1982年6月――日本 横須賀 午後22時
日本海軍御用達料亭である魚勝。
海軍関係者からはフィッシュと呼ばれ、パインと呼ばれる小松と共に親しまれている高級料亭だ。
その駐車場に1台の黒塗りのリムジンと数台の黒塗りのベンツが止まった。
ベンツからは黒いスーツを纏った長身の見目麗しい女性達が降り、リムジンを囲み、周囲を警戒する。
脅威はない、と判断し、ドアが開けられた。
中から出てきたのは黒髪を長く伸ばした少女。
ご存知、アシュレイであった。
彼女は周囲を親衛隊の面々に囲まれながら、魚勝の門をくぐった。
「ようこそいらっしゃいました。皆様、お揃いですよ」
アシュレイを三代目となる女将がにこやかな笑顔で出迎えた。
初代女将の頃から、アシュレイがここやライバルの料亭小松の常連であったことを知っている三代目はアシュレイが何者なのか、疑問に思ったりはしない。
客の詮索をしない、それがこの界隈の料亭の暗黙の了解であった。
古くから軍港として栄え、今もなおそうであるここ横須賀ならではであった。
アシュレイは女将に従い、椿の間へと案内された。
そこには既に本日の秘密会談の面々が集まっていた。
内閣官房副長官、陸海空軍の大臣、そして麻帆良学園学園長にして元陰陽寮陰陽頭。
錚々たる面々であったが、彼らと比べてもアシュレイは圧倒的に格上であった。
故に彼女は上座に陣取った。
「随分と遅かったですな」
声を掛けたのは日本海軍の長である海軍大臣の高岡利文であった。
海軍上がりの彼はユーモアに富んだ人物であり、アシュレイ相手にもジョークを飛ばす程の胆力を持っている。
「ええ、自由と正義に楯突く連中が多くてね」
アシュレイも笑顔で答える。
彼女はやれやれ、と肩を竦めてみせる。
アメリカ合衆国最高顧問という肩書きをアシュレイが持っていることを知らぬ者はこの場にはいない。
そして、20世紀初頭より続く日米の蜜月を演出したのもまた彼女であることも知られていた。
「それはまた大変なことで……さて、そろそろ始めましょう」
彼の言葉に元陰陽寮の最高権力者にして現麻帆良学園学園長の近衛近右衛門が長い顎鬚を撫でながら口を開いた。
「最近メセンブリーナ連合からは援軍を寄越せ、と矢の催促です。紅き翼の現れるところにエクスキューショナーが現れ、紅き翼はそちらとの戦闘にかかりきりになってしまうとのこと」
近右衛門を知る者からすれば驚きであろう。
彼が誰かに敬語を使うなど……
「まさかウチから軍を派遣しろ、何て言うんじゃないだろうな? 昔はともかく、欧州諸国やソ連、中国ともデタントに向かって仲良くやっているんだ。大規模な軍事行動は第三次大戦を引き起こす可能性がある……第二次大戦の敗北からも連中は立ち直り、力を蓄え、30年近く冷戦が続いているというのに……」
早速官房副長官である山岡忠次が噛み付いた。
今日はマスコミ向けの閣僚会議が開かれており、主な議題は経済対策や福祉対策。
軍事のことは全くのノータッチな為に三軍の大臣は呼ばれていない。
「いやいや、表向きはウチも含めた各国も魔法使いに関しては知らない振りをしているんじゃ。軍ではなく、麻帆良にいる魔法先生や魔法生徒、他に詠春が参加しとるから陰陽寮からも戦力を出せと」
「馬鹿馬鹿しい」
陸軍大臣の山下元真が切って捨てた。
「麻帆良学園に関しては向こうから頭を下げてきて、アシュレイ殿の要請もあって受け入れたと記録にある。狙いは世界樹の保有に関して身代わりとする為。我が国の組織が大体的にやっては独占している、といらん喧嘩を他所からふっかけれられる恐れがある」
山下の言葉に頷く近右衛門。
「その為にわざわざ儂は陰陽師を止め、魔法使いになったんじゃ。元陰陽師の儂が魔法使いの根拠地のトップに据わることで魔法使いの日本及び極東進出を抑えた……これは骨じゃったぞ。身内からの批判も凄かった」
「とはいえ、陰陽師は日本の霊的守護の要。それを出すことは罷りならん」
空軍大臣である井ノ本景明が憤慨しながら言った。
彼の言葉に同意するかのように、アシュレイを除いた面々が頷く。
