Categotry Archives: 第2章 我が名はアシュタロス

神々の黄昏

 帝釈天一派が敗れ去った頃、別の宙域ではそのようなことは知らぬとばかりに熾烈な戦闘が繰り広げられていた。

『ミカエル、どうして堕天した!』

 ウリエルがその光体から光線を発し、火の鳥……フェネクスを撃ち落とそうとする。
 光速で迫る破壊光線を優雅に回避し、彼女は答える。

『もううんざりだったからだ。他の神々の面倒もセクハラも全部な』

 ウリエルとしてはそれに反論する術を持たない。
 むしろ、彼は自らの非力を悔やむ。
 彼は勿論のこと、ラファエルや脳天気なガブリエルすらもミカエルの愚痴はよく聞いていたからだ。

『だが……なぜアシュタロスの下についている!』
『別にどこでも構わんだろう』

 そう言いつつ、フェネクスは口から黒い炎を吐き出した。
 地獄にて燃え盛る相手を焼き尽くすまで消えない暗黒の炎だ。
 しかし、それは光に満ちた水の壁により防がれる。

『ミカエル~寂しいの~』

 間延びした独特の声。
 久しぶりのその声にフェネクスは思わず苦笑してしまう。

『ガブリエル……汝は相変わらず脳天気なのだな……』
『ええ~ひどいひどい~』

 人間形態なら可愛らしいガブリエルも、光体姿ではごつい人型である。

『ミカエル、かつての同胞とはいえ、もはや敵同士。残念ですが、全力でやらせていただきます』

 ラファエルはそう告げた。
 そんな彼にフェネクスは毅然と返す。

『元より覚悟の上。それと今の私はフェネクスだ』
『ミカエル~!』

 そう言った直後にミカエルと呼ぶガブリエル。
 場の空気をおもいっきりブチ壊す彼女に全員が頭を抱える。
 悪気はないのが分かっているだけに余計性質が悪い。

『ともあれ、いくぞ』

 瞬間、フェネクスは翼をはためかせた。
 彼女の体全体から迸る熱線。
 レーザーの如く四方八方に飛び散る。

 その熱線をすかさずガブリエルが水の盾を張ることでガードする。
 彼女の属性は水。
 対するフェネクスの属性は言うまでもなく火。
 相性がいいとは言えない。

 彼女に加えてウリエル、ラファエルもいる。

『相手に不足なし……汝らと私、どちらが強いか、力比べといこうではないか!』








 帝釈天一派なんぞ知らぬとばかりに戦うフェネクス達とは裏腹に他の宙域に展開していた全ての神魔族は驚きに動きを止めていた。
 アペプとオーディンなどの主神や魔王達も互いに攻撃の手を休め、ある方向に――すなわち、アシュレイへと視線を向けている。
 それは数秒程度の極めて僅かな時間。

 だが、その中で動く者がいた。
 好機とばかりにテレジアが、ベアトリクスが、シルヴィアが、エシュタルが、ディアナが、動きを止めた神族を次々と屠り去っていく。
 彼女達は自らの主の強さを信仰しているが故に別に帝釈天一派を倒したとしても驚きはない。
 そんな彼女達の動きにおっとり刀で反応し、応戦する神族達。
 また、帝釈天一派を屠ったアシュレイに向けて、一際巨大な天使の光体が2つ、向かっていく。
 その背後には数百万を超える天使の軍勢。
 メタトロンが、そしてルシフェルがアシュレイを抑えるべく、動き出したのだ。
 この2人は予備戦力として後方に待機していた。

 本来、熾天使は魔王クラスのアシュレイには敵わない。
 だが、この2人は別格であり、主神に匹敵する強大な力を持っている。

 そして、その進軍を阻む者が存在した。
 巨大なジャッカルに姿を変えたセト、そして巨人となったスルトだ。
 彼らはメタトロンとルシフェルの前に立ちはだかり、スルトが巨大な炎に包まれた剣を振るう。


