「随分と思い切ったことをされたものだ」
テレジアは上がってきた書類を見つつ、アシュレイがやったことについて素直に感想を述べた。
近衛明日香はもはや地上にはおらず。
彼女はアシュレイによって造られた専用の加速空間にて子作りに励んでいるところだ。
勿論、人間の体のままではなく繁殖に最適化されている。
強い力を持った人間を繁殖する、というのはこれまでにない試みである。
神々との戦争には弱すぎて使えないが、それでも地上で人間社会において暗躍するというのならば最適だ。
アシュレイがこれまでに集めた孤児達は力を持つ者もいるが、その数は全体から見れば少ない。
また、それらはいわゆる特殊能力であり、一代限りのものであって陰陽術のように連綿と受け継がれる代物ではない。
ならばこその今回の試みといえよう。
「とはいえ、中々に気骨がある人間であったらしいが……また何故魅了の魔眼を使ったのだろうか」
報告は受けておらずとも、だいたいの症状でアシュレイが何をしたか分かる。
近衛紅葉が長にならなければ将来的に面倒なことになるのであるが故のアシュレイの行動。
とはいえ、それは無意識的なものであった。
彼女の表面的理由としては面倒くさかったから、というものが挙げられるが、それでもたかだか人間1人に魔眼はおかしい。
加減を誤れば一瞬で精神そのものを壊してしまう。
魔王であるアシュレイの精神へ干渉ができる者は極めて少ない。
同格か、世界か。
そのどちらかが挙げられるが、いずれにせよその干渉は強制力という形でもってアシュレイは明確に感知できる。
しかし、彼女に感知されることなく精神的干渉を行うとなればもはやそれは次元の桁が違う。
とはいえ……とある大前提がある。
それは上位の神魔族は平行世界に同時に存在する、というもの。
つまり、他世界のアシュレイからの干渉であればこの世界のアシュレイは明確に感知できない。
何しろ同一存在なのだから、ちょっと気分が変わった程度にしか感じられないのだ。
近衛紅葉が長にならず、近衛明日香が長になった場合……それを体験した世界が既にあり、その世界のアシュレイが極めてまずいと判断したが故の他世界への干渉。
それがあり得る話であった。
とはいえ、ただの使い魔に過ぎないテレジアに関してはそういったことも雲の上の話。
彼女の課題はどれだけ効率的に近衛明日香の一族を増やすか、である。
「既に近衛明日香だけで100人程度は生んでいる。また、その100人も成人し、既に繁殖を開始している」
このままいけば近いうちに万を超えるだろうことは想像に難くない。
だが、アシュレイはそれだけでは満足しない。
億単位の、自分に仕える人間を彼女は欲した。
もっとも、既に近衛明日香をはじめとしたその娘達は人間とはいえない。
不老不死であり、産まれてくる子供は女か両性具有のどちらか。
そして、アシュレイへ疑問を持たぬよう、魂レベルでの強固な洗脳が施されている。
これらをやったのは全てアシュレイであり、一種の呪いである。
「種付け相手は淫魔でいいとアシュ様から聞いている……淫魔はあっちこっちで引っ張りだこ。ならばもっと淫魔を増やさねば……」
淫魔はあちらこちらで重宝されている。
アシュレイが造った吸血鬼一族、近衛明日香の一族、戦乙女族やメイド族、アマゾネス族の増加の為に。
また淫魔自体の数増やしの為にも淫魔は必要であり、更には地上から人間を連れてくるのも淫魔の役目。
教会堕落計画を行っていた淫魔達は既に戻ってきているとはいえ、数は常に不足していた。
「……最近、アシュ様とご無沙汰だ。とりあえず、似ている子を呼ぼう」
淫魔について考えると高ぶっていかん、とテレジアは思った。
「……アレは何かな、侯爵」
