アシュ様に相談したら物理的に消すから問題ないってさ」

 毎年発生する失踪事件や行方不明者、1割は本当に迷子になったりした程度だが、残りの9割は悪魔や妖怪による処理であった。
 各国の警察や司法ともずぶずぶな関係にあるので明らかに惨殺されていても、失踪あるいは変死と処理されてしまう。

 部屋から一歩も出ていなかった者がある日突然樹海で首だけになって発見された、ということもあった。

「よくよく思うけど、人間ってアシュ様に生かされているよな。私もこっち来て色々知ったんだが……」

 千雨の言葉にカレンとライカは同意するように頷いたのだった。







 一方、そのアシュレイはイライラが解消され、鼻歌を歌いながら風呂に入っていた。
 解消された原因はそれなりに暴れて、千雨が満足のいく態度を見せたこと。

 並の者ならば……というか、大抵の者ならばアシュレイの恐ろしさに彼女に気に入られようと、ごまをする。
 だが、千雨はアシュレイの好きな女を聞いてなお、どうとも思わなかった。
 それがアシュレイにとっては好ましかったのだ。
 
 まあ、エヴァンジェリンやフェネクスあたりならどうとも思わないだろうが、それでも成り立ての千雨がそういう態度を示したことは称賛されこそすれ、批難されることはない。

「……ふむ、ネギの育成用に誰か送りこもうかしらね」

 アシュレイは湯船に浸かりながらそう呟いた。


 アルビレオ、ガトウ、タカミチの3名に鍛えられており、恐ろしく成長しているネギであったが、残念ながら彼らの中には悪魔の実態を知る者はいない。
 ゼクトを元の姿に戻し、送り込んでもいいのだが、何かの拍子にバレでもしたら紅き翼の連中がうるさい。
 かといってアシュレイをはじめとした多くの上位者が行けば神界で問題になる。

 他にも条件はある。

 レイチェルは一際人間嫌いなので当然却下。
 玉藻は陰陽術をはじめとした東洋のものしか知らないのでやはり却下。
 陣風は剣術と陰陽術しかできないので却下……

 麻帆良に送り込めるのはそれなりに強く、西洋魔法に精通し、神界で問題にならない程度に弱い者……そんな都合の良い者だ。

 そして、アシュレイの配下でその条件に合致するのは……


「……ああ、ちょうどいい。フェイトを送り込もう」

 ネギが先の大戦の表向きの真実について知っていることはアシュレイも掴んでいる。
 だが、それでもなお、アシュレイはネギ達に彼らを信用・信頼させうることができると確信していた。

「完全なる世界は私に対抗する為の組織とすれば何ら問題はない」

 つまり、シナリオはこうだ。

 悪の秘密結社に見える完全なる世界は実は裏で暗躍するアシュタロスを打ち倒す為の組織であった。
 先の大戦はアシュタロスによる完全なる世界壊滅作戦であり、全てのことを完全なる世界に濡れ衣を着せ、その勢力を激減させるのが目的であった、と。

  簡単に言ってしまえば敵だと思っていたヤツが実はいいヤツだった、とそういうわけであるが、にわかには信じられないだろう。
 故にアシュレイは適当に証拠をでっち上げるつもりであった。

「フェイトだけじゃ説得力が足りないから、エヴァンジェリンも送り込もう」

 エクスキューショナーとして紅き翼の前に出たエヴァンジェリンが完全なる世界所属のスパイであった、という設定でいけば紅き翼の面々も信じるだろう……そうアシュレイは考えたのだった。

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