 膨大な魔力の込められたその一撃をメタトロンは自らの剣でもって防ぎきる。
 ルシフェルがスルトの横からその神剣でもって斬りかかろうとするが、セトがその爪でもって刃を受け止める。
 その間に天使の軍勢は2人に対して攻撃を仕掛ける。
 下位天使が使う攻撃でもっとも威力のある神霊砲を。
 無数の光線がセトとスルトに放たれ、それらは狙い過たず命中し、彼らの防御結界を削っていく。
 セトが咆哮を発する。
 魔力の込められたその雄叫びは下位天使達を一瞬で肉片へと変えていく。


 セトとスルトにより、予備戦力であったメタトロンとルシフェルが抑えられた。
 これはアシュレイが自由に動ける状況を現出することとなった。



 アシュレイは戦場を駆ける。
 膨大な魔力にモノを言わせ、破壊光線を乱射し、下位神族を数千単位でこの世から消し飛ばしていく。
 あるいは逃げ遅れた下位神族達をその口でもって咀嚼していく。
 その際、彼女は女性型の天使や神族も多数食べたり消し飛ばしてしまったが、それは致し方ない。
 捕まえる余裕はさすがになかった。

 やがて一時停止し、ブレスを放とうとしたアシュレイは傍にいた下級神族に気がついた。
 その神族は美しい女であるが、頭に2本の角が生えており、鬼神であることが容易に分かった。
 彼女はその黒い瞳をじっとアシュレイに向けている。
 彼女の腰には1本の刀があったが、それは鞘から抜かれていない。
 帝釈天一派の残党だろう彼女の行動にアシュレイは不思議に思ったものの、とりあえずブレスを放った。
 射線上にいた上級神族達が複数消滅していく。
 他の主神達は彼女以外の魔王や魔神の相手に忙しく、アシュレイを止めることはできない。
 彼女はその場から魔王と殴り合いをしている隼の頭を持つ主神――ホルスの下へと向かう。
 横合いから殴りつける為だ。
 いくらエジプト神話において最も偉大な神とされるホルスといえど、魔王と魔王クラスの2人を同時に相手にしては到底勝てない。

 このまま何もなければ魔族側が逆転し、そのまま勝利することは間違いないだろう。
 だが……遂に彼らはやってきた。 


 今まで以上により強大な神気が周囲を包みこむ。
 神々しい光に満ち溢れ、それだけで下級魔族達が浄化されていく。

 白いローブを纏った巨大な人型光体が数体。その巨大な光体のうち、1人は美しい女性であった。
 彼らの顔には憂いや悲しみの表情。
 また彼らに続き、幾分小さな人型光体が多数降臨する。
 そして、彼らの後ろから全長数百mはありそうな巨大な龍が現れた。
 その龍の後から夥しい数の比較的小さな龍が現れる。
 それらは全て西洋の竜ではなく、蛇のような東洋の龍だ。

 ヤーウェ、仏陀、太陽神ラー、天照大御神、そして竜神王。
 ヤーウェを除いた彼らは自らの眷属や部下を全て引き連れ、戦場に参戦した。

 全ての魔族が――アシュレイも含め、震撼した。
 ついにヤッさんが……ヤーウェをはじめ、最も強大な主神達が参戦したことに。
 

 降臨した主神達は黙して語らず、今、この戦場で自由となっている強大な悪魔――すなわち、アシュレイへと狙いを定めた。
 仏陀の側近であり、部下達のまとめ役である梵天が全ての八部衆――ただし壊滅した帝釈天一派を除き――に命じ、彼自身もまた唱え始めた。
 唱えているものは釈迦が説いた教えを記録し、纏めた経典……いわゆる、お経だ。

 アシュレイの周りに無数の梵字が浮かび上がる。
 まずい、と直感した彼女は光速でその場から離れるが、梵字は逃げても逃げても彼女の周囲に浮かび上がり、やがてそれは見えない鎖となり、彼女の体を縛り、その自由を奪った。
 この拘束は対象となる者を捕らえるまで永遠と追いかけ続けるもの。
 別次元に逸らそうとも、その次元を超えて彼女に届き、また反射結界であっても、攻撃ではないので反射することはできなかった。

