忍びの里にて


 天ヶ崎千奈の朝は早い。
 彼女は鶏が鳴くより早く起きだし、身を清め、瞑想を行う。
 頑張る彼女とは裏腹に、我らがアシュレイは布団でぐーすか寝ていた。



 そして数時間後の午前7時過ぎ。

 お腹を空かせた野良猫ならぬアシュレイはのそのそと布団から這いでて、ふらふらと居間へ向かう。
 居間では2人分の朝食が用意されていた。
 そこで寝ぼけ眼のアシュレイと千奈が対面。
 相変わらずのぐうたらぶりに千奈はため息一つ。

「明日菜、もうちょっとしゃきっとせんか」
「いーのいーの問題ないー」

 そう言うアシュレイに再び溜息を吐く千奈。
 彼女がアシュレイを式神にして早1ヶ月。
 あまりのぐうたらぶりにもう誰かに押し付けたい気分であった。
 ただ、アシュレイは生活費だけはしっかりと金塊で支払っているので千奈は文句も言えない。


 朝食を食べ始めて数分、アシュレイは唐突に口を開いた。

「今日は忍者に会ってみたい気分なので、ちょっと忍者探してくる」
「……あんさん、この前は鵺を探してくるとか言うてなかったか?」
「そういうこともあったわね」

 千奈は何度目になるか分からない溜息を吐く。
 結局、アシュレイは鵺を見つけてこなかったのだが、千奈の手を離れて勝手気ままに振舞う様はとてもではないが、使役しているとは言えない。

「ウチの言う事、聞いてくれるんやろな……?」
「代価の一つをもらってないもの。まだ完全には聞いてあげない」

 ぷいっとそっぽを向くアシュレイ。
 千奈はその顔を真っ赤に染める。

「あ、朝から何言うてるんや!」
「朝からそういうこともいいんじゃないかしら」
「アホ!」

 千奈はそう怒鳴ってみたものの、このままではいけないのは確実だ。
 彼女の家は両親がいた頃は陰陽の大手であり、公家でもある近衛家に勝るとも劣らない勢いであったが、その両親が妖怪に食い殺されて死亡した後、天ヶ崎は大したことがない、という風評が広まってしまった。
 実力で黙らせていた天ヶ崎にとって、その力が通じない妖怪が出てきたことは致命的であった。
 その妖怪は近衛によって退治された為に、天ヶ崎の株は下がり、近衛の株は大幅に上がっていた。

「……なぁ、本当にウチの体をやればウチの言う事を全部聞いて、しっかりと実行してくれるんか?」
「約束は守る」

 そう言うアシュレイに千奈は顔を赤く染めたまま、俯き告げる。

「ほなら……今夜、抱いてや……」

 その言葉にアシュレイは待ってましたと言わんばかりの表情となる。
 目を爛々と輝かせる様は色々な意味で危ない。

「じゃ、今夜は湯浴みせずに帰ってきて。汗ばんだ肌、蒸れた匂いって最高にいいわ」
「そ、そういうもんなんか?」
「そういうもんよ」

 間違った知識を植えつけるアシュレイだが、彼女としてはそれが一番興奮するので仕方がない。

「じゃ、夜を楽しみにして忍者探してくる」
「……結局、行くんか」
「まだ代価の一つをもらってないもの」

 アシュレイは縁側から翼をはためかせ、空へ舞い上がっていった。
 後に残された千奈は再び溜息を吐きつつ、卓袱台を見ると……

「……いつの間にか無くなっとる」

 まだ3分の1は残っていた筈のアシュレイの朝食。
 それらはいつの間にか綺麗に無くなっていた。

「早食いは体に毒やろ……」

 そう呟き、すぐにアシュレイが人間じゃないことを思い出し、苦笑する。

「本当に物の怪なんか……人間臭すぎるやろ」

 千奈の言葉ももっともであった。











「甲賀と伊賀で迷ったけども、敢えて甲賀にしてみたり」

 そんなことを言うアシュレイは近江国にやってきていた。
 京都のすぐ横で、現代日本で言うならば滋賀県にあたる場所だ。
 大雑把な場所が分かれば、あとは彼女の探索魔法をフルに使えば容易に位置を特定できる。
 集団で力を持った人間達を見つけ出せばいいだけなのだから。



