Categotry Archives: 第4章 悪魔が踊りて

聡明であるが故に




「全く、何で私が地上になんぞ行かねばならんのだ」

 エヴァンジェリンは憤慨していた。

「アシュ様に直接言えばいい」

 対するフェイトは至極当然な言葉を返す。

「まぁまぁ、穏便に……」

 そんな2人に近右衛門は冷や汗を流しながらそう言うしかなかった。
 

 1ヶ月前に決定したエヴァンジェリン及びフェイトの麻帆良行き。
 麻帆良及び日本政府、陰陽寮にはアシュレイから通達が行っているが、後者2つは元々アシュレイと関係が深いからいいとして、麻帆良においては魔法先生達の大反対があり、近右衛門が大変な苦労をした。

 何分、にわかには信じられない説明だ。
 あの完全なる世界は実は世界を支配せんと目論むアシュタロスに対抗する為の組織であった、などと。


 アシュタロスをはじめとした神話や聖書などに出てくる神々に匹敵する悪魔の存在は魔界出身で魔法界に来ている下級魔族達から確認されている。
 また、先の大戦時に現れたエクスキューショナーがアシュタロスの手勢であったことも同じく下級魔族達からの情報により確認されている。
 元々、アシュレイは魔法界に自らの陣営に属する魔族以外は入れるつもりはなかったのだが、サッちゃんから独占するのはいかがなものか、と言われたので諸々の条件付きで許可を出していた。

 閑話休題――

 近右衛門は魔法先生達の説得に2週間近い時間を費やし、何とか妥協してもらっていた。
 これで何かあったら近右衛門の首が飛ぶので彼はアシュレイに秘匿通信で泣きついた。
 しかし、返ってきたのは「前向きに検討する」とか「善処する」という何とも玉虫的なもの。
 近右衛門はさっさと退職すべきかどうか本気で悩んでいた。



「で、ジジイ。そのネギはどこに?」
「もうすぐこちらに来る筈です」

 そう敬語で答える近右衛門にふん、と鼻を鳴らすエヴァンジェリン。
 彼女としてはさっさとやってさっさと帰りたい。
 それに尽きる。

 最近はアシュレイとご無沙汰なので不機嫌というのも勿論あったが。
 そんなエヴァンジェリンとは対照的にフェイトはいつもの無表情ながらも、その心は僅かに踊っていた。

 世界の後押しがあるとはいえ、全知全能に限りなく近い自らの主を倒す存在。
 そんな輩と短い期間とはいえ、共に在ることができるのは彼としては嬉しかった。

 フェイトはアーウェルンクスシリーズの中でも冷静沈着であり、表向きには力の強さなど興味がないといった風であるが、その実、かなり力の強弱には拘る性質であった。

 強者は敵であっても敬意を示し、弱者にはたとえどんな理由があろうと容赦しない。
 
 アリカによるクーデター、オスティア宮殿攻防戦。
 あのとき、フェイトは紅き翼と初めて直接戦ったのだが、人の身であの領域まで辿り着いた彼らに敬意を抱いたのは言うまでもない。



 そのとき、扉がノックされた。

 近右衛門が許可を出せば入ってきた赤毛の男の子。
 その背丈は低く、まだ10歳にもなっていないことが見てとれる。
 彼は麻帆良に来てもう4年になり、今年で7歳だが、身体年齢は加速空間を使っているにも関わらず、さほど成長してはいない。
 アルビレオがどこからか手に入れてきた成長抑制薬のおかげだ。
 わざわざこんなものを使うのは彼曰く、子供の姿の方が相手が油断するから……という理由だ。
 体に悪影響が出ないように強化薬飲んだり、かと思えばこんなものを飲んだりとネギも中々に忙しい。


「はじめまして、ネギ・スプリングフィールドです!」

 彼はフェイトとエヴァンジェリンの前に来るとそう、元気よく告げて頭を下げた。
 その態度にエヴァンジェリンが口を開く。

「おい、ガキ。私達は一応、お前の両親とかその他諸々のヤツと敵対していたんだぞ?」

 エヴァンジェリンの問いにネギは頭を上げて、きょとんとした。

「えっと、話は学園長から聞いてますけど……あのアシュタロスに対抗する為なら仕方がないと思います」

 その言葉にエヴァンジェリンはああ、と声を出した。

「お前はキリスト教圏出身だったな」

 アシュタロスはキリスト教圏ではサタンと並ぶ最悪の悪魔として有名なのである。

「といっても、僕はカトリックじゃなくてプロテスタントですけど……あ、マクダウェルさんは吸血鬼って聞いてますけど、十字架とか大丈夫ですか?」
「ふん、私をそこらの三流と比べるな。十字架も流水も銀の銃弾も白木の杭も私には効かん」