コンロンは困惑したかのような声にヘルマンは答える。
「アシュ様がお造りになられた吸血鬼の纏め役だそうだ。配下を引き連れて大名行列ではないかな」
地獄のどんよりとした空の下、カフェにてくつろいでいた2人。
ダイ・アモンはもっと強くなるために、としばらく前から加速空間に入っている。
2人の視線の先には綺麗な黄金の髪を長く伸ばし、美しい装飾がなされたドレスを纏った女性が多くの少女や女性を引き連れて歩いていた。
その様は威風堂々というよりかは傲慢。
通りかかる魔族に頭を下げるよう強要したりしている。
「何で彼女達はあんなに偉そうなのか?」
コンロンは問いかけた。
その問いにヘルマンは数秒の沈默の後に答える。
「自分達はアシュ様に造られた=他の魔族とは格が違う、とそんなところではないかな」
「アレがディアナ様辺りならやって当然であるが、あの程度でコレとは失笑もいいところだ」
コンロンはうんうんと頷きつつ告げる。
ヘルマンは苦笑してしまう。
「何、若気の至りさ。アシュ様か、もしくは誰かが教育するだろう」
強者は何をしても許される、そういう暗黙の了解がある地獄である。
だが、弱者が分不相応なことをやっていると色々と面白いことが起きる。
その弱者よりも強い輩……それも何故か圧倒的な程に力が強い者が出てきて教育するのだ。
絶対的強者は自分のことを強いと思い込んでいる輩を叩きのめし、その絶望を見るのが好きという連中が多い。
勿論、アシュレイもその例に洩れない。
それもそうだ、とコンロンは頷き紅茶を啜る。
彼は紳士であるので音を立てるなどということは当然しない。
「最近やってきた人間は興味深い術を使うらしいな」
ヘルマンの話題にコンロンはティーカップを置き、興味深げな視線を送る。
「いや、私も人づてに聞いただけなのだが、何でも東洋の術とかで西洋系ラテン語魔法とはまた異なるものだそうだ。魔法が肉体的損傷を与えることに主眼を置いているのに対し、東洋のそれは精神的損傷を与えることに主眼を置いているらしい」
「我々にとっては西洋系魔法よりも東洋系の方が効果はある。肉体など我らにとってただの付属物に過ぎない」
コンロンの言葉にヘルマンは頷き、言葉を紡ぐ。
「我らの肉体は物質を触る為だけにあるもの。ならばこそ、西洋系魔法の何と視野狭窄のことか」
「人間同士の戦いしか想定していないのだろう。元々は神魔が作ったものだ。人間はどんどん殺し合えばいい。我々も神々もそうなった方が都合がいい」
「全くだとも。良い家畜だ」
そして、暫しの沈默が訪れる。
だが、それもすぐに破られることになった。
コンロンがふと脳裏を過ぎった、とある懸念により。
「アシュ様は妙な情を出して人間に味方したりはしないだろうか? 今のままの接し方では問題があると思う」
ヘルマンはその言葉に顎に手を当て考えこむ。
長年、アシュレイを見てきた彼であるからこそ、コンロンの懸念は理解できる。
だが、彼にはその問いへの答えが既にあった。
「アシュ様は人類全ての味方ではない。あの御方に味方した人間に味方する。アシュ様が人類全ての味方になるときは人類全てがアシュ様のみを心から信仰したときだ」
そう言いつつ、ヘルマンは裏話としてコンロンにかつて、ハルマゲドンの発端となったソドムとゴモラについて話をする。
彼は上司であるベアトリクスから聞いていた。
ヘルマンから話を聞いたコンロンはならば問題はあるまい、と判断する。
アシュレイのやっていることは神々がやっている布教と似たようなことであった。
悪魔がやっても拒否されるのは目に見えているので誰もやっていないだけだ。
それを実行し、成果を上げていることがアシュレイの凄いところだ。