そのような中、山下が告げる。
「麻帆良学園に関しては別に戦力を出しても構わんだろう。連中の戦力だ。好き勝手やればいい」
「じゃが、問題は欠員が出た場合、より露骨な向こうの犬が送り込まれてくる可能性じゃ。事故や病気で死んでもらう、といっても学園としての体裁を取っている以上、一般の生徒や先生に紹介せねばならん……」
そう言いつつ、近右衛門はアシュレイへと視線をやる。
その視線を受け、アシュレイはゆっくりと口を開いた。
「エクスキューショナーに関しては止めさせるわ。もう十分に必要なものは手に入ったし……そうすれば援軍を寄越せ、というのも止むでしょう」
アシュレイの鶴の一声に面々は頷く。
「ただ、ホワイトハウスの面々はどうやら魔法界に新たなフロンティアを見出したいみたいなのよ」
「魔法界に介入? 米軍が? 何の冗談ですか?」
山岡は信じられない、と言った顔で問いかけた。
「承知していると思うけど、ワルシャワ条約機構……WTOの加盟国にも製品が出回っているわ。そこに限らず、世界中で日本とアメリカの製品が競合しているのよ。どっちも品質、価格ともに同じ。日本は勢力圏内だけで製品回してもやっていけるけど、アメリカはそうはいかない。彼らの勢力圏は本土を除けば南米や南太平洋の島々程度……」
「どこかの誰かさんの入れ知恵のおかげで、日本は徳川政権時代に大きく飛躍しましたからなぁ」
うんうん、と頷く高岡。
その誰かさんは彼の皮肉に口を尖らせる。
「いいじゃないの。西はビルマ、東はハワイ、南はオーストラリア、ニュージーランド。早い段階から現地住民や現地政府と友好的関係を築きながら入植したおかげで今日の日本が、大東亜共栄圏があるのよ?」
「まあ、日本人なら誰も文句は言えませんよ。世界に冠たる大日本……そう胸を張れるのはアシュレイ殿の入れ知恵のおかげです」
煽てにアシュレイは頬を膨らませながらも、矛を収める。
「しかし、魔法界に米軍が介入とは……地球側の魔法使い共が黙っていないのでは?」
山下の問いかけに答えたのは井ノ本であった。
「3時間以内に地球にある主要な魔法使いの拠点に米軍と共同で空襲をかけられる。WTO諸国も協力しようとしない魔法使い連中は嫌っていると聞く」
「魔法使いの綺麗過ぎる理想は困ったもんじゃて……」
近右衛門はげんなりとした顔で言った。
そんな彼にアシュレイが告げる。
「魔法使いも好きでそうなってるんじゃないわ。魔法使いはかくあるべし、と当時の地球から移住させた魔法使い連中がコンプレックスからそう思って、後の世代にも押し付けたというか……」
「コンプレックス……ですか?」
近右衛門のはてな、という顔。
他の面々もこの話は知らないらしく、首を傾げている。
「魔法使いとして迫害されていた連中は色々やったのよ。魔法を持たない人間達に好かれよう、とね。その為の一種。つまり、魔法使いが悪を倒せば嫌っている人達も自分達を好きになってくれる……そういう話」
「世知辛いですなぁ……」
しみじみとした風に言う高岡。
「まあ、誰も魔法使い達の理想は否定できないわ。勿論、この私ですらも。彼らの理想は尊く、眩しい。誰もが皆、憧れる……いや、私はどっちかというと戦争が大好きなんだけども」
ともかく、とアシュレイは更に続ける。
「平和を、平穏を、皆が幸せな世界を……こんな理想を否定できる人間は人間じゃない。否定するモノは私達と同じ輩よ。現実的に考えて無理とかそういうレベルじゃないもの。やるかやらないか。平和の為に邁進する者はそれを諦めてしまう輩よりも強く、美しい」
うんうんと頷くアシュレイ。
破壊と死と恐怖の権化である彼女が言うと説得力があるような、ないような。
まあ、彼女も色んな政治家や企業の取締役などを見てきた。
欲に塗れた者もいれば平和の為に、社会の為にと頑張る輩もいた。
欲に塗れた者の美しさはギラギラとしていてけばけばしく、アシュレイの心を騒がせる。
対する平和の為にとかそういう者の美しさは実に清らかであり、彼女の心を落ち着かせる。
どちらもアシュレイにとっては大好物であるのは言うまでもない。
