捨てられた者達の復讐劇

 エヴァンジェリンは見つめる。
 天空にある紅い満月を。
 エヴァンジェリンは見つめる。
 眼下にいる自らの軍勢を。

 月明かりに照らされる、反射する鉄兜。
 滑らかな曲線を描く、耳まで保護するようなタイプの鉄兜はこの時代の人間には到底作り得ない。

 彼女は口元を歪め、そして、発した。

「諸君、万願成就の夜がきた! これより地上侵攻を、バルバロッサを開始する! 思う存分に殺し、食い散らかせ!」

 地を唸らせるような雄叫びが響き渡る。
 これより彼らは進撃する。

 向かう先はマクダウェル領。
 ここよりたった数kmのところに存在する。
 


 時は1390年、6月22日午前0時。
 表も裏も関係なく、人類の歴史に刻まれる暗黒時代の幕開けであった。








 ソフィアは今か今か、と自室でそわそわしていた。
 エヴァンジェリンから6月22日に事を起こす、と聞いている。
 もはや彼女の心は完全にエヴァンジェリンに移っており、夫も息子も、もはや眼中になかった。
 勿論、バレないように表面上はうまく取り繕っている。


 そのときであった。
 轟音が響いたのは。


 ソフィアは窓に飛びつき、外を眺めた。
 外に見えるのは巨大な氷柱。
 それが地面から生えていた。

 ソフィアは遠見の魔法を使い、城下町の様子をつぶさに観察して……後悔した。
 大勢の見慣れぬ服を纏った集団が、恐ろしい速さで人間を食い殺しているのだ。 
 氷柱が落ちたときの音で住民は嫌でも起きる。
 何事だ、と家から飛び出した彼らを出迎えたのは化物の大群であった。


「ソフィア!」

 ノックもせずに血相を変えて駆けこんできたのはグレイス。
 そんな彼にゆっくりとソフィアは振り返る。

「化物の大群だ。おそらくアシュタロスの手の者だろう。先ほど騎士団と魔導騎士団に出撃命令を下した。お前は戦闘に参加せずに怪我人を手当てしてくれ」

 戦闘から後方支援までソフィアはこなすことができる。
 故に有事には非常に有り難い存在だ。
 だが、それも今日で終わる。

「残念だけど、それはもうできないわ」

 微笑み、そう彼女は告げた。

「ソフィア……?」

 様子がおかしい彼女にグレイスは訝しげな視線を送る。

「もう終わりなの。私は嫌っていたあの子に全てを捧げることにしたの」

 ソフィアの言葉にグレイスは首を傾げる。
 彼からすれば何が何だかさっぱりであった。
 瞬間、彼は感じる。
 巨大な魔力を。

 ゆっくりと背後を振り返れば、そこには……



「エヴァンジェリン……だと……」

 12、3歳程度にまで成長したエヴァンジェリンの姿があった。
 彼女はところどころ宝石が散りばめられた美しいドレスを身に纏っており、その紅い瞳はグレイスではなくソフィアを見ていた。

「ソフィア」

 エヴァンジェリンが名を呼べば、ソフィアは懐から一通の手紙を取り出し、それをグレイスへと渡す。
 状況が飲み込めないまま、彼はその手紙を受け取り、目を通し……


「離縁状だと! どういうことだ!」

 エヴァンジェリンに、ソフィアに彼は怒鳴った。
 そんな彼を無視し、エヴァンジェリンはさっさとソフィアに若返り薬を飲ませてしまう。
 みるみる若返り、18歳程度になったソフィアは実に美しかった。
 エヴァンジェリンと同じ金色の髪は傷んだところはまるでなく、その肌に皺やシミも一つとしてない。
 そして、ソフィアは不老不死の薬を呷った後、ゆっくりとエヴァンジェリンの下へ。

