Categotry Archives: 第3章 悪魔の戯れ

全ては我が欲の為に


 ある日、アシュレイは居城で客を迎えていた。
 客といっても、サタンやベルゼブブなどの魔王連中ではない。
 その客は単純な力ではそこらの下級魔族にも劣るが、その嫌われ具合は地獄でも一、二を争う。
 客は女性であり、彼女は玉座に座るアシュレイを前にして、片膝をつき、頭を垂れている。


「アシュ様、お久しぶりです」

 アシュレイは鷹揚に頷きつつ、言葉を紡ぐ。

「あなたが自分の屋敷から出てくるのは珍しいわね」
「どうしてもお伝えしたいことがございます」

 女性の返事にアシュレイは玉座に深く座りなおす。

「……カッサンドラ」

 名を呼ばれ、女性は頭を上げた。
 その際、 燃えるような長い赤毛を僅かに揺れる。

「それは私の未来かしら?」

 問いにカッサンドラは僅かに頷く。
 彼女は見た目はまるっきり人間だ。
 否、不老不死であるということとその特殊能力を除けばまったく、完全に人間である。
 彼女は魔族のような強大な力は持たないし、その身を自由に変化させることもできない。
 
 だが、その予言は必ず起こる。
 アシュレイの未来視などはあくまで計算に基づいた最も起こりうる確率の高いものを選択しているに過ぎない。

 対するカッサンドラは相手の未来が分かってしまう。
 その未来は必ず起こる。
 彼女はアポロンの恋人となる代わりに得た予言の力は誰からも信じられないというものまで付与されて。

 そんなものを持っているからこそ、誰からも毛嫌いされている。
 だが、アシュレイは敢えて踏み入った。
 カッサンドラの存在を知るや否や、ただちにその屋敷へ赴き、贈り物をし、歓談した。
 そういう輩との付き合いこそスリルがあって楽しいもの、と彼女は考えた。

「今朝、見えました。明確に、明瞭に」
「聞きましょう」

 何の気負いもなく、アシュレイは答える。
 カッサンドラは一度、深呼吸をした後にゆっくりと言葉を紡ぐ。

「あなたは人間に倒されます。およそ600年の先に」

 彼女の予言は絶対。
 必ず訪れる未来。

「人間か……」

 アシュレイはそう言いつつも、すぐに予想がついた。
 大方、世界の後押しを受けた連中に倒されるのだろう、と。
 消滅を願い、世界へ挑んだアシュタロスのように。

 とはいえ……カッサンドラは消滅と言わなかった。
 ならばそれは一時的な死に過ぎない。
 
 だが、1度でも倒されてしまえばアシュタロスの名に傷がつく。
 何よりも、倒されて復活までの間に地球が大変なことになりかねない。
 アシュレイは自惚れるつもりはないが、地獄の多くの者から人気がある。
 英雄として、そして先の領土回復の征伐戦争時の虐殺っぷりから恐怖公として。

 もし、そんなアシュレイを倒したとなれば……人間は悪魔による侵攻を受けるだろう。
 そして、神々もまたそれに立ち向かう為に反撃するだろう。
 ならばこそ、魔王も動く。
 地球を舞台に第二次ハルマゲドン。

 人類は終わるだろう。
 水爆をいくらぶつけても死なぬ常識外の相手なのだから。
 とはいえ、それ自体に問題はない。
 第二次ハルマゲドンといえど、神魔共に先の第一次の体験からお互いにやり過ぎることは自重するだろうし、何よりも上層部が穏健派だ。
 それなりに戦った後に講和するだろうことは想像がつく。

 それに、地球と人類が壊れたならコスモプロセッサで元に戻せば良い。
 アシュレイの居城の奥深くにあるそれは既にほとんど出来上がっており、あとは膨大な人間の魂を結晶化してエネルギー源とするだけだ。

 だが、前者……すなわち、アシュタロスの名に傷がつくことに関しては別だ。
 コスモプロセッサで改変しようにも、アシュレイ自身の記憶に倒されたというものが永遠に残る。
 ならば、コスモプロセッサで事前に倒されないよう改変してしまえば……というのもまた無理だ。
 何故ならば、彼女の師であるアシュタロスがそうだったように、そこを改変しようとすれば必ず邪魔が入るだろうことは想像に難くない。

 世界を物語と例えるならば、アシュタロスが人間によって倒されることは変えられない結末なのだろう。
 だが、物語は魔王が倒されておしまいだが、世界はその後も連綿と続く。
 倒れた魔王、それを喜ぶ倒した勇者一行。
 その勇者一行の前に、倒した筈の魔王が現れたならば?

 魔王は1つの存在でなければならない、という制約はどこにも存在しない。
 物語の前提そのものを覆す反則……それを魔王が使ったならば?