 凄いですねー、と目を輝かせるネギにちょっとだけ気分が良くなるエヴァンジェリン。
 そんな彼女にフェイトはやれやれと思いつつも、ネギをじっと見据える。

 魔力量は人間にしてはかなり多い方であり、その立ち振る舞いも子供とは思えない程にしっかりとしたもの。
 とはいえ、それだけでは自分の主には到底届かない。

「ネギ君」

 フェイトの呼びかけにネギは小首を傾げながら、彼の方へ顔を向ける。

「君は……アシュタロスを倒したいのかい?」

 唐突な問いにネギは難しい顔をする。
 その様子にフェイトも、エヴァンジェリンも、そして近右衛門もおや、と内心首を傾げた。

「他人の風評っていうのはアテにならないものです。そもそも本当にアシュタロスが世界を征服したいのかも伝聞ですし……何より、聖書や神話にあるような強大な力を持っているならとっくの昔に誰にも気付かれずに世界を征服していると僕は思います」

 ネギの言葉に3人は感心した。
 大人になってしまっては先入観が邪魔をして、アシュタロスは世界征服を企んでいるに違いない、とそう断定してしまう。
 麻帆良の魔法先生達が信じられなかった部分は完全なる世界が味方であるという点であり、アシュタロスについては実在するならそれくらいやろうとしていてもおかしくはない、と確信していた。

「それでは聞くが……もし、アシュタロスが既に世界を征服していて、今の人類社会が成り立っているとしたらどうする?」

 挑発的な笑みを浮かべ、問いかけたエヴァンジェリン。

「うーん……それなら別にいいと思いますけど……だって、今のところは平和ですし」
「だが、そうするとアシュタロスに人類は生殺与奪権を握られていることになるぞ?」

 エヴァンジェリンの更なる問いにネギはすぐさま答える。

「アシュタロスが強大な力を持っているならば元々人類の生殺与奪権は支配されていてもされていなくても、握られていると思います」

 エヴァンジェリンは満足気にその答えに頷いた。
 とても子供とは思えない思考だが、アルビレオに鍛えられているのならばそれも当然だった。

「シェイクスピアはご存知ですか?」

 ネギの問いにエヴァンジェリンだけでなく、フェイトと近右衛門も思わず頷いた。

「人間は神の操り人形とは至言ですね。聖書を読む限り、それはとても正しいと僕は思います。メンデルを否定するわけではありませんが、どうにも人間には不可解なこと……今の科学では解明できないの一言で片付けるには余りにもそれは多い……」

 そこで彼は言葉を一度切り、再び言葉を紡ぐ。

「便宜的に僕達がアシュタロスと呼んでいる存在はどこかの誰かが勝手に名乗っているのではなく、聖書や神話に出てくる恐怖公そのものなのかもしれませんね。彼なのか彼女なのかは分かりませんが、わざわざ尻尾を見せてくれたということは僕達で遊んでいるのでしょう」

 もしかして僕やあなた方もアシュタロスの操り人形だったりして、とネギは苦笑しながら言い、口を閉じた。

 フェイトもエヴァンジェリンも近右衛門も言葉を発することができなかった。
 人類の中で一握りの者しか知らぬ真実を、10歳にもならない子供がずばり言い当てた。

 ただのガキ……そんな認識は完全に打ち砕かれた。

「……ネギ」
「あ、名前で呼んでくれるんですか?」

 わーい、とエヴァンジェリンに名前を呼ばれて喜ぶネギに彼女は更に告げる。

「師匠でもマスターでも好きに呼べ。お前に私が知るアシュタロスの全てを教えてやろう」
「……いいのかい?」

 エヴァンジェリンの言葉にフェイトが問いかけた。

「構わんよ。私も偶には遊びたくなってな。どちらが勝つにせよ、劇的な変化はないだろう」
「僕からは何も言えないね」

 フェイトはそう答えつつも、ただ、と言葉を続けた。

「彼がどうやって倒すのか、そもそも倒せるのか、そこを見てみたくなった」

 ゆっくりとフェイトはネギに歩み寄り、彼に手を差し出した。

「よろしく、ネギ君。君の持つ可能性、見せてもらうよ」

 その言葉にネギは満面の笑みを浮かべ、フェイトの手を握ったのだった。












 ところ変わってアメリカの某所――

 高音は自室で笑みを浮かべていた。
 魔法学校の卒業を目前に控え、彼女はあの西方の書の最後のページを読もうとしていた。
 これまでに得た膨大な魔法知識は高音に学年主席という地位をはじめとした様々なものを彼女に与えた。
 魔法学校の教師達の誰も太刀打ちできぬ程の知識や卓越した精霊制御や魔力制御などなど……

 もう修行無しで立派な魔法使いに認定してもいいんじゃないか、とそういう話も持ち上がっていたが、経験はやはり必要ということで卒業後は魔法世界で修行という形になっている。

