Categotry Archives: 第2章 我が名はアシュタロス

木星は滅びず



「木星でかっ!」

 右手方向にある木星に驚愕するアシュレイ。
 勿論、彼女は宇宙服なんてものは必要なく、いつもの黒いワンピース姿だ。
 魔族にとって宇宙空間を飛び交う有害な放射線や真空中であることは全く関係ない。

「しかし……人間だった頃はまさか自分が宇宙服なしで宇宙遊泳するなんて思ってもみなかった」

 しみじみとアシュレイは人間であった頃を思い返す。

「木星を自分の目で見た人類って私が最初よね」

 元人類だけども、と彼女は付け加える。

 彼女が生きていた21世紀でも、人類は未だ木星に到達できてはいなかった。
 せいぜいが探査機を送る程度。
 それを考えれば彼女は史上空前の快挙を成し遂げていることになるが、魔族なので残念ながら人類の功績にはならなかった。

「木星トカゲは? 木連人のいるコロニーはないかしら?」

 ナデシコっていう船でも造ろうかしら、と口走ってみる彼女。

「私は! 木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星小惑星国家間反地球共同連合体を結成する!」

 彼女は自分で叫んでみて気づいた。

「反地球ってことは地球にいる神族と敵対するって意味にもなる? ソドムとゴモラの生き残りを木星周辺にコロニー造って住ませようかしら……たぶん、神族に狙われると思うし」

 そう告げるアシュレイだが、彼女が過去に言った言葉にこういうものがあった。
 オカルトなのかSFなのか分からない、と。

 アシュレイはそれを思い出すが、何故か胸を張って自信満々に告げた。

「高度に進化した科学は魔法と変わらないってえらい人が言ってたから問題ないわ」

 そんなアシュレイに念話が届いた。

『……お前は何をやっているんだ』

 相手はアペプ。
 声だけだが、きっと彼は呆れた顔をしているに違いなかった。
 どうやらアシュレイが遊んでいることに気づいたらしい。

 アペプも……というよりか、アシュレイを除いた全ての魔王や魔神達はここから遙かに離れた場所で戦闘中だ。
 今回、初陣ということもあって――先の下級神族との戦闘は単なるウォーミングアップに過ぎない――アシュレイは陽動として、神界にある予備兵力を誘き出して叩き潰すのが目的であった。

『いいじゃないの。で、まだなの?』

 アシュレイは問いかける。

『あと少しだ。暗黒体で準備しておけ』
『了解』

 彼女はそう答え、念話を切った。
 そう、彼女が何で木星くんだりまでやってきたかというと、戦争をする為だ。
 なるべく地球から離れた場所で戦わないと、余波で地球が吹き飛んでしまう。


「それじゃ、お着替えしましょうか」

 そう呟いた瞬間、アシュレイの体が黒い霧のようなものに包まれていく。
 あっという間に彼女を包み込んだ霧はそのまま周囲の空間にまで広がっていき、やがて広がりを止めた。

 そして、広がってから数秒と経たないうちに霧が消えていく。
 霧が晴れたその場にはアシュレイの姿はなく、巨大な龍のようなものがいた。

 その頭は三つ、宇宙空間に溶けこんでしまうかのような真っ黒な鱗に全身を覆われ、その尾は七つ、巨大な翼がその背にあり、その体躯は数百mにも達する。
 そして、それぞれの頭には真っ赤な目玉が7個ずつあり、尻尾にもそれぞれその先端部分に口がついていた。


 アシュレイの暗黒体……すなわち、彼女が全力で戦闘を行う為の形態であった。
 そして、彼女の暗黒体はその場にただ存在しているだけで膨大なエネルギーを発し始める。
 そのエネルギーは当然、神界に察知された。