特に後者はその清らかさを穢してやりたい、と彼女の嗜虐心をかきたてる。
さて、意外なことだが長い時間の中で彼女が人間と戦ったことは実は今まで一度もない。
これは多くの上級、中級神魔族に言えることだが、人間と積極的に戦おう、というヤツはまずいない。
例えるなら人間にとってのミジンコ。
ちっぽけなミジンコと戦いたい人間がいるか――そういう次元なのだ。
「まあ、平和主義とかそういうのは置いておいて……我々に必要なのは日本及び同盟国たるアメリカの利益、国民の安全」
高岡の言葉にアシュレイも含め頷く。
アシュレイは世界中のあちこちに食指を動かしているが、多くのところでは利害の一致で手を組んでいるに過ぎない。
洗脳に気づかない程に巧妙な洗脳を行い、全人類を統合し、争いのない世界を実現することもできるが、対立はあった方が魔族全体に有利――負の感情の増大の為――なのでそうはしていない。
何よりも、そんなことをしたらアシュレイ自身がつまらない。
嫌がる相手を屈服させるのは彼女の好きなことの一つなのである。
「アメリカには新たなフロンティアとして宇宙を提供しようと思っているの。宇宙は無限だから、うまくすれば永遠の繁栄を得ることができる……勿論、私も協力する」
「ウチにも当然、協力してくださるのでしょうね?」
アシュレイの言葉に山岡は問いかける。
そんな彼に彼女は勿論、と頷き、今回の会合の決定事項を纏める。
「魔法界からの要請は蹴る、エクスキューショナーは活動停止、魔法界への米軍進出は市場獲得としては阻止」
市場獲得としては、という妙に具体的な制限であったが、誰も気にしない。
なぜなら、ここにいる面々はアシュレイに起こるかもしれない、例の予言をアシュレイ本人から聞いていたからだ。
無論、彼らだけでなく、総理や他の大臣も知っている。
また、世界を見渡せばほとんど全ての国家の政府上層部は知っている。
どこもかしこもアシュレイがいなくなってもらっては色々な意味で困るという点では敵も味方も無かった。
アシュレイが会合を終えて魚勝を出たとき、既に時刻は午前0時を過ぎていた。
わざわざ東京ではなく、横須賀まで来たのは単純にスケジュールの都合であった。
アシュレイは転移魔法があるのでいつでもどこでも好きな場所にいけるが、山岡らはそうはいかない。
彼らは明日――というよりか今日、横須賀での観艦式に出席する。
東京湾で行われる日本海軍の主力艦が全て集まる観艦式と比べると幾分落ちるが、それでも十分に華やかだ。
さて、いつでもどこでも好きなところに行ける筈のアシュレイがどうして車で移動しているか、というと単なる見栄である。
彼女に付いている護衛の親衛隊員達であるが、ぶっちゃけ彼女達よりもアシュレイの方が億倍も強いのでこれまた見栄である。
そんな彼女は横須賀から横浜へと入り、とあるホテルへ向かった。
アシュレイが取った部屋は勿論、最上階のスイートルーム。
そこで彼女を待っていたのは婚約者のフレイヤであった。
彼女はアシュレイに抱きつくなり、その顔にキスの嵐を見舞う。
「アシュ様、お帰りなさい」
「うん、ただいま」
もう何百年と婚約者をやっている2人であったが、いつまで経っても付き合い始めた頃と変わらない。
夜の営みが無い、という夫婦は人間に多いが、少なくともアシュレイとフレイヤが結婚したら、永遠にそういう悩みは来ることがないだろう。
「何になさいますか?」
「あなたに決めた」
今度はアシュレイから激しいキス。
それにフレイヤは身を委ねるが、アシュレイは数分で止めてしまう。
普段なら20分はやっているところなのだが。
「どうかなさいましたか?」
「いやね……どういう風なプレイをやろうかと真剣に悩んでたの」
ものすんごい真面目な顔でアシュレイは告げた。
彼女からすればかなり大きな問題だ。
紅き翼とかそういったものよりも遥かに。
そんな彼女にフレイヤはくすりと笑う。
「今までにほとんど全てやりましたけど……こういうときは気分で考えるのが良いですわ」