「ともあれ、我々はアシュ様についていけば問題はない。アシュ様は男を蛇蝎の如く嫌っているというわけでもない。男が女に手を出すのを最も嫌っている。ならばこれまで通りで何も問題ない」
「これまで通り仕事をして、こうして良いお茶を飲みながら語らう。それができれば私としては何も問題はない」
基本、淫魔を除けば性欲といったものが薄いのが魔族だ。
ただアシュレイの手にかかればそんな淡白な女魔族は一瞬で虜になってしまうのである。
「人類から見れば歪ではあるが、我々にとって子をなすのは性行為だけが手段ではないからな」
うむ、とコンロンは頷く。
所詮は肉体に縛られている人間の手段なのであった。
そして、そんな手段に快楽の為とはいえ縛られているアシュレイもまた、何だかんだで人間としての部分を捨て切れていなかった。
「ああ、忘れていたが彼女らの件はアシュ様に一応報告しておこう」
ヘルマンの言葉にコンロンは同意とばかりに頷いたのだった。
一方その頃、エヴァンジェリンは暇であった。
教会の主だった連中は既にこの世にはおらず、彼女の復讐は終了している。
適当に日々の業務をこなしつつ、ソフィアと寝て、人形作りや読書に励む。
東欧の城とあまり変わらない日々であった。
ただ、アシュレイからの警告により、いつでも地獄に逃げ出す準備はできている。
教会に寄付される金銀財宝などは教皇権限で自分のものとし地獄へ移動させてある。
あとは彼女とソフィアだけ転移すればいい。
さすがのエヴァンジェリンも降臨してくる無数の天使達とやりあう自信はない。
とはいえ、彼女の地上侵攻は極めて順調であり、最近では先鋒がアフリカの中央にまで達した。
インドや中国方面、シベリア方面は手を出していないが、それも時間の問題といえる。
しかし、ヨーロッパはジャンヌ・ダルクが生まれ、ある程度育つまでは手出しが禁止されているのがエヴァンジェリンには歯がゆかった。
唐突にエヴァンジェリンは強烈なめまい覚え、また耳鳴りがし始めた。
幸いにも彼女は椅子に座っていたが為に転倒するということはなかった。
数秒してめまいと耳鳴りはやってきたときのように唐突に去っていった。
立ち上がるのも億劫だが、彼女は気力でもって椅子から立ち上がり、おもむろに窓から空を見上げる。
青空がどこまでも広がっている。
だが、風が全くなく、いつもならば聞こえる動物達の鳴き声なども一切聞こえない。
「静かだ……静か過ぎる」
その声は僅かな緊張を孕んでいる。
すぐさま彼女は隣室にいるソフィアを呼ぶ。
「どうかしましたか?」
綺羅びやかなドレスを身に纏ったソフィアが現れた。
彼女は先程のめまいや耳鳴りが無かったのか、平然としている。
「逃げるぞ。嫌な予感がする」
問答は無用とばかりにエヴァンジェリンは告げる。
ソフィアとしても彼女に疑問を言えるような立場ではない。
彼女が頷いたそのときであった。
空が一面黄金に染まった。
そして、襲いかかる重圧。
エヴァンジェリンはややよろめきつつも、それに耐え、倒れそうになっているソフィアを抱きかかえる。
どこからともなく天に木霊する聖歌。
身を焼かれるような痛み。
それらなどは些細なことであった。
エヴァンジェリンは現れてくるその存在達をまっすぐに見据える。
「天使……」
呟いたその一言。
視線は空から動かない。
空一面に描かれた無数の五芒星陣と共に次々に現れる天使達。
十羽一絡とされている彼らを、エヴァンジェリンのボスはハルマゲドン後ののんびりしていたとき、以下のように評価している。
全宇宙で最も強く、最も美しく、最も無慈悲な光の軍団
何をしにきたのかはもはや言うまでもない。
地球に蔓延る悪とそれに誑かされた人間共を討伐せんと降臨したのだ。