「グレイス……あなた、男として最悪だったわ。息子ができてから抱いてもくれない」

 そんな彼の顔は既にトマトのように真っ赤である。

「でも、エヴァは違うわ……私の愛しいエヴァ……ああ、過去の私はなんて愚かだったんでしょう……」

 そう言いながらソフィアはエヴァンジェリンを抱きしめ、その頬に口づけする。

「ま、そういうことだ。オトウサマ? これが私の復讐だ」

 そして、グレイスが何かするよりも早く、エヴァンジェリンは遅延させてあった魔法を発動した。

 グレイスの魔法障壁をあっさりと貫通し、その体を無数の氷柱が貫く。
 彼は苦痛に顔を歪めつつも、エヴァンジェリンを見る。
 そんな彼にエヴァンジェリンはにっこりと笑った。

「売ってくれてありがとう。おかげで私は人間的な苦痛の全てから解放された。アシュタロスという強大な魔王の庇護下に入ることもできた。ちっぽけな領地しかないここよりも、遙かに贅沢ができた。ここまで娘の幸せを考えるなんて、大した親だ!」

 エヴァンジェリンはくつくつと笑う。
 痛烈な皮肉であった。
 そして、彼女は新たな余興を思いつく。

「ソフィア、その男はお前が殺せ」
「はい、エヴァ……私の愛しい人……」

 エヴァンジェリンの唇に自身のものを重ねた後、ソフィアはゆっくりとグレイスに近づいた。

「ソフィア……!」

 恐怖でもなく、怯えでもなく、ただ怒りを向けるグレイス。
 彼からすれば酷い裏切りであった。
 魔法使いが、魔物に魅了されるなど、あってはならないことなのだから。

「さようなら」

 だが、彼がいくらそう思ったところで、今の状況を好転させることはできない。
 ソフィアは聖母のように微笑み、彼の頭を魔法でもって潰した。



 エヴァンジェリンはその様子をニヤニヤと笑いながら見ていた。
 彼女は一仕事終えたソフィアに告げる。

「私の弟はどこに?」
「おそらく、魔導騎士団を率いて戦っている筈です」
「そうか……若返り薬は記憶などの一部を除き、全てを当時のままに戻す。今、お前は処女だな?」

 唐突な問いにも関わらずソフィアは頷く。

「魔法でいつでも処女に戻せる。ならばこそ、楽しまねば損。弟の前で、お前の息子の前でお前の処女を奪ってやろう。そして、言え。私のものとなったことをな」

 ソフィアはそのことを想像したのか、瞳を潤ませる。
 その息は少し荒い。
 それを見たエヴァンジェリンは軽蔑の視線を彼女にプレゼントし、さらに告げる。

「ふん、とんだ変態だ。こんなものが私の母親で、そして伴侶だとはな」
「エヴァ……もっと……もっと言ってください……」

 お願いしてきたソフィアにエヴァンジェリンは盛大に溜息を吐く。
 本気で言ったのだが、どうやらそういった類は通用しないらしかった。
 気を取り直し、エヴァンジェリンは告げる。

「ともかく、さっさと行くぞ」

 彼女はソフィアをお姫様抱っこすると、その場から転移したのだった。



 そして、これから数十分後、エヴァンジェリンは当初の目標を達成した。
 弟の前で母を抱き、領民全てを皆殺しにしマクダウェル領を完全に手中に収めたのだった。










 エヴァンジェリンが恐怖と絶望を振りまいている頃、レイチェルはあるものを睨んでいた。
 彼女が睨んでいるのは名簿。
 厚さ数cmにも達するそれには無数の名前と共に顔写真が貼られている。

 レイチェルはエヴァンジェリンと同じようで全く違う部隊を持つこととなった。
 アシュレイのいつもの思いつき……ではなく、ちゃんとした考えがある。
 21世紀の人間社会ともなれば、おおっぴらにドンパチはできない。
 ならばこそ、迅速正確に目標を制圧することができる部隊が必要となる。