2人の夜はまだ始まったばかりだった。
日本海軍御用達料亭である魚勝。
海軍関係者からはフィッシュと呼ばれ、パインと呼ばれる小松と共に親しまれている高級料亭だ。
その駐車場に1台の黒塗りのリムジンと数台の黒塗りのベンツが止まった。
ベンツからは黒いスーツを纏った長身の見目麗しい女性達が降り、リムジンを囲み、周囲を警戒する。
脅威はない、と判断し、ドアが開けられた。
中から出てきたのは黒髪を長く伸ばした少女。
ご存知、アシュレイであった。
彼女は周囲を親衛隊の面々に囲まれながら、魚勝の門をくぐった。
「ようこそいらっしゃいました。皆様、お揃いですよ」
アシュレイを三代目となる女将がにこやかな笑顔で出迎えた。
初代女将の頃から、アシュレイがここやライバルの料亭小松の常連であったことを知っている三代目はアシュレイが何者なのか、疑問に思ったりはしない。
客の詮索をしない、それがこの界隈の料亭の暗黙の了解であった。
古くから軍港として栄え、今もなおそうであるここ横須賀ならではであった。
アシュレイは女将に従い、椿の間へと案内された。
そこには既に本日の秘密会談の面々が集まっていた。
内閣官房副長官、陸海空軍の大臣、そして麻帆良学園学園長にして元陰陽寮陰陽頭。
錚々たる面々であったが、彼らと比べてもアシュレイは圧倒的に格上であった。
故に彼女は上座に陣取った。
「随分と遅かったですな」
声を掛けたのは日本海軍の長である海軍大臣の高岡利文であった。
海軍上がりの彼はユーモアに富んだ人物であり、アシュレイ相手にもジョークを飛ばす程の胆力を持っている。
「ええ、自由と正義に楯突く連中が多くてね」
アシュレイも笑顔で答える。
彼女はやれやれ、と肩を竦めてみせる。
アメリカ合衆国最高顧問という肩書きをアシュレイが持っていることを知らぬ者はこの場にはいない。
そして、20世紀初頭より続く日米の蜜月を演出したのもまた彼女であることも知られていた。
「それはまた大変なことで……さて、そろそろ始めましょう」
彼の言葉に元陰陽寮の最高権力者にして現麻帆良学園学園長の近衛近右衛門が長い顎鬚を撫でながら口を開いた。
「最近メセンブリーナ連合からは援軍を寄越せ、と矢の催促です。紅き翼の現れるところにエクスキューショナーが現れ、紅き翼はそちらとの戦闘にかかりきりになってしまうとのこと」
近右衛門を知る者からすれば驚きであろう。
彼が誰かに敬語を使うなど……
「まさかウチから軍を派遣しろ、何て言うんじゃないだろうな? 昔はともかく、欧州諸国やソ連、中国ともデタントに向かって仲良くやっているんだ。大規模な軍事行動は第三次大戦を引き起こす可能性がある……第二次大戦の敗北からも連中は立ち直り、力を蓄え、30年近く冷戦が続いているというのに……」
早速官房副長官である山岡忠次が噛み付いた。
今日はマスコミ向けの閣僚会議が開かれており、主な議題は経済対策や福祉対策。
軍事のことは全くのノータッチな為に三軍の大臣は呼ばれていない。
「いやいや、表向きはウチも含めた各国も魔法使いに関しては知らない振りをしているんじゃ。軍ではなく、麻帆良にいる魔法先生や魔法生徒、他に詠春が参加しとるから陰陽寮からも戦力を出せと」
「馬鹿馬鹿しい」
陸軍大臣の山下元真が切って捨てた。
「麻帆良学園に関しては向こうから頭を下げてきて、アシュレイ殿の要請もあって受け入れたと記録にある。狙いは世界樹の保有に関して身代わりとする為。我が国の組織が大体的にやっては独占している、といらん喧嘩を他所からふっかけれられる恐れがある」
山下の言葉に頷く近右衛門。
「その為にわざわざ儂は陰陽師を止め、魔法使いになったんじゃ。元陰陽師の儂が魔法使いの根拠地のトップに据わることで魔法使いの日本及び極東進出を抑えた……これは骨じゃったぞ。身内からの批判も凄かった」
「とはいえ、陰陽師は日本の霊的守護の要。それを出すことは罷りならん」
空軍大臣である井ノ本景明が憤慨しながら言った。
彼の言葉に同意するかのように、アシュレイを除いた面々が頷く。
そのような中、山下が告げる。
