ニジは応接室でそわそわしていた。
そんな姉とは裏腹に妹のザジは平然としている。
ニジはこれからザジをアシュレイに紹介する。
いきなり大変な事態にならないかどうか、彼女としては冷や汗ものだ。
やがて、彼女がやってきた。
堂々と部屋に入ってくるアシュレイ。
彼女は10分程、レイニーデイ姉妹を待たせたが、彼女に文句を言うことは誰にもできない。
たとえ、どっかの国の元復興担当大臣であっても。
「アシュ様、こっちが私の妹のザジポヨ。今回は見学に来たポヨ」
「はじめまして、ザジです」
ぺこり、と頭を下げるザジにアシュレイはニジとザジに交互に視線をやっている。
「……双子?」
「はいポヨ。ちなみに私と契約しているポヨヨ。そして、私は妹と契約しているポヨ」
「契約……? ああ、あの魔法使いの従者とかそういうのね。なんでそんなことしてるの?」
アシュレイの純粋な疑問。
彼女からすればそんなことをする必要性が理解できなかった。
「どんなアーティファクトが出るか、気になったポヨ。実験ポヨ」
「こんなのが出ました」
ニジの言葉にザジが1枚のカードをアシュレイに差し出す。
ピエロのような衣装を纏ったザジの姿が描かれている。
「幻灯のサーカスが我々のアーティファクトポヨ。姉妹揃って同じものが出たポヨ」
「幻灯? 幻術でも見せるの?」
途端、アシュレイが不敵な笑みを浮かべた。
魔王である自分に掛けられるものならやってみろ、と言いたげである。
「いや、さすがにアシュ様クラスになると無理ポヨ。掛かったとしても、一瞬で解除されるポヨ」
降参とばかりに両手を挙げるニジ。
その様子にアシュレイは満足気な笑みを浮かべる。
一見、強さとか力とかに固執していないように見えるアシュレイだが、地獄において強さ=権力であるので、表には出さないものの、結構執着していたりする。
力が無ければ大きな勢力に呑み込まれてしまうのは必然。
好き勝手やるには力が無ければ駄目なのだ。
「で、ニジ……」
アシュレイはザジに視線をやりつつ、ニジに声を掛ける。
彼女が言わんとすることはニジには十分理解できた。
「アシュ様、ちょっとだけザジに席を外してもらっていいですポヨ?」
その言葉にアシュレイは頷く。
ニジはそそくさとザジを部屋の外に連れ出した後、すぐに戻り、扉に鍵を掛けた。
「お願いしますポヨ! 妹には手を出さないでくださいポヨ!」
深く頭を下げ、ニジはそう告げた。
アシュレイはニジの行動から、その言葉が出てくることは予想がついてた。
「姉妹丼って素敵じゃない。しかも双子なんて」
笑みを浮かべるアシュレイにニジは頭を下げたままだ。
そんな彼女に嗜虐心をくすぐられるアシュレイ。
「妹の為にそういうことするなんて、泣かせるじゃないの」
うんうん、と腕を組んで頷くアシュレイ。
一見、分かってくれたように思えるが、そうは問屋がおろさない。
「で、私から手を出さないと約束したところで、穴があるわ。ザジが自ら私を求めたら、その約束は意味がない。そして、私にはそうさせるだけの術が幾つもある」
アシュレイの言葉にニジは何も言わない。
言葉の穴を見つけ、自分に都合の良いように解釈するのは悪魔の常套手段だからだ。
「そうなった場合、あなたは私に裏切られたと感じ、私に牙を向く。あなたの妹思いの性格から考えて、それはとても確率が高い」
思わずニジは顔を上げた。
まじまじと彼女はアシュレイを見つめる。
そんな彼女にアシュレイは歌うように言葉を紡ぐ。
「だけど、私を倒すことは魂の牢獄抜きに考えても実力差から不可能。故にあなたは私を永久に封印する術を模索することになる。魔王になりたい魔神や、私のことが嫌いで堪らない神族、そして人間の手を借りて」
ニジは何も言わない。
じっとアシュレイを見つめている。
アシュレイは更に言葉を続ける。
「勿論、私が納得できるだけの理由をつけて、私の許可をもらって、あなたはきっと堂々と研究するわ。主神や魔王を永久封印する術は私としても知的好奇心がくすぐられる。私が許可を出さない筈がない」
一度言葉をそこで切り、ニジの反応を窺いつつ、アシュレイは再び口を開く。
「あなたはその術が完成するまで私に尻尾を振り続ける。私さえ倒せば妹は戻ってくる、と信じてね」
確信に満ちたアシュレイの言葉。
それも当然だ。
ニジがザジを大事にしていることはわざわざアシュレイに直談判していることから容易に知れる。