 邪悪な存在である彼女は光の拘束であるそれから逃れることはできない。
 主の危機を悟ったベアトリクス達がお経を邪魔しようと八部衆達に襲いかかろうとするが、竜神王をはじめとした龍族が立ちふさがる。
 他の魔王や魔神達はヤーウェ達が降臨する前から戦っていた目の前にいる主神の相手で精一杯だ。
 そんな中、唯一テレジアはアシュレイに言われた通りに41の軍団全てに戦闘停止と地獄への撤退を指示した。
 アシュ様を見捨てるのか、と問いただしてきたヘルマンにアシュレイの封緘命令書がある、と告げ、彼にそれを託した。

 そのようなことが行われている中、新たに降臨した主神のうち、唯一の女神である天照大御神はラーと共に念じ、浄化の炎を作り出す。
 白く燃え盛るその炎は神々しさに満ち溢れ、触れた者が邪悪な者であればその存在全てを焼き尽くしてしまうだろう。
 無論、魂の牢獄に囚われている限り、完全な消滅はないが、それでも一度死ぬことは間違いない。
 アシュレイはブレスを放つ。
 しかし、そのブレスはヤーウェの隣にいた茨の冠を被り、緋色の衣を纏った男性がその手をかざせば逸れてしまった。

『キリストッ……!』

 アシュレイは憎々しげにその名を告げた。
 そして、彼女に向けて浄化の炎が放たれる。
 それは進路上にいた魔族を焼きつつ、アシュレイへと迫る。

『誰かその炎を止めろ!』

 セトが叫んだ。
 彼の叫びを受け、すぐさま数多の魔族がその炎を押しとどめようと攻撃を加える。
 空間を歪め、光線が放たれ……

 しかし、如何なる術をもっても、その炎は消えずアシュレイ目指し突き進む。








 アシュレイは周囲の時間の進行を遅らせることで炎の到達を遅め、わずかでも時間を稼ごうとする。
 だが、時間の影響を受けないのか、その炎の速度は変わらず、間近に迫ったそのときであった。

『アシュ様、最初で最後の命令違反です。申し訳ありません』

 唐突にテレジアからその念話が入った。
 アシュレイが理由を問いただす暇もなく、彼女は何者かにより横へと弾かれる。
 そして、彼女は見た。

 大蛇がその白い炎に包まれ、悶え苦しむ姿を。
 身を左右にくねらせて炎から逃れようとするが、炎はまるで意思があるかのように、纏わり付いて離れない。

『……蘇ったらおしおきね』

 アシュレイはぽつり、と呟いた。
 悲しみが無いといえば嘘になるが、自らもまた危機的状況にある中で泣いたりするような余裕はない。
 彼女は自らを締め上げる戒めをどうにか解除しようともがく。
 近くにいた魔族達もまたその戒めを解こうと解呪を試みているが、如何せん闇の存在である彼らに光の封印はどうにもできなかった。

『今から3秒後、その戒めを13ミリ秒だけ緩める。そのときに脱出し、喰らいつけ』

 唐突なルシフェルからの念話。
 誰に喰らいつけとは彼は告げない。
 それを言うのはさすがに彼とてできなかった。

 無論、こうして神界を裏切る真似をしている彼の心は悲鳴を上げ続けている。
 だが、それでもアシュレイに大きな貸しを作っておかなければならなかった。
 将来、彼が魔界の最高指導者となる為に。


 アシュレイはそれに返答することもなく、そのときに備え――そして、そのときがきた。
 僅かに緩む拘束。
 それが緩んだのは瞬きよりも短い時間。
 だが、人間形態であったときと比べれば数億倍も知覚領域が広がっている今の彼女にはそれで十分過ぎた。
 余計な小細工などいらぬ、とアシュレイは自らの膨大な魔力をそのまま放出し、戒めそのものを無理矢理掻き消した。
 術を破られた反動により、八部衆の大部分がその体から血を流し、身動き取れぬ状況となった。
 人数を動員して行う術は強力な効果をもたらすが、破られたとき、その反動もまた凄まじい。