数秒もしないうちに自分のところにやってくるだろうことはエヴァンジェリンにはすぐに分かった。
だが、逃げる準備は万端。
「バカな天使共め」
エヴァンジェリンは嘲りの口調で空にある彼らに言い、すぐさま転移魔法を発動。
妨害されることなく魔法は発動し、彼女は地獄へと帰還した。
だが、エヴァンジェリンは大事なことを忘れていた。
下位の天使達の知覚能力もまたエヴァンジェリンに引けをとらず、また上級三隊クラスでは実力的にも上回ることを、そして彼らの技術は地獄のそれよりもやや劣る程度であるということを。
神界にある中央司令所。
そこではウリエルが目を光らせていた。
かつてハルマゲドンにおいて中心的役割を取ったこの司令所であるが、大戦終了後からしばらくはだらけきった空気であった。
だが今は久々の対悪魔の仕事故にその空気は引き締まっている。
「ウリエル様、対象の吸血鬼が逃げ出しました」
オペレーターの言葉にウリエルは僅かに頷き、続報を静かに待つ。
熾天使ですらも対象の吸血鬼――エヴァンジェリンについては知らなかった。
勿論、現れた当初から情報収集をしているとはいえ、どこの誰と繋がっているのかはさっぱり分からなかったのだ。
一応、エヴァンジェリンはかつてのレイチェル奪還作戦時にグレゴールの城にいたのだが、魔界はともかくとして神界はレイチェルとアシュタロスのみに目がいっていた為に彼女がいたことを知らない。
地球上で吸血鬼が誕生するというのは魔法を授けたときに想定された事態。
だが、その吸血鬼はあくまで人間から進化したちょっと強い程度で止まる存在であった。
それ以上となるには恐ろしい年月を修行に費やさねばならない。
しかし、蓋を開けてみれば下手をすれば上級魔族にも匹敵する強さを持っていた。
どこかの誰かが手助けしたことは間違いない。
そして、そんな手助けをすることができる存在もまた限られている。
というよりも、ウリエルとしては誰だか検討がついていた。
もっとも彼ならずとも大なり小なり、上位天使ならば誰が黒幕かは容易に想像がついた。
先の信仰乗っ取り、アレと連動した計画であれば納得もいく。
そう、アシュタロスだ。
「転移進路判明しました。地獄の最下層、ジュデッカです」
そこまでしか分からないが、それで十分に過ぎる。
最下層に居を構える魔王は少ない。
サタン、ベルゼブブ、アシュタロス。
この3人であり、うち前者2人はわざわざこんな真似はしない。
ウリエルは頷き、踵を返す。
「地上に行っているミカエル達に連絡を。私は最高指導者様に伝える」
また彼女か、と若干うんざりしているウリエルであった。
そして、これより数時間後。
エヴァンジェリンが連れてきた吸血鬼兵士達は根こそぎ殲滅され、また悪に堕ちた人間達のうち、特に心が醜悪な者に見せしめとして罰を与え、天使達は地球から引き上げた。
これにより人類は神の存在を強く認識し、また偽りの神に祈っていたことを理解した。
本物の神を祈っていたならば、天使が罰を与えにくる筈がないのだ。
それから数日後、地上ではある噂が流れた。
それは全てを仕組んだのはアシュタロスであり、自らが信仰を得る為にやった、というものであった。
あの恐怖公が、という思いに取り憑かれた人間達は事の真贋を確認する術を持たないので、そのまま信じてしまった。
噂を流したのは他ならぬアシュレイ本人であることは言うまでもない。
そして、これによりアシュタロスの名は蛇蝎の如く忌み嫌われると同時に恐怖されることとなった。
また、神学の分野においてアシュタロスはサタンと同等であり、地獄を二分する存在、もしくはサタン=アシュタロスと同一視され始める。
全てはアシュレイの思惑通りであり、彼女はまた勝利してしまった。