 魔王は倒されなかったということになる。
 試してみる価値は大いにあった。

 
 アシュレイはそこまで瞬時に考え、ゆっくりと立ち上がった。

「カッサンドラ、よく知らせてくれたわ。ありがとう」

 そして彼女は心から感謝し、頭を深く下げた。
 その姿にカッサンドラは予言を信じてもらえる嬉しさに涙を浮かべてしまう。

 自らが倒される運命にある、と知ってなお、全く取り乱さずにそう言える輩はまずいなかった。







 翌日、アシュレイは京都の天ヶ崎家にいた。



「……久しぶりに会うたと思うたら、今度は地獄に帰るやて?」

 居間で対面して座るアシュレイと天ヶ崎千奈。
 千奈は溜息混じりにそう返した。

 しばらくの間、地上を訪れていなかったアシュレイ。
 随分と勝手な言い草である。
 ちなみにだが、一応、アシュレイと千奈は主従関係を結んでいるが……第三者に言っても誰も信じてくれないだろう。

「私にもやることができたのよ。でも大丈夫よ。あなたの子孫に力を貸すくらいはするから」

 手をひらひらとさせるアシュレイ。
 その様子に千奈は再び溜息を吐いた。

「須臾と月詠も?」
「勿論。あ、でも安心して。何かあったらすぐに駆けつけるから」
「さよか……寂しくなる……ちゅーても、何や今更やなぁ」

 毎日顔を合わせていたのならば寂しさも湧くだろうが、何分、しばらくぶりなのである。
 また地獄に帰ると言われても、千奈はピンとこなかった。

「ちょっとした実験をね。実力の隠蔽というか、誤認させるというか……」
「よう分からんけど、まあ、元気でな。ウチの子孫もよろしゅうに」

 千奈の言葉にアシュレイはごそごそと懐を漁り、あるものを取り出した。
 美しい装飾の施された短剣。
 東洋のものとは全く違う、西洋剣に千奈はまじまじとそれを見つめてしまう。

「うちの部下がヒヒイロカネで造った短剣よ。儀式とか、護身用とかに」

 そう言い、アシュレイは机の上にそれを置いた。
 千奈は一拍の間を置いて、思わず飛び上がった。

「な、何でそないなもんをぽんと出すんや!?」
「地獄にはヒヒイロカネとかミスリルとかの希少金属は大量にあるの」
「……ウチの家宝にする」

 これ以上ない程に真剣な表情で千奈は言った。
 それに満足し、アシュレイは鷹揚に頷く。

「200年くらい先、松平元康という輩がここより遥か東の三河というところに生まれる筈よ。その頃には表に干渉しないことが陰陽師の掟になっているだろうけど、裏の纏めに協力してあげて」

 アシュレイの言葉に千奈は努めて冷静に問いかける。

「それは予言か?」
「予言というよりか、確定的な未来よ。彼に協力すれば少なくとも天ヶ崎家は安泰よ。できれば帝との橋渡し役としても動いて欲しい」

 千奈は数秒の間を置き、頷く。
 近衛家とは確かに友好的関係にあるが、それでも天ヶ崎再興の夢はある。
 その為には千奈が自らの力でやらねばならない。
 陰陽師としての単純な実力は勿論、陰陽寮という組織内での権力闘争も。


 野心家というのはどこにでもいるもので、事実陰陽寮内にも多く存在した。
 独身であり、この時代からすれば結婚適齢期を過ぎつつある千奈は取り入るにはちょうどいい存在であった。
 天ヶ崎のネームバリューは確かに衰えたとはいえ、それなりのものがある。
 とはいえ、そういった野心家達が今まで手出しできなかったのはひとえにアシュレイの存在だ。
 神鳴流の決戦奥義である真・雷光剣すら効かない常識外の妖。
 その妖を使役し、なおかつ、妖から気に入られている千奈に下手なことをすれば翌日には一族郎党ごとこの世から消滅していることは想像に難くない。

 アシュレイの言から何かあったら助けてはくれそうだが、使役関係は解除されることは千奈には予想がついた。
 そもそもからして、夜枷と引換えとはいえ、今まで自分に大人しく従ってくれたことが奇跡に等しい。

 ただ……千奈としては残念ではあった。
 アシュレイの夜の技は人間では到底到達しえない遥かな高みにあったからだ。


 もうあの快楽は味わえへんのやろか……

 そんな気持ちが顔に出たのか、アシュレイはにっこりと笑う。

「やっぱり今日すぐに帰るのは止めた。1ヶ月くらい滞在する」
「ころころ変わるなぁ……」

 口ではそう言いつつも、若干嬉しそうな千奈であった。
 対するアシュレイもまた思惑が一つある。
 それは将来的に彼女の子孫が自分のものとなるように、魂レベルで刷り込むことだ。