圧倒的格上の存在に、その場で殺されるかもしれない危険を冒して。
「妹思いなあなたはきっと視野狭窄に陥り、そうなってしまう。でも、ここで面白いショーが展開される。私を倒そうとするあなたに対し、妹が反抗する。ジレンマに悩みながらも、あなたは私へ謀反を起こす。そして最後は妹に討たれて死ぬ」
いい話ね、と楽しげにアシュレイは言った。
「ま、最後のあたりは事態を察知した私がザジを焚きつけ、力を与えるんだけども」
くすくすとアシュレイは笑う。
ニジの頬から一滴の汗が床に滴り落ちる。
アシュレイがザジに手を出した場合、非常にありうる未来であったからだ。
「全て……お見通しポヨか……?」
喘ぐようにニジが尋ねる。
「いえ、統計学に基づいてありうる未来を割り出し、最も確率の高いものを言ったただけよ。長年、付き合いのあるあなただから短時間で割り出せたわ」
何でもないように告げるアシュレイにニジは戦慄する。
確かに統計学に基づけばありうる未来を割り出すことは可能だ。
だが、それには膨大なデータと計算を必要とする。
それをたった数十秒で割り出してしまう、しかもニジ本人が大雑把に考えていたものと――妹に討たれる云々を除けば――全く同じものであった。
「私は過去と未来を見通す者よ。完全な未来予知や他人の過去を知るには寝ないと駄目だけど、ほぼ正確な未来や過去でいいなら、計算で割り出せるわ」
ニジはごくり、と唾を飲み込んだ。
今、彼女の目の前にいるのは紛れもなく魔王アシュタロスであった。
「ただ、そうなった場合、私にはとてもデメリットがあるわ」
アシュレイはそう前置きし、ゆっくりと告げる。
「ニジという優秀な技術者を失うことと、部下に謀反を起こされたとして私の株が下がること。それらとザジを天秤に掛ければ、私はザジに手を出すという選択肢を放棄せざるを得ないわ」
ニジは懐からハンカチを取り出し、汗を拭う。
緊張からか彼女の体は僅かに震えている。
「で、ニジ。ザジにちょっかいを掛けない代わりに、あなたにより手を出すことにする。それが妥協点よ」
「あ、ありがとうございますポヨ……妹に手を出さないなら何でもしますポヨ……」
深々とニジは頭を下げつつ、思う。
この方には勝てない、と。
「それじゃ、私は新しく入った子爵に会いに行くから。姉妹同士仲良くね」
手をひらひらさせて、アシュレイは転移していった。
彼女を見送り、ニジは深呼吸を数度し、呼吸を整える。
「恐ろしい方ポヨ……」
そんな言葉が口から零れ出たのだった。
そして、アシュレイはヘルマンの執務室にやってきた。
ここで新しく入った子爵が秘書をしている、と聞いているからだ。
彼女がノックをして入れば、そこにはヘルマンと彼より1回りは大きい男が立っていた。
「アシュ様、こちらが新しく入ったコンロン子爵です」
そう紹介するヘルマンに対し、アシュレイはコンロンを品定めする。
そして、彼女は告げる。
「中々見所があるじゃない。上級魔族の中堅といったところかしら」
「恐悦至極でございます。アシュ様の為に粉骨砕身、頑張らせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」
アシュレイの言葉に深々と頭を下げるコンロン。
そんな彼に彼女は満足気に頷く。
「アシュ様、事後承諾で大変申し訳ないのですが、彼を私の秘書としてよろしいでしょうか?」
「問題ないわ。あ、でも戦闘訓練はしっかりしておくように」
勿論です、と頷くヘルマンとコンロン。
「堕天使かしら?」
アシュレイの問いにコンロンは頷き、口を開く。
「サタン様のところで事務と現場で働いておりました。あなた様のことは常々気になっており、また親交があったヘルマン侯爵から是非に、と」
「何だか馬が合いそうね。見た目からして紳士っぽいし」
アシュレイの言葉にヘルマンが口を開く。
「アシュ様、子爵は地獄の社交界では知らぬ者がいない、という紳士です」
本物だったのか、とアシュレイは納得しつつ、告げる。
「ま、私としてはそういうのは一向に構わないわ。楽しくやって頂戴」
ヘルマンとコンロンが頭を下げる。
そんな2人を見つつ、アシュレイはそれじゃーね、と部屋を後にしたのだった。
これから数年後、彼らにもう1人加わり、アシュタロス陣営の男の実力者三羽烏と呼ばれることになるとは、このとき誰も思っていなかった。