Categotry Archives: 第4章 悪魔が踊りて

悪魔の鑑

「あーあーあー!」

 叫びつつ、彼女は頭を掻きむしる。
 するとその長い黒髪がよく揺れる。

「アシュ様の使い魔使いの荒さは何とかならないの!?」

 魂から叫んだ。
 彼女はアシュレイに古くから付き従っているベアトリクスらの魔神の域にまで到達した側近の使い魔などではなく、ここ数十年で新たに作られた使い魔だ。
 そこらの人間に負けない程度の力はあるが、彼女は頭脳特化型。
 スパコンを遥かに超える処理能力を持ち、またアシュレイのように統計学を使った未来予知もどきすらできる。
 そして作られたのは彼女1人だけでなく、彼女を含めて500人程いる。
 妙に拘るアシュレイなので、その容姿や性格は勿論、趣味嗜好好きな食べ物嫌いな食べ物などの細かいところに至るまで全く異なっている。
 人材不足で困るという問題はアシュレイなどの上位神魔族においては無縁の話だ。

 さて、そんな彼女達の仕事はアシュレイが誰に、どのような形で倒されるか、ということを予測することだ。
 雲を掴むような話であるが、それを為すだけの能力が持たせられている。

「ユー、さっさとやりなさいよ」

 横から聞こえてきた同僚の言葉に彼女――ユークロトスは口を尖らせながら、再び意識を自分の端末に埋没させる。
 人間のようにキーボードを叩くという必要はなく、直接電脳空間と結び、情報のやり取りを行いつつ演算する。

 具体的には地球に存在する全ての人間のデータからこれまで収集した様々なデータを基にアシュレイの敵となりえる輩を割り出す。
 幸いにも、神界・魔界の上層部とは話がついている為に魂のリストと呼ばれるものをアシュレイは手に入れていた。
 それはこの世に存在する全ての魂ある者が書かれたリストだ。
 それは問答無用で記録される世界のシステムの一端を使ったものであり、魔法世界の者といえど例外ではない。
 そのリストの中から割り出すのであるが、人間ならまず間違いなく発狂する作業だ。
 そんな狂気の仕事を彼女らは偶に文句を言いつつも、しっかりとこなしていた。








 魔界で着々と準備が進んでいる中、魔法界でも動きが起こっていた。
 エクスキューショナーによる襲撃が唐突に止んだことにより、紅き翼とアリカ王女はマクギル議員と協力し、本来の目的であるヘラス帝国との和平工作に乗り出していた。
 これはそれなりの進みを見せ、アリカ王女は友人でもあるヘラス帝国のテオドラ第三皇女と和平に向けた会談の場を持つことに成功した。

 だが、そこを襲撃した妙に紳士然とした3人組の魔族によりあっさりと彼女とテオドラは捕らえられ、夜の迷宮と呼ばれるアシュレイの魔法界での別荘の一つに閉じ込められてしまった。
 元老院の横槍により……というよりか、彼らがエクスキューショナーの脅威に怯え、首都の警備を紅き翼に任せたが故に、アリカの傍に彼らはいなかった。
 アリカとテオドラが捕らえられた、という情報を聞いた時、ナギはどこにいるかも分からないのに真っ先に飛び出そうとしたが、ラカンとアルビレオに無理矢理静かにさせられている。
 以後、紅き翼は連合軍を抜け、戦争そっちのけでアリカ王女とテオドラ皇女の救出に奔走し始めた。
 



 そんな最中、アシュレイは夜の迷宮にてアリカ王女と対面していた。

「初めまして、アリカ王女」

 怯えてしまわぬよう、アシュレイはわざわざ体そのものを人間として作り替えた上で、魔力も最低限に抑えていた。
 とはいえ、その滲み出る雰囲気は如何ともしがたく、アリカは目の前にいる自分と同じか、それよりも年下程度の見た目にしか見えないアシュレイに恐怖心を抱いていた。

「妾をウェスペルタティア王国の王女と知っての狼藉か!」

 だが、恐怖心を微塵も表に出さず、アリカは厳しく問い詰めた。
 そんな彼女にアシュレイは嬉しそうに笑みを浮かべる。

「何がおかしい?」

 アリカは怪訝な顔をアシュレイに向けるが、当の本人はうんうんと頷く。
 そして、アシュレイは笑みを崩さずにアリカに告げる。

「久しぶりに人間から怒られたのが、ちょっと嬉しくて。やっぱり敬われてばかりだと駄目ね」

 その言葉の意味をアリカは正確に読み取り、人でないことが分かった。
 そして、自分達を攫ったあの悪魔達はおそらくこの少女の部下であることもまた予想がついた。
 その悪魔3人組は紅き翼には及ばないが、それでも精鋭を揃えた護衛であったにも関わらず、1秒と経たずに自分とテオドラ以外の全員が石化するという離れ業をやってのけた。
 上位悪魔を召喚できるような亜人の高位召喚師か、とアリカはあたりをつけつつ、ならばと彼女は決意する。