テレジアは上がってきた書類を見つつ、アシュレイがやったことについて素直に感想を述べた。
近衛明日香はもはや地上にはおらず。
彼女はアシュレイによって造られた専用の加速空間にて子作りに励んでいるところだ。
勿論、人間の体のままではなく繁殖に最適化されている。
強い力を持った人間を繁殖する、というのはこれまでにない試みである。
神々との戦争には弱すぎて使えないが、それでも地上で人間社会において暗躍するというのならば最適だ。
アシュレイがこれまでに集めた孤児達は力を持つ者もいるが、その数は全体から見れば少ない。
また、それらはいわゆる特殊能力であり、一代限りのものであって陰陽術のように連綿と受け継がれる代物ではない。
ならばこその今回の試みといえよう。
「とはいえ、中々に気骨がある人間であったらしいが……また何故魅了の魔眼を使ったのだろうか」
報告は受けておらずとも、だいたいの症状でアシュレイが何をしたか分かる。
近衛紅葉が長にならなければ将来的に面倒なことになるのであるが故のアシュレイの行動。
とはいえ、それは無意識的なものであった。
彼女の表面的理由としては面倒くさかったから、というものが挙げられるが、それでもたかだか人間1人に魔眼はおかしい。
加減を誤れば一瞬で精神そのものを壊してしまう。
魔王であるアシュレイの精神へ干渉ができる者は極めて少ない。
同格か、世界か。
そのどちらかが挙げられるが、いずれにせよその干渉は強制力という形でもってアシュレイは明確に感知できる。
しかし、彼女に感知されることなく精神的干渉を行うとなればもはやそれは次元の桁が違う。
とはいえ……とある大前提がある。
それは上位の神魔族は平行世界に同時に存在する、というもの。
つまり、他世界のアシュレイからの干渉であればこの世界のアシュレイは明確に感知できない。
何しろ同一存在なのだから、ちょっと気分が変わった程度にしか感じられないのだ。
近衛紅葉が長にならず、近衛明日香が長になった場合……それを体験した世界が既にあり、その世界のアシュレイが極めてまずいと判断したが故の他世界への干渉。
それがあり得る話であった。
とはいえ、ただの使い魔に過ぎないテレジアに関してはそういったことも雲の上の話。
彼女の課題はどれだけ効率的に近衛明日香の一族を増やすか、である。
「既に近衛明日香だけで100人程度は生んでいる。また、その100人も成人し、既に繁殖を開始している」
このままいけば近いうちに万を超えるだろうことは想像に難くない。
だが、アシュレイはそれだけでは満足しない。
億単位の、自分に仕える人間を彼女は欲した。
もっとも、既に近衛明日香をはじめとしたその娘達は人間とはいえない。
不老不死であり、産まれてくる子供は女か両性具有のどちらか。
そして、アシュレイへ疑問を持たぬよう、魂レベルでの強固な洗脳が施されている。
これらをやったのは全てアシュレイであり、一種の呪いである。
「種付け相手は淫魔でいいとアシュ様から聞いている……淫魔はあっちこっちで引っ張りだこ。ならばもっと淫魔を増やさねば……」
淫魔はあちらこちらで重宝されている。
アシュレイが造った吸血鬼一族、近衛明日香の一族、戦乙女族やメイド族、アマゾネス族の増加の為に。
また淫魔自体の数増やしの為にも淫魔は必要であり、更には地上から人間を連れてくるのも淫魔の役目。
教会堕落計画を行っていた淫魔達は既に戻ってきているとはいえ、数は常に不足していた。
「……最近、アシュ様とご無沙汰だ。とりあえず、似ている子を呼ぼう」
淫魔について考えると高ぶっていかん、とテレジアは思った。
「……アレは何かな、侯爵」