 ゆっくりと高音は見慣れた黒表紙の本に手を当て……

 すると彼女の体が淡く光り始めた。
 強制転移だと気がついたとき、既に彼女は自室から消え去っていた。






 
 数秒後、高音は見たこともない場所でとある輩に遭遇していた。
 目の前には玉座に座った美しい少女。
 彼女の頭にはヤギの角、その背には黒い翼があった。

 ただし、その少女から醸し出される威圧感は半端なものではなく、全身に重りがついているのではないかと錯覚してしまう程に高音の体は動かなかった。

「あなたが私の本を読んでくれたのね?」

 その言葉に高音はその問いかけに気力を振り絞って無理矢理に首を縦に振る。

「嬉しいわ」

 そう言い、玉座から彼女は高音の真横に移動した。
 歩いたとかそういうのではなく、音も無くふっと真横に現れた。

 無詠唱で全く魔力の行使を気づかせない、短距離転移に高音は驚愕しつつも、興奮した。
 どう見ても目の前の少女は人間ではない。
 知識としては知っているただの魔族とかそういうレベルでもない。

 この感じたことのない強大な圧力。
 そして、先程言った言葉。

 高音は書物から幅広く知識を得ていた。
 そこには魔法学校で教わらない、悪魔についても勿論含まれている。

「アシュタロス……?」

 蚊の鳴くような声で高音は言った。
 その名に少女――アシュレイは満面の笑みを浮かべ、頷いた。

「あなたみたいな綺麗な子が私の本を読んでくれて」

 そう言いつつ、彼女はさりげなく高音のスカートの中へ手を滑りこませた。
 与えられる感触に高音は吐息を漏らす。
 抵抗できる筈もない。

 彼女の体は自らの慰めのおかげですっかり快楽に溺れてしまっている。

「あなたの名前、知りたいわ」
「高音……です……」


 高音はアシュレイの顔を間近で見た。
 シミ一つない、白い肌に紅い瞳。
 僅かに笑みを浮かべたその口元。

 与えられる快感に喘ぎ声を上げつつも、高音はずっとアシュレイの顔を見ていたかった。

 アシュレイもその気持ちを悟ったのか、笑みを深めつつ、告げる。

「あなたの全てを私に寄越しなさい。魂も、心も、体も全部よ」

 その甘い誘惑。
 立派な魔法使いを目指す者ならば跳ね除けなくてはならない誘惑。

 だが……果たして高音は誰かを助ける為にそうなりたいのか、というとそうではない。
 そもそも立派な魔法使いになるだけならば、西方の書などというものに手を出さなくても、学校でトップを取る必要もない。

 普通に魔法学校を卒業して、修行を終えればそれで立派な魔法使いだ。

 しかし、高音はそうはしなかった。
 彼女は常に成績を気にし、より強い力を求めた。

 立派な魔法使いになるならば最低限自衛できるだけの力があれば十分過ぎる。

 そうしなかったのはひとえに欲によるものだ。
 大人でも中々自重できない自己顕示欲。

 幼い頃から魔法使いとしての才能を褒められてきた高音にとって、自分が他人より優れていると信じ込んでいる。
 勿論、これが悪いことだとは一概には言えない。
 このような優越感はライバルが出たときに対抗心となり、自己を高める原動力となるからだ。

 だが、そのライバルは出なかった。
 一時的に高音の成績は伸び悩んだものの、西方の書を手にしてからはあっという間に彼女に並ぶ者がいなくなった。

 高音が立派な魔法使いになりたいのはひとえに、称賛を受けたいから、栄誉が欲しかったから、良い待遇で働きたかったから。
 そういうものであった。
 どんな人間であれ、人間である以上、どこかの組織に属し、給料をもらって生活していなかなければならない。
 慈善の心が大切であるのは言うまでもないが、それでも自らの衣食住が満足していなければ人間は礼節を知ることはできない。

 高音はボランティアとか慈善の心ではなく、仕事として立派な魔法使いを選んだ。
 そういう風に考えれば魔法組織も会社と同じようなものだ。
 成績が良ければ上司の覚えも良く、待遇も良くなる。

 そうであるが故に高音は成績に固執し、力を求めたのだ。


 その結果が今であった。
 高音はアシュタロスというこれ以上ない程の大物と直接会い、このようにされている。
 
 高音が答えない間も、アシュレイは彼女に悪戯を仕掛けており、くちゅくちゅと水音が広い部屋に木霊している。

 当の高音はアシュレイの指使いに陥落していた。
 彼女が力を求めた理由も、称賛を受けたいというものも全部彼方に飛んでしまった。



 彼女が思ったことは唯一つ。

 もっと気持ち良くなりたい――

 残念ながら、このようにされている中でアシュレイの誘いを断れる人間は存在しない。


「全部、あげます……」

 アシュレイはその答えに満面の笑みを浮かべた。





 高音・D・グッドマンはアシュレイに抱かれた後、魔法組織へのスパイとして、そして素質ある者を悪魔に堕落させる為に立派な魔法使いになることになった。
 高音は西方の書で知識などを与えてくれただけでなく、栄誉が欲しいという気持ちまで汲んでくれたアシュレイにますます傾倒していくのだった。