次代の守護者達

「ふぅ……」

 ゆっくりと彼女は息を吐き出した。
 今年で15歳となる彼女は若輩の身ながら、既に熟練の陰陽師達からも実力において一目置かれていた。

 代々優秀な陰陽師を輩出している近衛と並ぶ二大巨頭の一。
 少女――天ヶ崎千草は天ヶ崎家次期当主として、そして陰陽寮の次期陰陽頭としての地位を約束されていた。
 

「英語もそれくらい集中できへんの?」

 掛けられた声に千草は笑って誤魔化す。

「英語っちゅーのはどうにも駄目や。それ以外はできるからええやろ?」
「できへんのにも限度があるで。何やねん、赤点ギリギリって」

 呆れた声を出すのは彼女の母親であった。
 
「ええやんかー、5教科500点満点で430点取っとるやん」
「英語だけ30点でそれ以外満点とかバランス悪いにも程があるやろ? 今日日、英語もできへんとかどうやってメリケン人と話するん?」
「言葉が無くても語り合えるもんやろ?」
「ええこと言うてるようやけど、全然駄目やからな」

 母親の言葉に千草は笑うしかない。
 そんな彼女に母は溜息を吐く。

 お淑やかであり、英語以外の成績優秀スポーツ万能、生徒会長もやっている凄い子。
 それが周囲からの評判であるが、母親からすれば全然駄目な娘であった。

 恋話の一つや二つ、あっても良い年頃なのだが、当人は陰陽術にどっぷりとはまり込んでおり、休日などは大人の陰陽師達に混じって練習し、あるいは見学としてお祓いや浄めについていく。
 彼女が浄化したりお祓いをしたことも既に何度もある。

「ウチな、明日菜様を召喚したいんや」

 目を輝かせる千草に母はまたか、という感じで溜息を吐いた。

「明日菜様は人がどうこうできる御方やあらへん。失敗するのがオチやで?」
「大丈夫や。千奈様も両面宿儺を贄にすればできる、と古文書で言ってるやん」
「あくまで理論的には、や。それにわざわざ宿儺の封印を召喚するためだけに解くんか?」

 母の問いにうぐ、と言葉に詰まる千草。
 両面宿儺に限らず、強力過ぎて祓えないような妖怪や悪霊は本州にしかいない。
 陰陽師が豪州や昭南島――いわゆるシンガポールのこと――に行くこともあるが、短期なものだ。

 そして、陰陽寮が組織として管理しているそういった人間にはどうにもできないものを明日菜、すなわちアシュレイを呼び出す為だけに解き放っては極めて問題があるのは言うまでもない。

「ともあれ、明日は烏族の次期長、近衛の次期当主と顔合わせや……ちゅうても、木乃香ちゃんとはもう何度も会うてるがな」
「木乃香はかわええなぁ……妹みたいやぁ」

 近衛と天ヶ崎。
 長い付き合いであることから、天ヶ崎千草は近衛木乃香と面識があり、普通に仲が良い。
 公的な場での面会は明日が初めてというだけだ。

「で、烏族の方やけど、桜咲刹那っちゅう子や」
「知っとる。確か、人と烏族の混血で白翼の」
「せや。数百年くらい前までは白翼は忌み子やったらしいけど、明日菜様が何かやったらしい」
「さすが明日菜様や」

 うんうんと頷く千草。
 まさか忌み子を攫って自分のもふもふ役とかいう訳のわからない役職に就けたとはさすがに想像の外であった。

「まだ小学生くらいやけど、中々できるらしいで? その子」

 なるほど、と頷く千草。

「それと、例の過激な連中が襲ってくるかもしれへん」

 母の言葉に千草はうんざりとした顔となった。

「確か、明日菜様に抑えつけられて暴れられなかった妖怪連中がこしらえた組織やったな?」
「せや」

 千草の問いに母は頷き、肯定する。
 長い間、アシュレイは京都に滞在していた為、他の日本古来からいた妖怪連中は怯えて全く活動しなかった。
 しかしアシュレイが地獄に帰った途端、そういった連中がもう何も怖くないとばかりに暴れまわった。
 アシュレイは当然それを察知していたが、その程度は自分達で解決してもらわなくては
困る、と陰陽寮に丸投げしている。

「明日は襲ってきぃひんやろけど。きな臭い動きがあることは確かや。それだけは頭入れといてな」

 母の言葉に千草は重々しく頷くのだった。








 そして、翌日。
 陰陽寮の総本山、その一角にある桔梗の間にて彼女らは集った。

 天ヶ崎家次期当主にして次期陰陽頭、天ヶ崎千草。
 近衛家次期当主、近衛木乃香。
 烏族の次期長、桜咲刹那。

 なお、烏族以外にも狗族をはじめとした幾つかの部族は陰陽寮に協力しているのだが、その中でも一際大きく、他の部族の纏め役でもあるのが烏族だ。

「一応、知っとると思うけど」

 最年長ということもあり、千草がまず口を開いた。

「ウチが天ヶ崎千草や」

 その自己紹介に木乃香が続いた。

「うちが近衛木乃香。よろしゅうな」

 にこにこと花のような笑みを披露しているが、その見た目とは裏腹に陰陽師として、そして神鳴流剣士として恐るべき才能を秘めている。
 彼女の母方の近衛の血、そして父方の青山の血により、陰陽師としても神鳴流剣士としても大成するだろうことは想像に難くない。
 裏に関わらせるのは、と彼女の父である詠春が若干渋ったものの、木乃香を裏に関わらせなかった方がかえって危険であると判断したが故に、木乃香は幼い頃から陰陽師として、神鳴流剣士として日夜特訓を重ねていた。