コンロンは困惑したかのような声にヘルマンは答える。
「アシュ様がお造りになられた吸血鬼の纏め役だそうだ。配下を引き連れて大名行列ではないかな」
地獄のどんよりとした空の下、カフェにてくつろいでいた2人。
ダイ・アモンはもっと強くなるために、としばらく前から加速空間に入っている。
2人の視線の先には綺麗な黄金の髪を長く伸ばし、美しい装飾がなされたドレスを纏った女性が多くの少女や女性を引き連れて歩いていた。
その様は威風堂々というよりかは傲慢。
通りかかる魔族に頭を下げるよう強要したりしている。
「何で彼女達はあんなに偉そうなのか?」
コンロンは問いかけた。
その問いにヘルマンは数秒の沈默の後に答える。
「自分達はアシュ様に造られた=他の魔族とは格が違う、とそんなところではないかな」
「アレがディアナ様辺りならやって当然であるが、あの程度でコレとは失笑もいいところだ」
コンロンはうんうんと頷きつつ告げる。
ヘルマンは苦笑してしまう。
「何、若気の至りさ。アシュ様か、もしくは誰かが教育するだろう」
強者は何をしても許される、そういう暗黙の了解がある地獄である。
だが、弱者が分不相応なことをやっていると色々と面白いことが起きる。
その弱者よりも強い輩……それも何故か圧倒的な程に力が強い者が出てきて教育するのだ。
絶対的強者は自分のことを強いと思い込んでいる輩を叩きのめし、その絶望を見るのが好きという連中が多い。
勿論、アシュレイもその例に洩れない。
それもそうだ、とコンロンは頷き紅茶を啜る。
彼は紳士であるので音を立てるなどということは当然しない。
「最近やってきた人間は興味深い術を使うらしいな」
ヘルマンの話題にコンロンはティーカップを置き、興味深げな視線を送る。
「いや、私も人づてに聞いただけなのだが、何でも東洋の術とかで西洋系ラテン語魔法とはまた異なるものだそうだ。魔法が肉体的損傷を与えることに主眼を置いているのに対し、東洋のそれは精神的損傷を与えることに主眼を置いているらしい」
「我々にとっては西洋系魔法よりも東洋系の方が効果はある。肉体など我らにとってただの付属物に過ぎない」
コンロンの言葉にヘルマンは頷き、言葉を紡ぐ。
「我らの肉体は物質を触る為だけにあるもの。ならばこそ、西洋系魔法の何と視野狭窄のことか」
「人間同士の戦いしか想定していないのだろう。元々は神魔が作ったものだ。人間はどんどん殺し合えばいい。我々も神々もそうなった方が都合がいい」
「全くだとも。良い家畜だ」
そして、暫しの沈默が訪れる。
だが、それもすぐに破られることになった。
コンロンがふと脳裏を過ぎった、とある懸念により。
「アシュ様は妙な情を出して人間に味方したりはしないだろうか? 今のままの接し方では問題があると思う」
ヘルマンはその言葉に顎に手を当て考えこむ。
長年、アシュレイを見てきた彼であるからこそ、コンロンの懸念は理解できる。
だが、彼にはその問いへの答えが既にあった。
「アシュ様は人類全ての味方ではない。あの御方に味方した人間に味方する。アシュ様が人類全ての味方になるときは人類全てがアシュ様のみを心から信仰したときだ」
そう言いつつ、ヘルマンは裏話としてコンロンにかつて、ハルマゲドンの発端となったソドムとゴモラについて話をする。
彼は上司であるベアトリクスから聞いていた。
ヘルマンから話を聞いたコンロンはならば問題はあるまい、と判断する。
アシュレイのやっていることは神々がやっている布教と似たようなことであった。
悪魔がやっても拒否されるのは目に見えているので誰もやっていないだけだ。
それを実行し、成果を上げていることがアシュレイの凄いところだ。
