Categotry Archives: 第3章 悪魔の戯れ

忙しない彼女と陰陽師

「……おお」


 アシュレイはあるものを見つけ、思わず声を上げてしまう。
 里帰りしていた彼女はつい数日前に地上に戻ってきたが、京都にそのまま向かわずに、あちらこちらをふらふらとしていた。

 台湾バナナを食べたいと思った彼女は台湾に行ったが、この時代、台湾でバナナがまだ栽培されていないことに絶望した。
 仕方がないので現地で土壌改良やら治水やらを魔法で行った後、南米からバナナを持ってきて住民達に栽培するように指示した。
 ついでだから、と一部地域だけでなく、台湾全土で土壌改良やら治水やらを行い、農学と医学を広めた。
 またその際、彼らに日本と台湾は友達である、と教えて。
 東南アジアで頼りになるのは台湾やタイである、ということを彼女は知っていた。 

 台湾を去った後、油田とか鉱山を今のうちに独占しよう、とボルネオ島を探索していたとき。
 海岸で彼女はそれを見つけたのだ。



「……タツノオトシゴかしら?」

 砂浜で波に揉まれながら、ぐったりとしている奇っ怪な姿。
 その姿はタツノオトシゴのようで微妙に違う。
 体のところどころに突起があった。

 さすがの彼女といえど、海洋生物まで詳しくはない。
 ともあれ、彼女はそのタツノオトシゴっぽいものを拾いあげてみる。

 ぴくぴくと体を痙攣させる様はどう見ても瀕死であった。

「人助け……いえ、魚類助けも偶にはいいか」

 アシュレイは自分の指をその牙で僅かに傷つけ、血を流す。
 そして、その血をタツノオトシゴっぽいものに与えた。


 数分程して、そのタツノオトシゴっぽいものは元気になったのか、ふわりと彼女の手の中で起き上がった。
 水中ならいざ知らず、足もないのに地上で。
 やがて、そのタツノオトシゴっぽいものの背中に黒い小さな翼が生えてきた。

「……あれ、新種誕生?」

 アシュレイの言葉に「きゅー」と鳴く。
 勿論、タツノオトシゴはそんな風に鳴かない。
 完全に新種の生物であった。

「……新種の生物は発見者が名前をつけれるのよね」

 発見というよりか作り出したが正しいが、アシュレイはそんなことは気にしない。

「じゃ、フェルナールで」

 そう名づけつつ、彼女はタツノオトシゴっぽいもの――フェルナールを海へと放す。

「大きくなったら飼ってあげるわ。それまで達者に暮らしなさい」

 その言葉が理解できるのか、フェルナールは一声大きく鳴くと波に逆らいながらぐんぐんと沖へ向かっていった。

「さて、京都へ行こう」

 そして、アシュレイは転移魔法を発動したのだった。










 アシュレイが久しぶりに千奈と須臾に会っている頃――


 地獄にあるアシュレイの城ではディアナがアシュレイから与えられた任務を精力的にこなしていた。
 すなわち、フェネクスに対するソフトな調教である。
 ディアナはアシュレイから与えられた制限の範囲内で程良くフェネクスを快楽漬けにしていた。

 ベッドの上でフェネクスは普段は見せない姿を披露する。
 嬌声を上げ、ディアナを求めるその様はもはや天使であった面影はない。

 ディアナはその様に興奮し、責めを徐々に激しくしていった。







「ディアナ……」

 情事を終えた後、フェネクスは名を呼ぶ。
 ディアナは微笑を浮かべ、彼女の次の言葉を待つ。
 もはや恒例となったその言葉を。

「私は……女であったか?」

 第三者にはさっぱり意味が分からないその問いかけ。
 それに対し、ディアナは答える。

「ええ……いい女よ。アシュ様もさぞお喜びになるわ」




 凛々しいとか生真面目とかそういった言葉がよく似合うフェネクス。
 そんな彼女の心配事は中々手を出してくれないアシュレイへの不安。
 
 フェネクスは自分への性的行為禁止令を出したアシュレイに対し、最初は尊敬した。
 自分の事情を理解し、配慮してくれた、と。

 だが、それは時を経るごとに不安に変化した。
 フェネクスに多くの好色な神々が手を出したことから、彼女は自らが男にとって魅力的である、と理解していた。

 しかし、そんな神々をも超える好色な魔王であるアシュレイは禁止令発令後、一切そういうことを自分に対して行わず、また部下にも禁止令を徹底させた。
 アシュレイの命でディアナに積極的なアプローチをされるまで、フェネクスは誰にも手を出されなかった。

 当然といえば当然だが、それが彼女の不安に繋がった。
 自分には女としての魅力がないのでは、という不安に。

 誰々とアシュレイがやった、という話を耳にする度にその不安は高まり、火照った体を自分で慰める日々。
 誰かに頼もうにも、フェネクスの性格が災いしてそういったことを口には出せず。