「麻帆良学園に関しては別に戦力を出しても構わんだろう。連中の戦力だ。好き勝手やればいい」
「じゃが、問題は欠員が出た場合、より露骨な向こうの犬が送り込まれてくる可能性じゃ。事故や病気で死んでもらう、といっても学園としての体裁を取っている以上、一般の生徒や先生に紹介せねばならん……」
そう言いつつ、近右衛門はアシュレイへと視線をやる。
その視線を受け、アシュレイはゆっくりと口を開いた。
「エクスキューショナーに関しては止めさせるわ。もう十分に必要なものは手に入ったし……そうすれば援軍を寄越せ、というのも止むでしょう」
アシュレイの鶴の一声に面々は頷く。
「ただ、ホワイトハウスの面々はどうやら魔法界に新たなフロンティアを見出したいみたいなのよ」
「魔法界に介入? 米軍が? 何の冗談ですか?」
山岡は信じられない、と言った顔で問いかけた。
「承知していると思うけど、ワルシャワ条約機構……WTOの加盟国にも製品が出回っているわ。そこに限らず、世界中で日本とアメリカの製品が競合しているのよ。どっちも品質、価格ともに同じ。日本は勢力圏内だけで製品回してもやっていけるけど、アメリカはそうはいかない。彼らの勢力圏は本土を除けば南米や南太平洋の島々程度……」
「どこかの誰かさんの入れ知恵のおかげで、日本は徳川政権時代に大きく飛躍しましたからなぁ」
うんうん、と頷く高岡。
その誰かさんは彼の皮肉に口を尖らせる。
「いいじゃないの。西はビルマ、東はハワイ、南はオーストラリア、ニュージーランド。早い段階から現地住民や現地政府と友好的関係を築きながら入植したおかげで今日の日本が、大東亜共栄圏があるのよ?」
「まあ、日本人なら誰も文句は言えませんよ。世界に冠たる大日本……そう胸を張れるのはアシュレイ殿の入れ知恵のおかげです」
煽てにアシュレイは頬を膨らませながらも、矛を収める。
「しかし、魔法界に米軍が介入とは……地球側の魔法使い共が黙っていないのでは?」
山下の問いかけに答えたのは井ノ本であった。
「3時間以内に地球にある主要な魔法使いの拠点に米軍と共同で空襲をかけられる。WTO諸国も協力しようとしない魔法使い連中は嫌っていると聞く」
「魔法使いの綺麗過ぎる理想は困ったもんじゃて……」
近右衛門はげんなりとした顔で言った。
そんな彼にアシュレイが告げる。
「魔法使いも好きでそうなってるんじゃないわ。魔法使いはかくあるべし、と当時の地球から移住させた魔法使い連中がコンプレックスからそう思って、後の世代にも押し付けたというか……」
「コンプレックス……ですか?」
近右衛門のはてな、という顔。
他の面々もこの話は知らないらしく、首を傾げている。
「魔法使いとして迫害されていた連中は色々やったのよ。魔法を持たない人間達に好かれよう、とね。その為の一種。つまり、魔法使いが悪を倒せば嫌っている人達も自分達を好きになってくれる……そういう話」
「世知辛いですなぁ……」
しみじみとした風に言う高岡。
「まあ、誰も魔法使い達の理想は否定できないわ。勿論、この私ですらも。彼らの理想は尊く、眩しい。誰もが皆、憧れる……いや、私はどっちかというと戦争が大好きなんだけども」
ともかく、とアシュレイは更に続ける。
「平和を、平穏を、皆が幸せな世界を……こんな理想を否定できる人間は人間じゃない。否定するモノは私達と同じ輩よ。現実的に考えて無理とかそういうレベルじゃないもの。やるかやらないか。平和の為に邁進する者はそれを諦めてしまう輩よりも強く、美しい」
うんうんと頷くアシュレイ。
破壊と死と恐怖の権化である彼女が言うと説得力があるような、ないような。
まあ、彼女も色んな政治家や企業の取締役などを見てきた。
欲に塗れた者もいれば平和の為に、社会の為にと頑張る輩もいた。
欲に塗れた者の美しさはギラギラとしていてけばけばしく、アシュレイの心を騒がせる。
対する平和の為にとかそういう者の美しさは実に清らかであり、彼女の心を落ち着かせる。
どちらもアシュレイにとっては大好物であるのは言うまでもない。