「超巨大なエネルギー反応! 木星近辺です!」
「エーテル振動波はマイナス! 魔族です!」

 神界の某所にある中央司令所。
 全ての天使の軍団に対し、ここから指示を出すのであるが、情報が最も集まることから、他の神族に対しても指示を出すことがよくある。

 本日、当番として司令所に詰めていたミカエルは思わずその身が震えた。

「大きい……どう見ても魔王クラスか……」

 彼女はそう呟いた。

 モニターに表示されている全ての数値はミカエルの光体どころか、ルシフェルやメタトロンのそれをも上回っている。
 すなわち、天使では太刀打ちできないという嫌な事実を示していた。

「ミカエル様、この暗黒体から発せられる波長ですが、今まで確認された魔王や魔神のものと一致しません」

 オペレーターの天使の1人がそう告げた。

「……噂のアシュレイか。魔神とは聞いていたが、もはや魔王だな」

 ミカエルは眉間に皺を寄せる。
 どうしたものか、と。
 主神クラスでなければ到底太刀打ちできないことは確か。
 だが、その主神達は今、木星から遠く離れた場所でアペプをはじめとした地獄の主力と戦っている最中だ。
 それどころか、メタトロンやルシフェルをはじめとした上位天使のほとんど全員がそっちへ行ってしまっている。
 神界に残っている熾天使はミカエル、ウリエル、ラファエル。
 神界の守護も考えるとウリエルとラファエルは動けない。

「陽動……か? それとも単なる散歩か」

 単なる散歩に暗黒体を纏う訳がないのはミカエルも重々承知だ。

「私が出る。動ける天使を全て動員し、魔神をどうにかする」












『……なんか当たった』

 こつん、と流れてきたデブリがアシュレイの体に当たって砕け散った。
 結構大きなデブリであったのだが、彼女には小石をぶつけられたような痛みもない。

『暇……暇だわ』

 彼女は暇であった。
 勝手に暴れて木星を吹き飛ばしたりするわけにもいかず、彼女はじーっとその場で待っていた。
 彼女が暗黒体を纏ってから既に2時間が経過しており、そろそろ神族が出てきてもいい頃合いだ。

『!』

 アシュレイはその三つの首をある方向へ向けた。
 瞬間、その空間が割れて、神々しい光と共に天使達が湧き出してきた。

『ちゃーんす!』

 アシュレイはただちに三つの口から膨大なエネルギーを持った光線を発射した。
 ほぼ溜めなしで放たれたその光線は彼女の口が光った瞬間、目標地点に着弾していた。
 現れるまで待ってから攻撃なんて悠長な真似はしない。
 雑魚はさっさと倒してしまうに限る。
 そして、彼女の攻撃速度は光った瞬間に着弾していることから、言うまでもなく光速だ。
 並の天使では反応することすらできない。


 盛大な爆発と共に天使達がちぎれ飛んでいく。

『ああ、勿体無い……!』

 彼女の無駄に良い目は女性型の天使達が肉片となったりする様を目撃してしまった。

『悲しいけど、これって戦争なのよね!』

 そして、彼女はその三つの口で咆哮した。
 その咆哮は衝撃波となって周辺に襲いかかる。
 言うまでもなく、永久原子を潰さねばならない魔族や神族の攻撃はその全てに精神、霊魂破壊効果が付加されている。
 当然、アシュレイの咆哮も例外ではない。

 近くを浮かんでいた小惑星やデブリは一瞬で粉微塵となる。
 それだけに被害は留まらず、衝撃波は天使達に襲いかかった。
 天使達は無論、呪圏を張り巡らせ、さらにその上から多重防御結界を張っているが、それら全てを一瞬で貫通し、天使達の肉体を粉砕し、同時に永久原子をも砕いた。