「ともあれ、我々はアシュ様についていけば問題はない。アシュ様は男を蛇蝎の如く嫌っているというわけでもない。男が女に手を出すのを最も嫌っている。ならばこれまで通りで何も問題ない」
「これまで通り仕事をして、こうして良いお茶を飲みながら語らう。それができれば私としては何も問題はない」
基本、淫魔を除けば性欲といったものが薄いのが魔族だ。
ただアシュレイの手にかかればそんな淡白な女魔族は一瞬で虜になってしまうのである。
「人類から見れば歪ではあるが、我々にとって子をなすのは性行為だけが手段ではないからな」
うむ、とコンロンは頷く。
所詮は肉体に縛られている人間の手段なのであった。
そして、そんな手段に快楽の為とはいえ縛られているアシュレイもまた、何だかんだで人間としての部分を捨て切れていなかった。
「ああ、忘れていたが彼女らの件はアシュ様に一応報告しておこう」
ヘルマンの言葉にコンロンは同意とばかりに頷いたのだった。
一方その頃、エヴァンジェリンは暇であった。
教会の主だった連中は既にこの世にはおらず、彼女の復讐は終了している。
適当に日々の業務をこなしつつ、ソフィアと寝て、人形作りや読書に励む。
東欧の城とあまり変わらない日々であった。
ただ、アシュレイからの警告により、いつでも地獄に逃げ出す準備はできている。
教会に寄付される金銀財宝などは教皇権限で自分のものとし地獄へ移動させてある。
あとは彼女とソフィアだけ転移すればいい。
さすがのエヴァンジェリンも降臨してくる無数の天使達とやりあう自信はない。
とはいえ、彼女の地上侵攻は極めて順調であり、最近では先鋒がアフリカの中央にまで達した。
インドや中国方面、シベリア方面は手を出していないが、それも時間の問題といえる。
しかし、ヨーロッパはジャンヌ・ダルクが生まれ、ある程度育つまでは手出しが禁止されているのがエヴァンジェリンには歯がゆかった。
唐突にエヴァンジェリンは強烈なめまい覚え、また耳鳴りがし始めた。
幸いにも彼女は椅子に座っていたが為に転倒するということはなかった。
数秒してめまいと耳鳴りはやってきたときのように唐突に去っていった。
立ち上がるのも億劫だが、彼女は気力でもって椅子から立ち上がり、おもむろに窓から空を見上げる。
青空がどこまでも広がっている。
だが、風が全くなく、いつもならば聞こえる動物達の鳴き声なども一切聞こえない。
「静かだ……静か過ぎる」
その声は僅かな緊張を孕んでいる。
すぐさま彼女は隣室にいるソフィアを呼ぶ。
「どうかしましたか?」
綺羅びやかなドレスを身に纏ったソフィアが現れた。
彼女は先程のめまいや耳鳴りが無かったのか、平然としている。
「逃げるぞ。嫌な予感がする」
問答は無用とばかりにエヴァンジェリンは告げる。
ソフィアとしても彼女に疑問を言えるような立場ではない。
彼女が頷いたそのときであった。
空が一面黄金に染まった。
そして、襲いかかる重圧。
エヴァンジェリンはややよろめきつつも、それに耐え、倒れそうになっているソフィアを抱きかかえる。
どこからともなく天に木霊する聖歌。
身を焼かれるような痛み。
それらなどは些細なことであった。
エヴァンジェリンは現れてくるその存在達をまっすぐに見据える。
「天使……」
呟いたその一言。
視線は空から動かない。
空一面に描かれた無数の五芒星陣と共に次々に現れる天使達。
十羽一絡とされている彼らを、エヴァンジェリンのボスはハルマゲドン後ののんびりしていたとき、以下のように評価している。
全宇宙で最も強く、最も美しく、最も無慈悲な光の軍団
何をしにきたのかはもはや言うまでもない。
地球に蔓延る悪とそれに誑かされた人間共を討伐せんと降臨したのだ。