特に後者はその清らかさを穢してやりたい、と彼女の嗜虐心をかきたてる。
さて、意外なことだが長い時間の中で彼女が人間と戦ったことは実は今まで一度もない。
これは多くの上級、中級神魔族に言えることだが、人間と積極的に戦おう、というヤツはまずいない。
例えるなら人間にとってのミジンコ。
ちっぽけなミジンコと戦いたい人間がいるか――そういう次元なのだ。
「まあ、平和主義とかそういうのは置いておいて……我々に必要なのは日本及び同盟国たるアメリカの利益、国民の安全」
高岡の言葉にアシュレイも含め頷く。
アシュレイは世界中のあちこちに食指を動かしているが、多くのところでは利害の一致で手を組んでいるに過ぎない。
洗脳に気づかない程に巧妙な洗脳を行い、全人類を統合し、争いのない世界を実現することもできるが、対立はあった方が魔族全体に有利――負の感情の増大の為――なのでそうはしていない。
何よりも、そんなことをしたらアシュレイ自身がつまらない。
嫌がる相手を屈服させるのは彼女の好きなことの一つなのである。
「アメリカには新たなフロンティアとして宇宙を提供しようと思っているの。宇宙は無限だから、うまくすれば永遠の繁栄を得ることができる……勿論、私も協力する」
「ウチにも当然、協力してくださるのでしょうね?」
アシュレイの言葉に山岡は問いかける。
そんな彼に彼女は勿論、と頷き、今回の会合の決定事項を纏める。
「魔法界からの要請は蹴る、エクスキューショナーは活動停止、魔法界への米軍進出は市場獲得としては阻止」
市場獲得としては、という妙に具体的な制限であったが、誰も気にしない。
なぜなら、ここにいる面々はアシュレイに起こるかもしれない、例の予言をアシュレイ本人から聞いていたからだ。
無論、彼らだけでなく、総理や他の大臣も知っている。
また、世界を見渡せばほとんど全ての国家の政府上層部は知っている。
どこもかしこもアシュレイがいなくなってもらっては色々な意味で困るという点では敵も味方も無かった。
アシュレイが会合を終えて魚勝を出たとき、既に時刻は午前0時を過ぎていた。
わざわざ東京ではなく、横須賀まで来たのは単純にスケジュールの都合であった。
アシュレイは転移魔法があるのでいつでもどこでも好きな場所にいけるが、山岡らはそうはいかない。
彼らは明日――というよりか今日、横須賀での観艦式に出席する。
東京湾で行われる日本海軍の主力艦が全て集まる観艦式と比べると幾分落ちるが、それでも十分に華やかだ。
さて、いつでもどこでも好きなところに行ける筈のアシュレイがどうして車で移動しているか、というと単なる見栄である。
彼女に付いている護衛の親衛隊員達であるが、ぶっちゃけ彼女達よりもアシュレイの方が億倍も強いのでこれまた見栄である。
そんな彼女は横須賀から横浜へと入り、とあるホテルへ向かった。
アシュレイが取った部屋は勿論、最上階のスイートルーム。
そこで彼女を待っていたのは婚約者のフレイヤであった。
彼女はアシュレイに抱きつくなり、その顔にキスの嵐を見舞う。
「アシュ様、お帰りなさい」
「うん、ただいま」
もう何百年と婚約者をやっている2人であったが、いつまで経っても付き合い始めた頃と変わらない。
夜の営みが無い、という夫婦は人間に多いが、少なくともアシュレイとフレイヤが結婚したら、永遠にそういう悩みは来ることがないだろう。
「何になさいますか?」
「あなたに決めた」
今度はアシュレイから激しいキス。
それにフレイヤは身を委ねるが、アシュレイは数分で止めてしまう。
普段なら20分はやっているところなのだが。
「どうかなさいましたか?」
「いやね……どういう風なプレイをやろうかと真剣に悩んでたの」
ものすんごい真面目な顔でアシュレイは告げた。
彼女からすればかなり大きな問題だ。
紅き翼とかそういったものよりも遥かに。
そんな彼女にフレイヤはくすりと笑う。
「今までにほとんど全てやりましたけど……こういうときは気分で考えるのが良いですわ」
2人の夜はまだ始まったばかりだった。