「何か魔力っぽいような、でも違うものを見つけた」
 
 数分と経たずにアシュレイはそれを特定した。
 彼女が感じた力は魔力ではなく、いわゆる気と呼ばれるものだ。
 その気配を頼りに彼女は向かった。








「うーん……やっぱり無力化した方がよかったかしら。でも、これが手っ取り早いといえば手っ取り早いのよね」

 アシュレイはそう呟いた。
 彼女の状況を端的に説明するなら……真後ろからクナイを首に突きつけられていた。
 なお、彼女は侵入する際に角と翼はしまっていたので、見た目はただの少女である。

「何奴でござるか?」

 緊張した声で尋ねるのは突きつけている輩。
 その声色は若い女であった。
 彼女はアシュレイが怪しげなことをしないようにぴったりと体を密着させている。
 そう、密着しているのだ。

 あのアシュレイに女が密着している。
 胸が当然当たるわけで。

「中々いい胸を持ってるわね。是非、揉ませていただきたい」
「……この状況でそういうことを言えるのは余程のうつけか、もしくは大物……そのどちらかでござるよ」
「私は超大物だわ」
「自分で言うものではないでござる」

 呆れた女はクナイを下ろし、アシュレイから離れた。
 アシュレイは女の方を見ずに問いかける。

「いいの? 甲賀を探して、結界あったから、とりあえず破って入ったんだけども」
「拙者、未熟なれど、お主はこちらが手を出さねば、何もしない……そう思ったでござる」
「侵入者なのに?」
「里全体を覆う結界は強固なもの。それを破って入ってくる妖は人間でどうこうできるものではないでござる」
「京都に同じように入ったら、神鳴流とかの剣士に取り囲まれたんだけど」
「……たとえ敵わなくても、立ち向かわねばならないときもあるでござるよ」

 アシュレイはそこでゆっくりと女の方へ顔を向けた。
 口元を布で覆っているが、その顔立ちは把握できた。

「糸目なのはまあいいとして、その尻尾みたいに長い髪は忍者としてどうなのよ」
「はて、何のことでござるか? 拙者、忍者ではござらんのだが」

 その女の格好は忍装束であり、背中には巨大な手裏剣がある。

「その格好で否定できるの?」
「どうにかなるものでござる……ところで……」

 女は目をしっかりと開き、その切れ長の瞳でまっすぐにアシュレイを見据え、問いかけた。

「拙者、長瀬桔梗と申す。我が里に何用か?」
「忍者に会いに来た。もう会えたから満足だわ。あ、私は明日菜ね」

 笑顔で告げる彼女に桔梗は眼光鋭く問いかける。

「それだけでござるか?」
「うん。ついでに里を観光したいな」
「……そう言われたのは初めてなのでござるが……」

 困惑する桔梗。
 一見、ただの少女にしか見えないが、その気配は人のものではない。

「とりあえず里まで案内はするでござる」

 長に決めてもらおう、と桔梗は判断を丸投げすることにした。





 道中、アシュレイに寝技掛けて、とせがまれた桔梗であったが、のらりくらりと時間稼ぎし、里に到着した。
 そのまま長の屋敷に直行した2人。
 桔梗が長に事情を説明する最中、アシュレイは懐から金の延べ棒を出し、それを無言で長へと差し出した。
 長はそれを無言で受け取り、村人に危害を加えないという条件付きでアシュレイの滞在を許可した。
 桔梗は汚い政治的駆け引きを目撃したが、何も見なかったことにした。
 彼女とて忍び。そういう汚い場面は仕事で何度も目撃していたからだ。








「まさか仕事以外でああいう場面を目撃するとは思わなかったでござる……」

 そう言いながら、ジト目でアシュレイを見つめる桔梗。
 2人は現在、桔梗の案内で村を見て回っている最中だ。

「誰でもお金は欲しいのよ。世の中をうまく動かすにはまずお金だわ。愛とか友情とか絆とかじゃ、世界を動かせない」
「壮大な話でござるなぁ……拙者は自分の周囲だけでいいでござるよ」
「普通の人間は自分の周囲だけで問題ないから、考えなくていいわ」
「そう言われると何だか馬鹿にされているようでござる……」

 そんな桔梗にくすくすと笑うアシュレイ。

「しかし、何にもないでござるよ? 忍びの里といっても、実態はただの農村でござる。鍛錬をしているくらいで、特にこれといったものは……」
「そういうのがいいじゃない」