「桜咲刹那です」

 短く、仏頂面でそう告げたのは白い髪を後ろで結い、袴を着た女の子。
 彼女の背中には白い翼がちょこんと生えている。

 愛想が悪いやっちゃなぁ、と千草は刹那に対して思いつつも、再び口を開く。

「で、まあ、今日は特にどうということもないんやけど、10年後、20年後はうちらが最高責任者として日本の霊的秩序を護ることになる。そんときはよろしゅう頼みますわ」

 はーい、と元気良く返事をする木乃香に対し、刹那は僅かに頷くだけ。
 千草は別にその態度にどうこう言うつもりはない。
 長幼の序を弁えろと言う理由もなければ、そもそも烏族と人では価値観や常識なども異なる。
 相互尊重こそが共存共栄である、と歴史の授業で千草は習っていた。
 そして、烏族をはじめとした人にあらざる者達の大元にある共通認識は強いヤツに従う、とそういうものだ。

 そもそも、烏族との繋がりは数百年前はそこまで深いものではなかった。
 時折、陰陽寮から使者を出して貢物をし、協力してもらう、とそういう関係であったのだ。

 それが天ヶ崎千奈と明日菜――アシュレイのコンビが使者に赴き、アシュレイが須臾を連れ去るついでに腕利きの烏族の男達を威圧しただけで、腰砕けにしてしまったのが原因だったりする。
 明日菜怖い、とそういう一心からご機嫌取りも兼ねて陰陽寮により協力的になった経緯があった。


「千草さん」

 刹那は覚悟を決めたような顔で千草の名前を呼んだ。
 何やらかすつもりや、と呼ばれた方は思いつつ、用件を問う。

「明日菜様と戦ってみたいのですが……」

 千草はその意味を理解するのに数秒の時間を要した。

「あんさんがさっきから仏頂面しとったのは明日菜様と戦いたいとかそういうことを思っていたからなんか?」
「表情から心を読まれてしまうのは避けなくてはなりません。私もまだ未熟、故にどうしても鉄面皮で戦闘に望まねばならないのです」

 刹那に対する評価は千草の中で一変していた。
 無愛想なガキから可愛らしい生真面目な子供に。

「残念やけど、明日菜様はおらんのや。ウチの先祖、千奈様が使役されて数百年。その間、ふらっと現れてふらっと消えて行く、それが明日菜様や」
「そうですか……」

 残念そうな刹那に木乃香が興味津々といった顔で口を開く。

「なぁなぁ、その翼ってやっぱり本物なんよね? うち、触ってみたいなー」
 
 きらきらと目を輝かせる木乃香に刹那は目を丸くした。

「えーっと……そういうことを言われたのは初めてなんですが……」

 困惑する刹那に千草は助け舟を出す。

「こら、木乃香。失礼すぎるで?」
「えー、だって触りたいやん。千草姉ちゃんも触りたいやろ?」

 木乃香の問いかけに千草はじーっと刹那の翼を見つめる。
 ふわふわの白い翼は時折、ぴくぴくと動いており、顔を埋めればとっても心地良さそうだ。

「……ええな。ウチも触りたいわ」
「えぇっ!?」

 まさかの言葉に刹那は驚愕。
 そんな彼女を放置して、木乃香はせやろせやろ、と言い、刹那の背中に抱きついた。

「うちらは皆、仲間やん。やからスキンシップで交流深めんと」

 そう言いつつ、木乃香は翼に顔を埋めた。
 ひゃん、と刹那が小さく悲鳴を上げる。
 どうやら敏感なところを触ってしまったらしい。

「なぁなぁ、せっちゃん」
「せ、せっちゃん……?」
「せやで。うちのことはこのちゃんでええよ」

 木乃香は強引ともいえるやり方で自分のペースに刹那を乗せてしまう。
 立場を考えれば問題があるのだが、本当に嫌ならば刹那は拒否してくる筈である、と木乃香は幼いながらに理解していた。

「うちは陰陽術と神鳴流習ってるんやけど、せっちゃんは?」
「あ、えと、私は烏族の剣術と陰陽術を少々……」
「ほなら一緒に陰陽術やろ! あと、模擬戦みたいなのやってみよ!」

 満面の笑みの木乃香に刹那は千草に助けを求める視線を送る。
 しかし、千草は笑みを浮かべて……

「それ、ええな。ウチもやるわ。お互いがどれだけできるかを知っていた方が何か起こったときに対処しやすいしな」

 もっともな言葉に刹那は観念して告げた。

「お手柔らかにお願いします……私はあくまで普通よりちょっと強いだけの烏族なので……」

 刹那からすればあの明日菜を使役した陰陽師天ヶ崎千奈の末裔と皇室とも繋がりがあり、日本屈指の霊力(=魔力)を誇り、明日菜とも親交があったと言われている近衛紅葉の末裔。

 対する彼女は父が烏族で母が陰陽師の白翼の烏族に過ぎない。
 普通の烏族よりは強いとはいえ……あくまでそれだけなのだ。
 2人の方がとんでもなく、刹那が気後れしてしまうのも無理はないだろう。

「ま、大丈夫や。あんさんはあんさんのペースでやればええ」

 そう言い、千草は刹那の頭を撫でる。
 さらさらとした手触りに千草は頬が緩みそうになるが、何とか堪えた。

「……はい」

 撫でられてちょっと嬉しそうな刹那にぷくーっと頬を膨らませたのは木乃香だ。

「せっちゃんばっかずるい」

 うちもうちも、と頭を出してくる木乃香に千草は苦笑し、空いているもう一方の手で木乃香の頭を撫でてやる。
 えへへ、と彼女は嬉しそうにはにかんだ。

「妹がもう1人、できたみたいやなぁ」

 そう呟く千草だったが、彼女の顔にも笑みが浮かんでいたのだった。

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