 アシュレイは咆哮し、ヤーウェ目がけて一直線に突進していく。
 その速さたるや光を超えている。
 数百kmはあった距離はあっという間に縮まっていくが、彼女の前に立ち塞がる者があった。
 彼女と同じか、彼女よりも大きい龍――竜神王。
 彼はその突進を止めるべく、その口からブレスを放つ。
 光速を超えた速度で突進するアシュレイはそのブレスをひょいっと軽業師のように軽々と避ける。
 慣性すらも制御してしまうアウゴエイデス形態においてはこれは当然のこと。
 彼女は次元転移シールドと反射結界を展開しているが、さすがの次元転移シールドといえど、竜神王のブレスを食らってはシールド自体が保たない。
 逸らすこと自体には成功し、威力も減衰させることができるだろうが、それでもダメージを負ってしまう上に、再びシールドを張るまでの僅かなタイムラグを主神達が見逃す筈がない。



 だが、彼の狙いはブレスではなかった。
 彼女は回避したことでその速度が低下してしまう。
 そこを狙い、彼は長大な胴体でもって彼女を締め上げんと迫る。
 すかさずアシュレイは先ほどと同じように魔力そのものを放出し、彼を弾き飛ばす。
 その瞬間、彼女は僅かに硬直。
 そこへ飛来する茨に包まれた槍。
 キリストにより投擲されたものだ。
 反射をせぬよう、茨そのものが長く伸び、彼女を包み込もうと迫る。
 これもまた拘束の一種。
 茨に包み込まれた者は永遠の苦痛を受け続けることになる。

 そして、彼女は再び弾き飛ばされた。
 彼女の代わりに茨に包まれたのはコウモリの翼を持った獅子――ベアトリクス。
 アシュレイはすかさず体勢を立て直し、突進を再開する。
 弾き飛ばされた竜神王もまた体勢を立て直し、彼女目がけてブレスを放つ。
 
 アシュレイは進撃を誰も邪魔できぬことを悟っていた。
 故に彼女は回避せずにそのまま突進し続ける。
 
 アシュレイの予想通りにブレスと彼女の間に割って入る姿があった。
 それは黒い竜――シルヴィアだ。
 彼女は全力で結界を張り、主の邪魔をするそのブレスを代わりに受ける。
 その間にアシュレイは射線上から離れてしまう。
 それにより役目は果たしたとばかりに、シルヴィアは光の中に消えていった。







 アシュレイは突進する。
 すぐにでも辿りつける筈の距離が果てしなく遠く彼女には感じられた。
 そんな彼女の前に次に立ち塞がったのは隼の頭を持った太陽神ラー、そして天照大御神。
 普段のアシュレイなら女神である天照大御神を全力で口説きにかかるところだが、今の彼女は眼前の女神をただの障害物としてしか認識していない。
 しかし、彼女は彼らを相手にしない。
 なぜならば、アシュレイには忠実な部下がまだ3人いるからだ。

 彼女の期待に答えるかのように、彼女達はラーと天照大御神の前に立ちはだかる。
 火の鳥、黒い羊、黒いマンティコア。
 フェネクス、エシュタル、ディアナであった。
 このうち、熾天使3人を相手取っていたフェネクスはその速度を生かし、どうにか離脱して馳せ参じていた。
 彼女達は1秒でも時間を稼ぐべく、ラーと天照大御神に飛びかかった。









 そして、アシュレイは立った。
 彼女の目の前にはヤーウェが、キリストが、仏陀がいる。
 彼らは3人共悲しみに満ちた瞳でアシュレイを見つめている。

 そのとき、アシュレイは自らの忠実な部下達の反応が消えたことを悟った。
 また、彼女は戦闘が終わりかけていることに気がついた。
 降臨した竜神王配下の龍族には上級神族にも匹敵する精鋭達がまるまる温存されていたのだ。
 彼らの援護を受け、セトやスルトなどの魔神や魔王が倒され、アペプもたった今、その反応が消えた。
 そして、逆天号はテレジアの指示により、既に戦場から姿を消しており、残存していた僅かな魔神兵、鬼神兵もまた撤退していた。
 最後まで残っていた下位魔族達は余勢を駆る神族に討ち取られるか、そそくさと地獄へと撤退していく。
 


 やがて、この戦場にいる魔族はアシュレイ独りとなっていた。

『あんさんには迷惑掛けた……だが、手を緩めるわけにはいかへん』

 ヤーウェはアシュレイに念話でそう告げた。
 彼女は別に謝罪を望んでいるわけではない。
 ソドムとゴモラに関しては一応、彼女の心の中では決着がついている。
 ならばこそ、ここでの語り合いは不要であった。
 アシュレイは全方位に向けて念話を発する。それはその場にいる全ての神族に届くように。