 アシュレイは千奈は諦めたが、それでもその子孫までは諦めていない。
 彼女の子供は無理かもしれないが、孫、曾孫と世代を経るごとに取り込むつもりであった。


 
 大和撫子というのはそれほどに魅力的だ。
 もっとも……もう少し時代が下り、受け入れ準備ができたときにアシュレイは買うつもりだ。
 子供と女をその資金力にモノを言わせて。
 
 勿論、その頃になれば諸外国でも大量に買い取る予定となっている。
 日本以外の買取予定は主に欧州やロシアなど。
 アシュレイの金髪好きは今に始まったことではないので珍しいことでもない。
 元人間であった彼女からすれば人間なんぞいくら殺しても増える方が早い……そんな認識であった。

 一時的に人口は世界的に大幅に減少し、文明の進歩もそれに伴って遅れるだろうが、永遠の命を持つアシュレイからすればたとえ1000年遅れようが、大して変わりはなかった。
 また、この買取は600年先に倒されるというカッサンドラ予言への対策でもある。

 その英雄となるべき人物が生まれなければアシュレイは倒されない。
 勿論、こんな簡単にいくわけないだろうが、あくまでカッサンドラ予言への対策は副次的要素に過ぎない。
 第一目標は自身の欲を満たすこと。
 それに尽きた。

「それじゃ、早速……」

 そう言い、立ち上がるアシュレイに千奈は一瞬惚け、すぐに頬を真っ赤に染めた。

「こんな真昼間から!?」
「善は急げ。思い立ったが吉日。そういうことわざって私、好きよ」

 笑顔を浮かべ、アシュレイは問答無用で千奈を引きずり、彼女の部屋へと向かったのだった。

 それから1ヶ月の間、アシュレイは千奈をこれまで以上の快楽の渦に叩き込みつつ、何人かの知り合いの下を訪ね、同じように挨拶をした。
 立つ鳥跡を濁さず。
 こういうところだけはきっちりしているアシュレイであった。









 それから30年余りの間、アシュレイはひたすら来たるべき敗北の為に準備を進めていく。
 サタンをはじめとした魔王連中にカッサンドラ予言について知らせ、そうなったときの為の対策を練る。
 また、あんまり会いたくはないキーやんなどの神界上層部、帝釈天らの神界過激派ともカッサンドラ予言について正直にうち明け、第二次ハルマゲドンの短期化の協力を取り付ける。
 ハルマゲドン、どんとこい、を公言している帝釈天といえど、アシュレイのいないハルマゲドンはつまらないと思ったのか、あっさりと協力を約束した。
 対外的に活発に動くアシュレイであったが、身内……すなわち、テレジアをはじめとした使い魔やミカエルらにはカッサンドラ予言については言わなかった。

 
 アシュレイが一時的に倒されて最も暴走し易いのは彼女らであったが、当の本人としては倒されることを防ぐのを頑張られては困るのだ。
 たとえ、アシュレイが何もするな、と言ったところで予言を知れば彼女らは愛する主の為に黙って勝手に動いてしまうだろう。

 世界は常に排除する者よりも少しだけ上の力を倒す者に与える。
 それが秩序を維持するのに最適なレベルであるからだ。
 
 アシュレイはそのシステムを逆手に取り、倒される戦闘のときは可能な限り力を抑えるつもりであった。
 そうすれば倒す相手が人間であるということからその戦力も予想し易い。
 だが、テレジア達が地球破壊已む無しの精神で盛大にドンパチやればアシュレイを倒す人間はあり得ない程に強化されてしまうだろう。
 それこそサイヤ人の如くとんでもないことになりかねない。

 そんなことになっては元も子もなくなるが故のアシュレイの決断。
 また、彼女は幾つかの仕込みも人間社会で行う。
 その仕込みは併行して行われた、既存計画である闇の福音計画の影に隠れ、誰にも知られなかった。
 さて、長期凍結されていた闇の福音計画であったが、レイチェルの他に選抜された6人の美少女達に7つの商会を任せた。
 彼女らはアシュレイから合計数万トンにも及ぶ金塊を与えられて、あっという間にヨーロッパ経済を握った。
 闇の福音計画がある程度軌道に乗ったとき、ジャンヌ・ダルクが程良く育っていることをアシュレイは確認する。
 まだ彼女の村は襲われてはいないが、近いうちに襲われるだろうことは予想がついた。


 アシュレイはさらに自分の欲の為に歴史を変えるべく、秘密裏にジャンヌ・ダルク個人に対して介入を決めたのだった。