 召喚師は接近戦に弱いというのは常識だ。
 極稀に接近戦もこなす万能な輩もいるが、目の前の少女からは底知れぬ怖さこそ感じるものの、熟練の戦士にあるような独特の雰囲気は感じられない。
 紅き翼を間近で見てきたアリカだからこそ分かるものだ。

「妾とテオを攫ったのは何故じゃ? そなたが完全なる世界の黒幕か?」

 問いにアシュレイは笑みを崩さずに答える。

「前者に関しては単純に私があなたを欲しかったから。テオドラはおまけね。後者に関しては……想像にお任せするわ」

 いけしゃあしゃあとそんなことをアシュレイは告げた。
 黒幕役に用意した役者は既にいる。
 最後に黒幕が正体を現さなければならない、という決まりがあるわけでもない。

「妾が欲しい? 妾の力が狙いか?」
「いや、そんなありがちなものじゃないわ。むしろ、もっと単純明快な理由よ」
「妾を操って紅き翼を殺すつもりか?」

 ならば、と問いかけたアリカであったが、アシュレイは首を横に振る。

「どうしてそう、深く考えるのかしらね? もっとこう、常識に則って欲しいというか……」

 そう言うアシュレイだが、彼女は自分の常識が人間とは勿論、普通の神魔族と比べてもかなりズレていることに気づいていない。
 普通の神魔族は自分の性欲の為に種族を創りだすなんてことはしないのだ。

「ハッキリ言うけど……あなた、かなりの美女よ」

 ビシッと指さして告げられた言葉にアリカは目を丸くする。
 何でこの場でそんな言葉が出てくるんだ、と彼女は心の底から疑問に思った。

「早い話、あなたを私のものにしたい。あなたを抱きたい」

 真剣な表情で告げられ、アリカは目を瞬かせた後、一気に顔を赤くする。
 パクパクと口が何度も開くが、言葉は出てこない。

 元々王女として育てられてきた彼女はこんな直球な言葉は聞いたことがない。
 そんな彼女にアシュレイは微笑ましく思う。
 こういう初心な反応は実に良いものだ。

 とはいえ、アシュレイはここで無理矢理やったり、あるいは洗脳して虜にすることもしない。
 そういうのもそそられるが、アリカのような芯の強い女を壊し、服従させる方がアシュレイとしては好きであった。
 その為の布石として、彼女に自分のことを強烈に印象づける必要がある。
 忘れたくても忘れられないように。

 故に、アシュレイはアリカの精神へ干渉していた。
 会話が始まった瞬間から。
 アシュレイのようなレベルになると、極々少量の魔力であっても極めて巧妙に凶悪な術を掛けることができる。

「妾はそなたらのような完全なる世界の手には落ちぬ!」

 自らの心を落ち着ける為か、アリカは怒鳴った。
 それもまたアシュレイからすれば可愛いものである。

「じゃあどうするの?」

 問いにアリカは動いた。
 その身に宿る特殊な、そう魔族と同等の質を誇る極めて濃い魔力を用い、その身を強化。
 そして、彼女はアシュレイの首を両手で掴み、思いっきり絞めた。
 アシュレイは苦しげな顔でアリカの手を外そうともがくが、やがてその抵抗は小さくなり……







 だらり、とアシュレイの手が力無く垂れ下がった。
 彼女の端整な顔は苦悶の表情を浮かべている。
 そこでアリカは一気に気が抜け、床にへたり込んでしまう。
 また、彼女は首を絞めている最中、呼吸を忘れていた為にその息遣いは荒い。



 やがて息を整えたアリカはゆっくりと自分の両手を見つめる。
 あのときの感触はハッキリと彼女は覚えていた。

「……私が、殺した」

 そう、小さく呟いた。
 魔法で殺したなら、まだ実感は少ないだろう。
 だが、彼女は絞殺という最も感触が残るやり方でやった。
 一生忘れられないだろう、とアリカはぼんやりと感じた。
 悪人だから死んでもしょうがない、と割り切れるような程に彼女は冷酷ではなかった。

 そして、ふらふらとアリカは幽鬼のように立ち上がった。
 彼女は何かに導かれるように歩いて部屋を出ていった。







「……アカデミー演技賞ものだわ」

 アシュレイはそう言い、ゆっくりと起き上がった。
 そして、彼女は首に残るアリカの手の感覚に笑みを零す。
 人間に体を作りかえたから死ぬ、というようなことは当然ない。

 さて、アリカが何故、わざわざアシュレイの首を絞めたかというとアシュレイによる精神干渉だ。
 勿論、それだけではなく、彼女は自分を絞殺した光景をアリカが寝る度に夢として見るように呪いもかけていた。
 それでいて精神が壊れないよう、またストレスで体が衰弱しないように保護処置も施したのだから、彼女の反則っぷりが窺える。
 その後、アリカを外へ出したのも勿論アシュレイによる誘導だ。