『敗北の足音が聞こえる。けれど、それもまたよし。勝者に致命傷を与えてから、今回は負けるとしよう』

 瞬間、アシュレイはブレスを放つ。
 溜め無しで放たれた破壊の閃光が暗黒の宇宙に煌く。
 ヤーウェ達は軽々とそれを回避し、反撃の神霊砲を撃ち放つ。
 彼らクラスの神霊砲ともなると、竜神王のブレスと同じく当たるとまずい。
 故にアシュレイは回避に専念しつつ、その魔眼でもって腐食させようとする。

 だが、彼女の敵は前方だけではなかった。
 前後左右上下ありとあらゆる場所から神霊砲やブレス、あるいは武器が飛んでくる。
 当たるとまずいものだけは回避し、あとは次元転移シールドと反射結界に任せていく。
 当たっても支障のないものであっても、その数は圧倒的であり、みるみる反射結界の耐久度が削られていく。

 彼女は全方位に向けて衝撃波を放ち、一時的に纏わり付く神族達を弾き飛ばす。
 そのとき、1本の槍が飛来した。
 その槍は反射結界に当たった瞬間に砕け散るが、即座にその場で復元し、反射結界を突き抜け、次元転移シールドを食い破る。
 アシュレイがその槍の正体に気づくと同時に全力で結界を構築する。
 だが、それらの結界をまるで紙のように貫き、彼女の体を貫いた。

 狙った者に必ず命中するというグングニル。それがその槍の正体であった。
 彼女は初めて感じる痛みに呻き声を上げつつも、その傷はすぐさま復元されていく。
 しかし、この致命的な隙を他の主神達が見逃す筈がなかった。

 竜神王がその巨体でもってアシュレイにぶつかった瞬間、反射結界が砕けた。
 耐久度を超えてしまったのだ。
 そして、大きくよろめいた彼女に彼はその身でもって彼女の体を締め上げる。
 だが、アシュレイは諦めない。
 その三つ首のうち、1つは竜神王に噛み付き、残る2つの口と7つの尻尾にある口のそれぞれからブレスを放つ。
 好機とみて近寄っていた天使や神族達が纏めて吹き飛ばされる。
 仏陀は暴れる竜を抑えるべく、祈り始めた。
 再び彼女の周囲に現れる梵字。
 彼単独であるが故に先ほどと比べれば遙かに効果は劣る。
 だが、度重なる戦闘で消耗したアシュレイは先ほどと同じようにそれを跳ね除けることができない。
 そして、神聖な存在である竜神王にはその戒めは発揮されない。
 物理的に、そして霊的に拘束されたアシュレイ。
 彼女を覆っていた次元転移シールドも解けてしまった。
 また竜神王に噛み付いていた口は彼の鱗に阻まれ、未だ肉を食すことができない。
 龍族は単純な防御力は普通の神族よりも上となる。
 竜神王の防御はヤーウェよりも硬いだろうことは想像に難くない。
 その竜神王はもはや役目を果たしたと彼女の口を振り払い、その傍を離れた。

 そして、アシュレイ目がけて総攻撃が開始される。
 降り注ぐ主神や天使達の神霊砲。
 言うまでもなく、次元転移シールドという脅威の防御がなければ、これらは通じる。
 彼女の巨体に放たれたエネルギーは着弾し、その肉を抉り、苦痛を与えていく。

 だが、アシュレイは諦めない。
 残った魔力を最低限の復元に回し、形勢逆転の一手を狙う。
 もしかしたらこのまま何もできずに終わるかもしれない、という思いがアシュレイの思考を掠める。
 その考えを振り払い、彼女は集中し、チャンスを待つ。
 勝利の女神は――アシュレイからしたら神族なので敵であるが――諦めない者に対して微笑む。





 数分か、数時間か、それとも数日か。
 元々鈍くなっていた時間の感覚はさらに鈍くなり、アシュレイはひたすらに耐える。
 もはや光学的な視界は望めない。
 戦争は魔族の負けが確定している。
 もはやこれは戦闘とも呼べないものだろう。
 だが、神族達は未だにアシュレイへの攻撃をやめない。
 これは彼女にとって自業自得であった。 
 