『そこまでだ!』
 
 その言葉と共にアシュレイの背中に何かが当たった。

『……?』

 思わず、彼女は後ろを振り向いてしまった。

『……あの、何かした?』

 アシュレイは近くにいた天使の光体に思わず問いかけてしまった。

『馬鹿な……ディストーションすらも貫通する私の攻撃が……』

 その声からどうやら目の前にいた天使の光体が攻撃を仕掛けたらしい、とアシュレイはあたりをつける。
 同時に彼女は目の前の天使はその声色から女である、と判断した。

『あー、言っとくけど、ディストーションフィールドとかは防御に使ってないから』

 アシュレイに攻撃を仕掛けた天使――ミカエルは答えることなく更に攻撃を仕掛ける。
 彼女の光体周辺に無数の光の弾丸が浮かび、それらはアシュレイの光線と同じように一瞬で着弾した。
 だが、アシュレイは回避行動すらとらず、ただその場に立っているだけだ。

 光弾が全て命中し、爆発に包まれるアシュレイの暗黒体。
 しかし、ミカエルは攻撃の手を緩めない。
 彼女の光体は巨大な人型。その両腕を変化させ、火筒となった。


 彼女は己の神霊力全てを集めていく。
 人類では到底考えられぬ程、天文学的なエネルギーが彼女の両腕に集まっていく。
 僅か数秒でそれは完了し、彼女は躊躇なく放つ。

 砲口が光ったと同時にアシュレイの暗黒体に着弾。
 恒星かと見紛う程の光が辺りにを明るく照らし出す。
 

『焦点温度は億を遙かに超える。我が最強の一撃だが……』

 ミカエルは溜息を吐きたくなった。
 アシュレイの反応は未だ健在。小揺るぎもしていない。
 だが、それでもこの攻撃をマトモに食らったのは確か。
 それなりにダメージを与えることができていれば、とミカエルは思う。



『馬鹿な……』

 光が収まった後、アシュレイは現れた。
 掠り傷一つ、彼女は負っているようには見えない。

『で……もう終わりかしら?』

 にっこりと少女が笑ったようなイメージが、ミカエルの脳裏に浮かんだ。
 悔しいが撤退するか、と彼女は即座に決断した。

 ミカエルが動員した天使達は先ほどの攻撃で全く役に立たないことから、さっさと引き上げさせている。 
 今、この場にはミカエルとアシュレイしかいなかった。

『あなた、なんて名前? 教えてくれればまだ殺さない』

 無邪気な声だ。

『……ミカエルだ』

 1秒でも時間を稼ぐ為にミカエルはしばらく会話に付き合うことにした。
 例えアシュレイを滅殺できずとも、主戦場に赴かせなければそれで良い、とミカエルは割り切ることにした。

『私はアシュレイよ。まあ、そろそろ名前を変えようかなと思ってたところだけども』
『何故だ?』
『だって、アシュレイって可愛らしいから、もうちょっと迫力ある名前にしようかなと』

 そう告げ、アシュレイは心の中で「もうアシュタロスを名乗ってもいいって言われてるし」と付け足す。

『候補はあるのか?』
『アシュタロスよ。神界でも広めてくれると嬉しいかも』
『……広めておこう』

 その後も取りとめのない会話が続く。
 基本アシュレイが話題を振り、それにミカエルが答えるという形だ。
 ミカエルは針の筵に座っているような居心地の悪さだが、それでも耐える。
 やがて、アシュレイからの話題が途切れたところを見計らい、ミカエルは聞いてみた。

『先ほどの私の攻撃、あれはどうやって防いだのだ? 空間を歪め、逸らしているようにしか見えないのだが……』
『知りたい?』
『教えてくれると嬉しい』
『しょうがないなーミカエルはー……じゃ、戦争が終わったら、あなたが私の城に来てくれるっていうなら教えてあげる』

 思わず、ミカエルは絶句した。
 こんなことを言い出す魔族なんて聞いたことがないからだ。
 彼女をはじめとした多くの神族は魔族とは不倶戴天の敵であり、世界の為にしょうがなく存在を許されているという認識であった。
 そして、魔族もまた同じ認識であるのが一般的だ。