数秒もしないうちに自分のところにやってくるだろうことはエヴァンジェリンにはすぐに分かった。
だが、逃げる準備は万端。
「バカな天使共め」
エヴァンジェリンは嘲りの口調で空にある彼らに言い、すぐさま転移魔法を発動。
妨害されることなく魔法は発動し、彼女は地獄へと帰還した。
だが、エヴァンジェリンは大事なことを忘れていた。
下位の天使達の知覚能力もまたエヴァンジェリンに引けをとらず、また上級三隊クラスでは実力的にも上回ることを、そして彼らの技術は地獄のそれよりもやや劣る程度であるということを。
神界にある中央司令所。
そこではウリエルが目を光らせていた。
かつてハルマゲドンにおいて中心的役割を取ったこの司令所であるが、大戦終了後からしばらくはだらけきった空気であった。
だが今は久々の対悪魔の仕事故にその空気は引き締まっている。
「ウリエル様、対象の吸血鬼が逃げ出しました」
オペレーターの言葉にウリエルは僅かに頷き、続報を静かに待つ。
熾天使ですらも対象の吸血鬼――エヴァンジェリンについては知らなかった。
勿論、現れた当初から情報収集をしているとはいえ、どこの誰と繋がっているのかはさっぱり分からなかったのだ。
一応、エヴァンジェリンはかつてのレイチェル奪還作戦時にグレゴールの城にいたのだが、魔界はともかくとして神界はレイチェルとアシュタロスのみに目がいっていた為に彼女がいたことを知らない。
地球上で吸血鬼が誕生するというのは魔法を授けたときに想定された事態。
だが、その吸血鬼はあくまで人間から進化したちょっと強い程度で止まる存在であった。
それ以上となるには恐ろしい年月を修行に費やさねばならない。
しかし、蓋を開けてみれば下手をすれば上級魔族にも匹敵する強さを持っていた。
どこかの誰かが手助けしたことは間違いない。
そして、そんな手助けをすることができる存在もまた限られている。
というよりも、ウリエルとしては誰だか検討がついていた。
もっとも彼ならずとも大なり小なり、上位天使ならば誰が黒幕かは容易に想像がついた。
先の信仰乗っ取り、アレと連動した計画であれば納得もいく。
そう、アシュタロスだ。
「転移進路判明しました。地獄の最下層、ジュデッカです」
そこまでしか分からないが、それで十分に過ぎる。
最下層に居を構える魔王は少ない。
サタン、ベルゼブブ、アシュタロス。
この3人であり、うち前者2人はわざわざこんな真似はしない。
ウリエルは頷き、踵を返す。
「地上に行っているミカエル達に連絡を。私は最高指導者様に伝える」
また彼女か、と若干うんざりしているウリエルであった。
そして、これより数時間後。
エヴァンジェリンが連れてきた吸血鬼兵士達は根こそぎ殲滅され、また悪に堕ちた人間達のうち、特に心が醜悪な者に見せしめとして罰を与え、天使達は地球から引き上げた。
これにより人類は神の存在を強く認識し、また偽りの神に祈っていたことを理解した。
本物の神を祈っていたならば、天使が罰を与えにくる筈がないのだ。
それから数日後、地上ではある噂が流れた。
それは全てを仕組んだのはアシュタロスであり、自らが信仰を得る為にやった、というものであった。
あの恐怖公が、という思いに取り憑かれた人間達は事の真贋を確認する術を持たないので、そのまま信じてしまった。
噂を流したのは他ならぬアシュレイ本人であることは言うまでもない。
そして、これによりアシュタロスの名は蛇蝎の如く忌み嫌われると同時に恐怖されることとなった。
また、神学の分野においてアシュタロスはサタンと同等であり、地獄を二分する存在、もしくはサタン=アシュタロスと同一視され始める。
全てはアシュレイの思惑通りであり、彼女はまた勝利してしまった。