 要は全部アシュレイが仕組んだことだ。
 アリカを手に入れる、ただそれだけの為に。

「あとはウェスペルタティアを滅ぼすだけね」
「やれやれ、君は本当に恐ろしい悪魔だ」

 呟いたアシュレイに後ろから声を掛ける存在がいた。
 彼女と対等な口調で話せる輩はそう多くはない。
 そして、今、話しかけた輩はそれをアシュレイが許している数少ない輩であった。

「黒幕の出番はまだ先よ?」
「僕も暇なんだ。君が用意したラストステージで出番が来るまで、政府の書類仕事をやるだけなんだからね」
「いいじゃないの、ベルゼブブ」

 サタン、アシュタロスに並ぶ地獄の実力者の1柱であり、地獄政府の宰相。
 その彼にアシュレイは完全なる世界の黒幕役を頼んでいた。
 
 人間が聞いたらきっとヤケクソ気味に叫ぶだろう。
 勝てねーよバーカ、と。 

 紅き翼の面々は完全なる世界を潰すことが世界から与えられた役割ではない。
 あくまで戦争を止めること、それが彼らの役割だ。
 そして、ベルゼブブと戦うような段階に至っては既に戦争は終結しているか、紅き翼がいなくてもすぐに終結する段階にまで達している、と予想されていた。
 故に……彼らは絶対にベルゼブブに勝てない。
 用済みとなった者にいつまでも加護を与える程、世界システムは意味の無いことはしない。

「しかし、君も飽きないね」

 やれやれ、と溜息を吐きそうな表情でベルゼブブが言った。
 その言葉だけでアシュレイには事足りる。

「魔法界は私と彼が作った箱庭。そこに住む者は全て人形。人形の女を愛でるのは虚しくないのか、とそういうこと?」
「そういうことさ。君との会話は楽でいいね」
「それはどうも。だが、私は創造した。それは地球の人間と変わらない」

 ベルゼブブは頷く。
 人間もまた神魔族が造った存在に過ぎない。
 過程が違うだけで結局のところ、魔法界の住民も同じなのだ。

「では言い方を変えよう。君が少しその気になればたちまちのうちに虜にできる女を、何故わざわざ?」
「その方が楽しいからよ」

 予想通りといえば予想通りの答えにベルゼブブは笑みを浮かべる。

「彼女の何もかもを奪ってやるのよ。そして、絶望したところで心を侵し、私の虜にして犬のように私に媚びへつらわせる」

 嗜虐的な笑みを浮かべ、一片の迷いなくそう言い切るアシュレイにベルゼブブは問いかける。
 常日頃から彼らが感じている疑問を。

「君は永遠に悪役であることに何か感じたりはしないのかい?」

 アシュレイはおかしそうに笑いをこらえ、答える。

「世界は善と悪から成り立っている。私は悪となった。なら、どこに悪を為すことに疑問を挟む余地があるのか?」

 アシュレイの解答は例えるなら人間が空気を吸うことに疑問を挟むか、とそういうものであった。
 悪になったから悪を為す。
 極めて単純な理由だ。

 ベルゼブブはさすがだ、と素直に感心した。
 魔族と言っても、その大半は元神族や元天使だ。
 それはかつての地獄政府――ハルマゲドンをやっていた頃やそれ以前も――のメンバーも例外ではない。
 そのような中に紛れ込んだ例外。
 人から悪魔になったアシュレイ。
 彼女は誰よりも悪魔らしかった。

「そういえば先日発表された最も恐ろしい魔族ランキング。君がやっぱり1位だったね。これで連続何年だい?」
「まあ、1000年は超えているんじゃないかしらね」
「魔界だけでなく神界でもやっぱり1位」
「賞品はキーやんとサッちゃんと漫才できる権利……誰が欲しがるのよ? もっといいモノ出しなさいよ」
「政府の国庫よりも君の金庫の方が潤っているらしいけどね」

 何のことやら、と惚けるアシュレイ。
 そのときであった。

「失礼します」

 どことなくフェイトに似た長身の青年が現れた。
 彼はアーウェルンクスシリーズのNo1、プリームムであった。

「アシュ様、アリカ王女及びテオドラ皇女が予定通りに脱出しました」
「それじゃ、予定通りにアリカが女王として即位するようにやっときなさい。彼女の父親は私に協力的だったから、あんまり酷いことはしちゃ駄目よ」
「心得ました。では、アリカ王女に殺させます」

 プリームムはそう言い、一礼するとスッとその場から消えた。

「彼も随分といい性格をしているようだね」

 ベルゼブブは肩を竦める。

「可愛い私の使い魔だもの」

 ふふん、と胸を張るアシュレイであった。