 そしてある日、しつこくアプローチをしてきていたディアナと寝てしまった。
 フェネクスは初めて他人に身を委ね、その快楽に溺れてしまった。
 それ以後、彼女はディアナと何度も関係をもった。
 やがてディアナがアシュレイから与えられた任務と、その時の状況を話し、フェネクスは歓喜した。
 敢えて自分に手を出さないのはより良い女にする為、ということを彼女は気づいたのだ。

 それからフェネクスはより真面目に振舞うようになり、対してディアナとの密会ではその姿からは想像もできない程の姿を披露し始めたのだ。

 




 そして、今日で322回目の密会。
 調教は十分とディアナは判断し、フェネクスに対して提案する。

「ねぇ、フェネクス……アシュ様に抱いてもらいましょうか?」

 その言葉にフェネクスは驚き、ついで不安げな表情を見せる。
 それはかつて神界の輝ける星であったミカエルでも、魔神フェネクスとしてのものでもない、ただの女としての顔だ。

「大丈夫だろうか……アシュ様が敢えて我慢していたのは分かるが……」

 その言葉もディアナは予想済みであった。
 故に彼女は最高のアドバイスを行う。

「アシュ様は汗や匂いに興奮される。だから、シャワーは浴びない方がいいわ」

 フェネクスが僅かに頷いたことを確認し、ディアナは更に告げる。

「部屋に入ったら、アシュ様の前に跪いて、そのおみ足を丹念に舐めなさい。それで掴みは万全よ。アシュ様は足を舐めさせるのが大好きだから」

 そう言いつつも、ディアナはアシュレイが足を舐めるのも大好きということは伝えない。
 アシュレイは責めのみだ、と思われがちであるが、意外にも彼女はMプレイも大好きだったりする。
 まあ、気持ち良ければ何でもいい、というのがアシュレイのスタンスなので、それも当然なのかもしれない。

「わかった。そうする」
「じゃ、アシュ様に連絡しておくわね」

 ディアナはアシュレイへと念話を飛ばす。
 たとえ地獄と地上、次元が違えども魔神クラスになると連絡は容易かった。







 その連絡から2時間後、トンボ帰りしてきたアシュレイはフェネクスを大変美味しく頂いた。
 その後、アシュレイはディアナにご褒美として、1時間が1年になる加速空間で10時間、2人っきりで過ごした。
 その10年間、何をしていたのかは2人だけの秘密であったが、加速空間から出てきたディアナはこれ以上ない程に満足そうな顔で、そのお肌は輝いていた。
 そして翌日、アシュレイは再び地上に戻った。












「何や、えろう久しぶりやと思うたら、また帰ってすぐ戻って。忙しないやっちゃなぁ」

 千奈は呆れ顔でそう言った。
 対する須臾は口には出さないものの。何か言いたそうな表情だ。
 そんな2人にアシュレイはくすくすと笑う。

「だいたい数ヶ月くらいでしょ? 私が地獄にいたの。寂しかったの? 私のことが好きなの?」
「アホか。あんさんが帰ったおかげで、今まで大人しかった物の怪がわんさか湧いてきたんや。訓練生の須臾まで駆り出されたんやで?」

 その言葉にアシュレイはなるほど、と手を叩いた。
 
「じゃ、ちょっと悪さしないように言う事聞かせればいいのね?」
「明日菜……何を企んどるんや?」

 ジト目の千奈にアシュレイはにっこり笑う。

「超絶無敵の大魔王であるこの私に、雑魚連中が敵う筈がない。私をどうにかしたければ天照や建御雷を呼んでくることね」
「どこからツッコめばええんや……」

 頭を抱える千奈。
 そんな彼女を尻目に、須臾が口を開いた。

「お嬢様にも色々とご事情があると思います。ですが、私は……寂しかったです」

 そう言った彼女は顔をやや俯かせる。
 今はしまっている翼が出ていれば、きっと垂れてしまっているだろう。
 アシュレイはそんな須臾に思わず唾を飲み込んだ。

 可愛かった。
 テレジアなどの使い魔や玉藻やドレミなどのペットとはまた違う、言ってしまえば忠犬的な須臾が。
 抱きしめて頬ずりしたい、という保護欲に訴えかけてくる輩は残念ながらこれまで、アシュレイの近くにはいなかった。
 免疫が無いところにコレは強烈に効いた。さすがのアシュレイも。

