復讐の始まり

「ふはははは!」


 エヴァンジェリンは笑っていた。
 そんな彼女にやれやれ、と溜息を吐く緑髪の小柄な少女がいた。



 時はあっという間に過ぎ去り、年が明けた1390年の初春。
 彼女とレイチェルは再び加速空間で鍛えられた。
 その際、2人共、部下の扱い方や指揮官として必要な心得なども叩き込まれた。

 そして、ついにアシュレイがGOサインを出した。

 6月22日をもって、地上侵攻作戦――バルバロッサ――が発動される。
 総兵力20万。その全てが吸血鬼だ。
 アシュレイはエヴァンジェリンが出てくる前から地上侵攻をやってみよう、と考えていたのでちょこちょこと集めていたのだ。
 全員を短時間で吸血鬼にするにはどうすればいいか、という問題はエヴァンジェリンの記憶にあったグレゴールの魔法を改良することで簡単に解決している。
 彼らは全員男であり、女は一切いない。
 アシュレイからすればちょうどいい使い捨ての駒であった。


 バルバロッサの前哨戦としてマクダウェル家を滅ぼす。
 20万の吸血鬼でもって。
 エヴァンジェリンの家系は元々はアイルランドであったのだが、そこでの勢力争いに破れ、1200年代にドイツへと逃げてきたのだ。
 ドイツでそれなりの勢力を誇っている彼女の家を潰すことは復讐を果たすだけでなく、地上侵攻の狼煙にちょうどいい。

 まあ、せいぜい人口2000人程度のちっぽけな城下町とちっぽけな城しか持たないマクダウェル領に20万の大軍は物理的に入りきらない可能性があるが。




「どうした、我が従者レイよ」
「いや、もういい……」

 笑い続けていたエヴァンジェリンはようやく近くにいる自分の従者が妙な視線を送っていることに気がついた。
 緑髪の少女の名はレイ。
 自分の身の回りの世話する者が欲しい、とエヴァンジェリンが創り上げた使い魔だ。
 チャチャゼロとアシュレイからとったレイのどちらかで悩んだエヴァンジェリンであったが、最終的にレイということに決めた。
 女の子にチャチャゼロという名前はないだろう、とエシュタルからツッコまれたこともある。
 
「……ふむ、ちょうどいい余興を思いついたぞ」

 エヴァンジェリンは唐突に閃いた。
 その閃いたことをアシュレイに告げる。
 彼女は須臾に地獄を見せよう、とこちらに戻ってきているのだ。

 数秒と経たずに返事があり、アシュレイは問題ない、とエヴァンジェリンの思いつきを許可した。

「レイ、私、結婚するんだ」
「ご主人、脈絡が無さ過ぎてわけわかんないぞ」
「ふふふ……何、アシュ様も身を固めることだ。ならば私もちょうどいい……」

 くっくっく、と笑う様はまさに悪。
 順調に成長しているようだ。


「というわけで結婚相手に挨拶してくる」
「ちょ、まっ」

 レイが止めるよりも早く、エヴァンジェリンはゲートを開いて地上へと転移してしまった。










 そして、エヴァンジェリンはやってきた……否、戻ってきた。
 彼女の故郷に。


 認識阻害魔法を自身に掛け、エヴァンジェリンは城へと忍びこむ。
 城には様々な結界が張られているが、今の彼女からすればそんなのは子供騙しも同然だ。
 簡単に改竄し、悠々と城の中を闊歩しつつ、情報収集に努める。
 下女も下男も兵士も誰も彼女に気づかず、様々な話をしている。
 そこで彼女は幾つかの気になる情報を2つ得た。

 弟が生まれて以来、父と母が性行為をしていないことと、最近、母が老いを気にしていることだ。



 やがてエヴァンジェリンは自分の部屋はどうなっているか気になり、見に行けばそこは物置と化していた。
 彼女はやれやれ、と溜息一つ、目的である花嫁の下へと向かう。


 花嫁は自室で鏡と向き合っていた。
 彼女は目元にできた皺を見、溜息を吐いていた。
 12年前は皺一つなく、またその美しかった金色の髪はところどころ傷んでいた。
 老いは魔法使いであっても逃れ得ぬものなのだ。

 エヴァンジェリンはそんな花嫁にくつくつと笑うと、部屋全体に強固な結界を張った。
 だというのに花嫁はまだ気づかない。
 魔法使いである筈なのに、だ。
 それもその筈、エヴァンジェリンの技量が人間と比べるのも愚かな遙かな高みにあるからだ。
 一流は魔法を使ったことを他者に気づかせない。


「やぁ、久しぶりだな。母様?」

 エヴァンジェリンは認識阻害を解き、親しげにそう声を掛けた。
 瞬間、花嫁――ソフィアは後ろを振り返り、驚愕の表情を浮かべた。

「私を死んだと思っていたのか? 悪いが、私はこの通りピンピンしているぞ?」

 そう言い、エヴァンジェリンは笑う。

「あなたは悪魔共に……!」

 ソフィアの言葉にエヴァンジェリンはあざ笑う。

「グレゴールの城を襲ったのは誰だと思う? レイチェルの信仰していたアシュタロスだ」

 エヴァンジェリンがその名を言った瞬間、室内だというのに底冷えのする冷気が漂い始めた。

「そんな……そんな馬鹿な! 聖書や神話に出てくる上位悪魔や神は有史以来確認されていないわ!」
「悪いが、事実だ。まあ、その他にも色々とあったが、もはや些末なことだ」