 人間社会を裏から支配しようと企むアシュレイにとって、こっそりと行動できる部隊は必須だ。


「……数人は決まったのだけど」

 レイチェルは溜息を吐いた。
 人間牧場から、あるいは地獄中央市場から、そして、教会堕落計画によって造られた数多の孤児院や修道女学校から引き抜いていた。
 数十人は既に確定している。勿論、全て女性だ。
 だが、それだけの人数では到底足りない。

「よぉ、何悩んでるんだ?」

 そんな声がレイチェルに聞こえた。
 彼女は名簿から、その声の主へと視線を移す。
 そこには小麦色の肌にクリーム色の髪をした10代後半程度の少女が立っていた。
 彼女は確定した数十人のうちの1人だ。

「ライカ、部屋に入るときはノックをするように、と言った筈でしょう?」

 コメカミを押さえつつ、そう注意するレイチェル。
 気にしない気にしない、と言い、ライカはレイチェルの名簿を勝手に奪ってしまう。

「……一応、私はあなたの上司なのですけど」
「ああ、そうらしいな。で、悩める上司を助けてやろう、と暇をしている私がやってきたわけだ」
「カレンは?」
「姉さんなら訓練してるよ」

 そう答えつつもライカは名簿から視線を離さない。

「無口で無表情で生真面目な姉とは違って、双子の妹のあなたは何でそうも……」
「アシュ様の自由なところを真似た。アシュ様は心から尊敬するし感謝するよ」

 にかっと笑ってみせるライカ。
 彼女は姉のカレンと共に餓死寸前のところをアシュレイの孤児院に入れられ、そこでたっぷりとアシュレイの素晴らしさを教わった結果、ここにいる。
 最も、未だに彼女達姉妹とアシュレイに面識はなかったりする。

「アシュ様は確かに偉大な御方ですが、それはあの方だから許されることであって……」
「固いことは言いっこなし……このメリーとかいう子はどうだ? 可愛い少女じゃないか」

 ライカの目に止まったのは満面の笑みを浮かべている少女。
 だが、その表情はどこかおかしい。

「その子はアシュ様が暗殺者に育てるから駄目ですよ。私メリーさん、あなたの後ろにいるの……とかアシュ様が仰ってました」

 ライカは訳がわからないと首を傾げる。

「この子は経歴を見る限りだと、いい親に恵まれなかったようですね。両親は魔法使いで貴族。他界した父親の後を継いで、領主となった母親が彼女の行動を全てコントロールし、お人形扱いしていたそうです」

 うげ、とライカは嫌な表情をみせる。

「アレも駄目、コレをしろとかで、できなかったら暴行を加える、と」
「親とか面倒くさくていかんな。私らは親の顔も知らないけど」

 うんうんと頷くライカ。
 彼女達姉妹は物心ついたときには既に浮浪児となっていたからだ。

「で、ある日、下男が花壇で雑草を刈っているところを見て閃いたのか、考えついたのか知りませんが、鎌で寝ている母親を惨殺し、さらに屋敷にいた下男下女全員を皆殺しにしたそうです」
「そんなことできるのか?」

 ライカの疑問は最もだ。
 幾ら武器を持っているからとはいえ、何人かで束になってかかれば取り押さえることは可能である。

「魔法も習っていたそうで、身体能力を強化して根こそぎ首を狩ったそうです」
「あー、それなら仕方がないな」
「まだ続きがありまして……地獄にやってきた彼女はアシュ様と会って、色々した結果、特殊な能力を身につけ、今に至ります」
「いつ会ったんだ? 私ですらアシュ様と会ったことがないのに」
「3月だったと思います。私もその現場におりましたので」

 そう言うレイチェルをジト目でライカは見つめる。

「……私もアシュ様に会いたい」
「駄目です。正式に発足してからです」

 取り付く島もないレイチェルに溜息を吐くライカだった。

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