 アシュレイはその強大な力を振るい、数多の神族を殺している。
 また、熾天使であったミカエルを堕天させてしまったことから、多くの恨みを買っていたのだ。
 無論、ここにはミカエルにセクハラをしていた神々はいない。
 だが、それでもアシュレイがやったことは神族からしてみれば目に余った。
 逆に言えば、神々からもそれだけ恐れられる存在となっていた。

 アシュレイは未だ止まぬ攻撃にもういい加減にして欲しい、と言いたくなった。
 彼女としては最後の最後に神族達の度肝を抜いて、さっさと死んで蘇りたいのだ。
 蘇った後にやることはいっぱいある。
 テレジア達にオシオキをしたり、今回の戦争の反省会をしたり、と。

 もう復元するのをやめてしまおうか、と彼女が思いかけたそのとき、唐突に攻撃が止んだ。
 そして、戒めもまた解かれた。

 彼女が目を一つだけ復元してみれば周囲には名だたる神々が無数にいた。
 メジャーな神もマイナーな神も様々であり、さながら神様の展覧会であった。
 彼女はついでに聴覚も復元してみた。
 もはや残り僅かな魔力。
 ブレスを放つこともできないだろうが、最後の一撃をするにはそれだけでも十分過ぎる。

 彼らはもはやアシュレイがどうにもできない、とたかをくくって念話ではなく、そのまま会話していた。
 神族も魔族と同じようにその神霊力を使って声を伝えているのでどこであろうが普通に会話ができるのだ。


「このまま倒してしまっては蘇り、再び神界の脅威となります」
「ここは封印すべきでしょう」

 そんな声がアシュレイに聞こえてきた。
 彼女としては逃げる力も残っていないので、封印されようが別に構いはしなかった。

「ここに巨大なブラックホールを作り、その奈落に閉じ込めましょう」

 ルシフェルの声だ。
 彼の提案に賛同する声が聞こえる。

「ここ、射手座A*にブラックホールを作って、そこの中を閉空間にして閉じ込めるっちゅーことで決定や」

 ヤーウェの声。
 アシュレイは目をもう1つ復元し、彼の位置を確認する。
 しかし、それは徒労に終わった。
 なぜなら彼は彼女に近づいてきたのだから。

「すまんなぁ……ほんま、あんさんには幾ら謝っても足らん。ワシがしっかりせんかったから、あんさんをはじめ、多くのもんが完全に悪魔となってしまった……」

 その謝罪を聞いてなお、アシュレイの心は変わらない。
 なぜなら彼女は悪魔だからだ。
 もはや彼との距離は目前。
 既に彼女の射程内であった。

 瞬間、彼女は残っていた全ての魔力を振り絞り、その三つ首のうち真ん中の1つだけを動かした。
 失敗せぬよう、動かすのを1つに絞ったのだ。
 動く力もないだろう、と判断していたが故に誰も警戒していなかった。
 人間風に言うならば死体が動いたに等しい。

 その口はヤーウェの右腕を食いちぎった。
 既に戦闘は終わったもの、と戦闘体勢を解いていたことが仇となった。
 彼はよろめき、崩れ落ちそうになるが、慌ててメタトロンに支えられる。
 アシュレイはそれを見ながら、彼の右腕を咀嚼し飲み込んだ。
 そして、ただちに苛烈な報復が行われる。

 二度と動けぬよう、彼女の頭全てが叩き潰され、その巨体に何本もの杭が突き刺される。
 仏陀もまた自らのミスを恥じると同時に彼女の憎悪に心を痛めながら、再び祈り始めた。


「ヤッさん、大丈夫か?」

 心配そうに声を掛けてくる竜神王。
 彼の問いにヤーウェは頷き、宣言した。

「アシュタロスの憎悪は深い。ワシは彼女を封印した後、その封印を監視する専門の部署を創設する。ワシの天使達のみで構成するので、安心して欲しい」

 意訳すれば余計な手出しをするな、ということであるが、ヤーウェに異を唱える者は誰もいなかった。







 そして、アシュレイはブラックホールに封印された。