「須臾が可愛すぎて生きるのが楽しい」

 そんなことを呟きつつ、アシュレイは目にも留まらぬ速さで須臾の背後に回りこみ、ぎゅっと抱きしめていた。
 唐突な感触に須臾は体を震わせるが、彼女は何も抵抗しない。

「須臾、ずっと一緒よ。永遠に、ずっと」

 耳元で囁かれるその言葉はまさに愛の告白。
 須臾は顔が真っ赤になるのを感じつつも、蚊の鳴くような声で答える。

「おねがい、します……」

 そんな2人の様子を千奈は物凄い目で見ていた。
 いきなり目の前で愛の告白である。
 結婚どころか恋人もいない千奈にとってはまさに拷問であった。

 勿論、アシュレイが千奈を放置しておく筈がない。
 彼女は須臾から離れ、千奈の目の前へと行き、問いかける。

「千奈、あなたも私とくる?」
「……陰陽師に魔物になれ言うとるんか」

 千奈の言葉は最もであった。
 本来なら魔物を退治する側の陰陽師が魔物に魅入られて魔に堕ちる。
 ミイラ取りがミイラになってしまう典型だ。

 そして、そうなった陰陽師は陰陽寮が全力で退治しにやってくる。
 何しろ、ただの人間がそうなったならばまだ弱いが、元々力のある陰陽師がそうなったら手に負えない。
 魔物の強力な身体能力や再生能力や魔力に加え、陰陽師としての術まで扱えてしまう。

「いいじゃない。そんなもの、人間の法でしょう? 魔物になった瞬間に人間の法も倫理も守る必要がなくなるわ。だって、人間じゃないんだから。人間を律する法で、人外を律するなんて馬鹿な話だわ」

 もっとも、とアシュレイは言葉を続ける。

「私達にも法律は存在するわ。地獄に置いての法律は今の日の本の法律より余程詳細でよく出来ている。けども、何よりも優先される暗黙の慣習法があるの」

 そして、彼女は自らの顔の前で拳を握ってみせ、その顔に不敵な笑みを浮かべる。

「力こそ正義。弱いヤツは強いヤツに何をされても文句は言えない。それで私は天地魔界全てに名を轟かせ、地獄の王となった」

 いつになく凛々しいアシュレイに千奈と須臾は思わず目を瞬かせる。
 いつもいい加減でエロな彼女はそこにはなく、魔王としての彼女がそこにいた。


 暫しの間の後、千奈は告げた。

「……せやけど、私はそうしない。それだけは決して」

 彼女の声は大きくはない。
 だが、それは力強い声であった。

「確かに、あんさんの言うことは最もや。ウチにもそれはよう分かる。力があれば、と思うたことは何百回もある」

 やけど、と千奈は続ける。

「人間で生まれたからには人間として死にたい。たとえそれが妖怪に喰われて死んだとしてもや」
「そういうの、犬死とか自己満足って言うんじゃないかしら? 陳腐な言葉だけど、死んだら終わりよ? 特殊な術を使わない限り、たとえ転生しても、あなたはもう二度とあなたにはなれない。天ヶ崎千奈という人間は永遠に失われてしまうわ。それは何よりも悲しく、寂しく、辛いことではなくて?」

 悪魔の癖に、アシュレイの言葉はどうしようも無い程に正論であった。
 その言葉は千奈も予期していたこと。
 故に彼女は頷き、肯定する。

「それは反論しようがない。ウチが寿命で死んでも、あんさんや須臾は生きとるやろう。きっとウチの為に何だかんだで泣いてくれると思うし、そもそもあんさんがこんな誘いしてんのも、ウチのことを気に入ってくれてるからやと思う」

 千奈の言葉にアシュレイは視線を逸らす。
 その様子に須臾はくすくすと笑い、千奈は穏やかな笑みを浮かべる。

「ウチと一緒にいてくれるいうのはウチも嬉しい。何だかんだで楽しいからな。やけど、魔物になることはできへん。短いからこそ楽しいこともあるんやで?」

 千奈の決意が堅いとみたアシュレイはやれやれ、とため息を吐く。
 そんな彼女に千奈は更に言葉を続ける。

「よかったら、ウチの家系の面倒みてくれへんか? 勿論、ずっと傍にいて欲しいとかやなくて、召喚できる術を教えて欲しいんや」

 アシュレイはむーっと頬を膨らませるが、やがて頷いた。

「おおきに。まあ、ウチの子孫が私とは違った答えを出すかもしれへん。そんときはその子の意志、尊重したってな。考え方なんて人それぞれや。ウチの考え方が正しいなんて思わへん」

 その言葉にアシュレイは頷き、口を開く。

「召喚する術だけど、私を地獄から召喚するなんていったら、とんでもない魔力が必要よ? 私が自分でこっちに来る分には何もいらないけど、人間が自力でとなったらそうはいかない」
「それなら心配無用や。無いなら余所から持ってくればええ。生贄を使う」
「生贄?」

 胡散臭そうな視線を向けるアシュレイに千奈は不敵に笑う。

「両面宿儺っちゅー封印された荒神がおるんや。それを生贄に捧げれば大丈夫やろ」