 アシュレイはそう答えて、目に付く水田や畑に土壌改良魔法をかけていく。

「何かしているでござるか? 先ほどから妙な気配を感じるのでござるが……」
「豊作になるおまじないをしてるの」
「おまじないでござるか……」
「そうよ」

 アシュレイはそう答え、近くの田んぼの土手に腰を下ろした。
 桔梗もつられて彼女の横に座る。

「のどかでいいじゃない。こういうところはずっと残っていくべきだわ」

 アシュレイは青い空を見上げ、そう告げる。
 その言葉に桔梗は首を傾げる。

「明日菜殿の言い方ではまるで消えてしまうような感じがするのでござるが……」
「消えちゃうわ。今からだいたい600年くらい先にね」
「……途方もない時間でござるな。拙者もそんな未来を見てみたいでござるよ」
「あなたの子孫が見るんじゃないかしらね。運が良ければ」
「それもそうでござるな……」

 それから少しの間、沈黙が訪れた。
 やがて鳶の鳴き声が響き、空に2匹の鳶が現れた。
 空を行く鳶の姿を見つつ、桔梗が口を開く。

「明日菜殿はこれから先も、ずっと変わらずに生きていくのでござるか?」
「そうよ」

 そう答えたアシュレイに桔梗は物悲しい気持ちになった。
 永遠を生きるというのは確かに魅力的ではある。
 だが、それは永遠の孤独を味わうということでもあった。

「寂しくはないでござるか?」
「私、こう見えても何千万という部下と心を許せる従者達がいるの。私と永遠に生きる子達がね」

 桔梗の気持ちを見透かしたかのようにアシュレイは笑って答える。
 その顔は無理矢理作ったものではないことが桔梗には容易に分かった。

「恵まれているのでござるな」
「色々大変なこともあったけど、どんな人間や神魔族よりも恵まれていると思うわ」

 でも、とアシュレイは続ける。

「あなたの子孫は未来にもいるかもしれない。けど、あなたはこの時代でしか生きられないわ。今、私は気まぐれで人間と関わっているけど、私の関わった人物が100年後にはいない。それがとても寂しい」

 桔梗は告げるべき言葉を持たない。
 彼女はアシュレイのように、永遠を生きる者ではないからだ。

「桔梗……あなた、私と永遠を生きてみる?」

 唐突にアシュレイは問いかけた。
 その言葉に桔梗は目を見開く。

「寂しいなら、永遠の命を与えてしまえばいい。それを片手間でできる力が私にはある」
「明日菜殿は何者でござるか?」

 切れ長の瞳をまっすぐにアシュレイに向け、桔梗は問いかけた。
 そんな彼女に不敵に笑い、アシュレイは答える。

「私の名はアシュタロス。地獄の魔王よ」

 瞬間、桔梗は悪寒が背筋を走った。
 冷や汗が体中から吹き出し、その顔は青く染まる。

「……言霊忘れてた」

 うっかりしてた、とアシュレイは桔梗に治癒魔法を掛けてやる。
 みるみるうちに彼女は血色が良くなった。

「こ、怖かった……死ぬかと思った……」

 汗を拭いながら、そう言う彼女はござる口調ではなかった。
 余裕がなかったことが窺える。

「ま、明日菜でいいわ。で、さっきの答えは?」

 桔梗は躊躇なく告げる。

「拙者は人間のままでいいでござるよ。明日菜殿を寂しがらせてしまうかもしれぬが……人間が物の怪になるのは自然の摂理に逆らうことでござる。そうなっては拙者の周囲が悲しむ。自分のことも確かに大切でござるが、それと同じくらいに周りの皆も大切なのでござる」

 ほう、とアシュレイは感心した。
 欧州から美しさを保つ為に堕落する者達に聞かせてやりたいくらいに。

「あなたは心が強いのね」

 称えるアシュレイに桔梗は首を横に振る。

「拙者は未熟者でござる。拙者からすれば明日菜殿の方が余程強い。拙者は永遠を生きる自信がないでござるが、明日菜殿はそれを実践している。自分にできないことをできる者は素直に尊敬する……拙者の信条の一つでござる」
「いいことだわ……私よりできる輩はあんまりいないから、私はそういう状況には滅多にならないわね」
「それはそれで凄いでござる……」
「ちなみに世界で一番頭がいい、と言われていたりする」

 桔梗は無言でアシュレイの両肩を掴み、顔を迫らせ告げる。

「拙者に勉強を教えて欲しいでござる」
「男を虜にする布団での技で手を打とう」
「いいでござるよ。仕事で何度もやっていることでござる」
「今から早速やりましょう! 幾らでも教えてあげましょう! この世の成り立ちから魔神兵の作り方まで!」
「何かよく分からないでござるが……これで拙者の弱点が埋められるでござる」

 両者両得であった。







 それから数時間後の夜の帳が下りる頃、アシュレイは非常に満足した様子で、千奈との情事を期待しつつ、京都へ帰還したのだった。

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