『……で? どうなの?』

 沈黙したミカエルにアシュレイは問いかける。

『分かった。戦争が終わったら、そっちにお邪魔しよう。ただし、私以外の熾天使も連れて行くのが条件だ』
『いいよ』

 あっさりとアシュレイが許可を出したことにミカエルは驚いた。
 いくらアシュレイといえど、何人もの熾天使と同時に戦えばさすがに怪我の一つくらいは負うだろう。

『だって、戦争が終わったなら争う理由はないでしょ。恨みっこなし』
『だが、私は!』

 ミカエルは思わず叫ぶ。
 彼女はあの一件について、黙っていることに耐え切れなくなった。
 アシュレイが人間達を導いていたことを、一部の地域では女神として祀られ、人間達に幸福をもたらしていたことを、ミカエルもまた知っていた。
 彼女は事実を一視点から見ない暗愚ではない。
 確かに主を信仰しないのは多少不満であるが、それでも弱き人間達が幸福であるならば構わなかった。

『私は……あなたの街を焼いたのだ!』

 瞬間、アシュレイから発せられる魔力が急増した。
 ミカエルは光体であるにも関わらず、その身を震わせる。
 彼女は自らの死を覚悟したが、攻撃はなかった。

 アシュレイの魔力は徐々に静かなものとなっていき、やがて彼女は暗黒体を解いた。
 現れた小柄な少女にミカエルはまじまじと見つめる。
 こんなにも幼い姿であったとは、という純粋な驚き。
 その後に幼子を悲しませた、という事実にミカエルの心に湧き出してくる大きな罪悪感。
 
 
「あなたが見た、私の街は……私の民は最後まで幸福であったか? 涙を流している者はいたのか? 争いはあったか?」

 ミカエルはその問いに対し、光体を解いた。
 今、目の前にいるのは邪悪な魔神などではなく、1柱の女神であった。

 ミカエルはアシュレイの前で片膝をつき、頭を垂れる。
 主でなくとも、上位存在にはこれくらいするのは当然の礼儀であった。

「あなたの街は、あなたの民は……皆、最後まで幸福でありました。皆が笑い、争いは一切ありませんでした」

 アシュレイはその言葉に微かに頷き、ミカエルに後ろを向けた。

「もう私の任務は終わった。今、念話がきて、主戦場での決着はついたらしい」

 その言葉に慌ててミカエルが神界の中央司令所に問い合わせれば、引き分けという形で終わったことが判明した。

「怖い武神達が来る前にさっさと逃げるとしよう。ああ、ミカエル」

 アシュレイは振り返る。
 何事かとミカエルは顔を上げる。
 紅い瞳と翠の瞳が交差する。

「ソドムとゴモラの生き残り、その末裔がいるらしい。もし見つけたら、守護してあげて」
「畏まりました」

 ミカエルは再び頭を下げた。

「あ、それと、私の防御の種明かしだけども。アレは別の次元に逸らしているのよ。最大であらゆる攻撃を0.97×10のマイナス48乗%まで遮断するの。まあ、0.97×10のマイナス48乗倍まで威力を落とすのよね、簡単に言うと」
「はぁっ!?」

 思わずミカエルは素っ頓狂な声を上げた。
 彼女の顔はこれ以上ないくらいに唖然としたもの。それくらいにその防御方法は有り得なかった。
 アシュレイはそれを見て、くすくすと笑う。

「安心して。これは私にしかできない防御だもの。あ、私の攻撃も逸らすなんて間抜けなことはないから」

 アシュタロスが造っていた究極の魔体から持ってきた技術だ。
 本来なら宇宙の卵などの必要なものがあるのだが、そこはアシュレイのバカ魔力とアシュタロスの知恵で強引に解決してしまった。

 そして、彼女は言うだけ言うと、手をひらひらさせてその場から転移した。
 後に残されたミカエルは重く、長い溜息を吐いた。


「……よく、私は生きていたものだ」

 しばらくゆっくり休みたい、と彼女は溜まりに溜まっている有給休暇を使うことに決めたのだった。