 エヴァンジェリンが一歩近づく。
 瞬間、ソフィアは魔法の射手を彼女目がけて放った。

 そして、ソフィアは絶望を目の当たりにした。

「ん? 何かしたか?」

 獲物を嬲るように嗜虐的な笑みを浮かべ、エヴァンジェリンは問いかける。
 確かに魔法の射手は彼女に直撃した。
 だが、それだけであった。

 彼女の皮膚を傷つけることすらできなかったのだ。

「さて、母様……いや、ソフィア。今日、お前に会いに来たのは他でもない……」

 エヴァンジェリンはそう言いながら、ソフィアの目の前までやってくる。

「父様とは私の弟が生まれて以来、やっていないのだろう?」
「な、何を……」

 怯えるソフィアの頬にエヴァンジェリンはその手を当てる。

「それに、お前は最近、老化を気にしているようだな。可哀想だ。そのドレスの下で雌の体を腐らせていく……だが、私ならお前を満足させられるだろう。両性具有にもなれるのでな……」

 そう言ったエヴァンジェリンは今度はソフィアの耳に口を寄せ、囁いた。

「吸血鬼にならないか? 老いも病もない。私は今、恐怖公の下にいるのだ。財産もお前の夫よりは余程ある。お前にもっと上等な絹のドレスを着せ、美しい宝石を纏わせることができる」

 エヴァンジェリンはアシュレイからテレジア達と同じように給料が支払われている。
 これは他の女魔族――淫魔を除く――も同じことだ。

 エヴァンジェリンの月給を現代の日本円に換算すれば350万円にもなる。
 これに夏と冬のボーナスが1200万程支払われる。
 ちなみに、待遇の悪さに堕天してきたフェネクスの月給は4300万円だったりする。


 ソフィアはまさに悪魔の囁きに心が揺れていた。
 吸血鬼になるなんて穢らわしい、と思う反面、自分の悩みを全て解決できるとも彼女は理解できた。
 エヴァンジェリンはその心の揺れを見透かしたように更に言葉を紡ぐ。

「よく考えてみろ。吸血鬼になったことで短所はどこにある? アシュ様の血には劣るが、私の血をお前に与えれば日光も流水も銀も十字架も効かない吸血鬼となれるだろう」
「で、でも……」

 なお言い募ろうとするソフィアにエヴァンジェリンはただ告げた。

「お前のそれはただの感情的な嫌悪でしかない。別に構わないだろう? 何を躊躇するのか?」

 そう言い、エヴァンジェリンはソフィアの反応を見るべく、耳元から顔を離した。

 ソフィアの碧い瞳とエヴァンジェリンの紅い瞳が交差する。
 そして、エヴァンジェリンはゆっくりと顔を近づけていく。

 ソフィアは何をされるか悟った。
 だが、彼女は拒否をしない。そう、彼女は決断したのだ。

 やがてエヴァンジェリンは実の母親であるソフィアに口づけた。
 それだけに留まらず、エヴァンジェリンは彼女の口内へと舌を侵入させ、蹂躙する。
 その情熱的なキスに久しく忘れていた雌としての昂ぶりをソフィアは感じ、エヴァンジェリンの舌に自らのものを絡みあわせる。


 室内に水音が木霊した。











 そして数分後、2人はどちらからともなく離れた。

「……一つだけ聞かせて欲しい」

 ソフィアの言葉にエヴァンジェリンは頷き、肯定する。

「何故、私を殺さずにそうするの?」

 エヴァンジェリンはある意味予想通りの問いに笑みを浮かべて答える。

「これが私の復讐になる。お前は自分の欲望の為に嫌った私と同じところに堕ちたのだ」

 そこで言葉を切り、ソフィアの反応を見つつエヴァンジェリンは更に続ける。

「精神的に屈服させるのは肉体的にそうするよりも遙かに気持ちが良い。ソフィア、お前は最後に父様の前で私のものとなったことを宣言してもらう……いや、私の上で腰を振るのを見せるのもいいかもしれんな」

 エヴァンジェリンはくつくつと笑い、そして問いかけた。

「お前は私のものとなることを誓うか?」

 最終確認だ。
 だが、エヴァンジェリンは確信していた。
 もうソフィアの心は決まっている、と。


 それは見事に的中していた。
 ソフィアは数秒の間をおいて、ゆっくりと告げる。

「私、ソフィア・マクダウェルはエヴァンジェリン・マクダウェルの永遠の伴侶となることを誓います……」

 エヴァンジェリンはあまりの愉快さに思わず大きな声で笑ってしまう。
 自分をあれだけ嫌悪し、叔父に売った相手が自分に尻尾を振って伴侶となることを誓ったのだ。
 こんな痛快なことは滅多にない。



 やがて笑いが収まったエヴァンジェリンは手近な椅子に座り、靴と靴下を脱ぎ、その白い足を露にする。

「私の足を舐めろ」

 その言葉にソフィアはゆっくりとエヴァンジェリンの前に座った。
 そして、彼女は両手で両足を抱えるように持ち、ゆっくりと口をつけ、舐め始めた。

「今、お前は何歳だったか……12年経っているから……ああ、40歳か。なら、お前を若返らせなければならないな。18歳……いや、16歳程度でいいか」

 ソフィアは思わず舐めるのを止め、顔をあげた。
 その表情は不安と喜びが入り交じったものだ。

「心配するな。若返り薬というものがあってな……ああ、そういえば不老不死の薬もあるな。ふむ……そうすると別にお前が吸血鬼になる必要もないか。ソフィアの碧い瞳が紅く染まるのも中々いいが、勿体無くもある」

 どっちがいい、とエヴァンジェリンは問いかけた。

「あなたのお好きなようにしてください」

 ソフィアの言葉にエヴァンジェリンは満足気に頷く。

「吸血鬼になると若干味が落ちると聞いた。ならば不老不死で人間のままでいいか」

 そんなエヴァンジェリンの声を聞きながら、ソフィアは再び奉仕を再開したのだった。

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