Categotry Archives: 第2章 我が名はアシュタロス

戦後の発言力を見据えて

「ベアトリクス、シルヴィア、ディアナ、エシュタル」

 アシュレイは4人の名を呼んだ後、1人1人に抱きついていく。
 まあ、彼女達も既にその力の強さから魂の牢獄に囚われている為に死んでも蘇るのだが。

「存分に暴れてきなさい」

 アシュレイはそう告げた。
 4人は言葉なく、ただ頷き、一斉にその場から転移した。
 スクリーンに映った4人。
 彼女達はそれぞれ扇状に広がると、自らの鎧――暗黒体をその身に纏う。



 ベアトリクスは黒い獅子にその姿を変え、その背中にはコウモリの如き翼がある。
 彼女をはじめ、シルヴィア、テレジアは人間形態のときは翼も角もないが、アウゴエイデス時には悪魔らしい特徴的な翼や角があった。
 
 シルヴィアはその身を黒い竜へと変化させる。
 一見、極々普通の、よくある竜だが、その尻尾は蛇となっている。
 また、彼女の鱗からは神聖な者のみを汚染する暗黒物質を放出している。

 ディアナはその身を黒いマンティコアへと変化させる。
 その尾には無数の毒針があり、その口からは猛毒の吐息が零れ出る。

 エシュタルはその身を黒い羊へと変化させる。
 その体を覆う体毛は攻撃を跳ね返す為に弾力性・伸縮性等に富んだものであり、またの体毛1本1本を毒針と蛇に変化させることができる。

 それぞれの暗黒体の大きさは数百mにも達する。
 彼女達は手近な獲物に狙いを定めると、躊躇なく突っ込んでいった。





 戦場は混沌の坩堝と化し、秩序だった戦闘などは既に望めない状況だ。
 主神や魔王、魔神が戦っているフィールドから少し離れて、下位の神魔族が熾烈な戦闘を繰り広げている。
 そして、ベアトリクス達が主神達との殴り合いに参加した直後、アシュレイは41の軍団に下位神族への攻撃を指示した。



「テレジア」

 指示を出し終えた彼女はテレジアを呼ぶ。

「ちょっと屈んで」

 アシュレイの指示にテレジアは跪く。

「ああ、ちょうどいい感触だわ」

 彼女はテレジアの頭に手を載せ、その柔らかな金髪の感触を堪能する。
 フェネクスはそれを見て、ちょっとだけ羨ましく思ったが口には出さない。
 ベルフェゴールはベルフェゴールで、下位神族に魔神兵をけしかけるので忙しく、アシュレイが何をしているかなどに気を配る暇がない。

 しばらくアシュレイは撫でていたが、その手を止め、フェネクスに告げた。

「ちょっと席を外すわ。テレジア、ついてきなさい」

 アシュレイはそう告げ、テレジアと共にブリッジを後にした。











 やがて2人はアシュレイの部屋にたどり着いた。
 艦内とは思えない程の広さのそこには豪華な調度品の数々と共に大きなベッド。
 とはいえ、さすがのアシュレイといえど今から抱く気にはならない。

「テレジア」

 アシュレイはテレジアをまっすぐにその翠の瞳を見据える。
 エメラルドのような綺麗な瞳だ。

「あなたとは一番長い付き合いね」
「はい、今でも鮮明にあの時のことを覚えております」

 テレジアは穏やかな表情でそう答える。

「テレジアには私の初めてを全部あげたわね……」

 アシュレイは恥ずかしそうにやや視線を逸らす。
 彼女はテレジアを作って数日後に今まで溜まった鬱憤を全部彼女で晴らした。
 それがアシュレイの初めてであった。

「私はとても嬉しかったです。私もまたあなたに全ての初めてを捧げることができて……」

 うっとりとした表情でテレジアはそう返した。
 彼女にしてみればこれ以上ない幸福だ。

「テレジア、おそらくこの戦争は負けるわ」

 アシュレイは真摯な顔で告げた。
 対するテレジアもまたその顔を引き締める。

「私もおそらく封印されるか、それとも長い時間を掛けて蘇生ということになるかもしれない。私がいない間、任せたわ」
「……それはもう決定なのですか? あなたがそうなることは」

 テレジアはその瞳に悲しみで満たし、そう問いかけた。

「決定よ。何しろ、まだヤッさんも竜神王も仏陀も、それに帝釈天と並ぶ梵天も出てきてない。残念だけど、彼らが出てくるのはこっちが消耗したとき。今は魔族と神族は互角に戦ってるけども、彼らが出てきたら神族に天秤は傾く」
「アシュ様が出ない、という選択肢はないのですか?」
「それはない。だって、私は戦ってみたいの。私の全力がどこまで通じるか……まあ、人間だった頃はまさか自分がヤッさんとか仏陀とかと戦うとは思いもしなかったけども」

 アシュレイの言葉をテレジアは全て理解できる。
 すなわち、彼女は知っていた。
 アシュレイの経緯を。
 テレジア以外にもシルヴィア、ベアトリクス、エシュタル、ディアナ、そしてリリスとリリムが知っている。
 つまり、フェネクスを除いた側近達は全員知っていた。

「アシュ様が人間であった、ということを聞いたときは驚きました」
「でも、全然気にしないのよね、皆」
「はい、何よりも今が大事です。今、あなたは魔神であり、私達の主である。ならばあなたの過去なんぞ些末事に過ぎません」

 そう言ってのけるテレジア。
 主の過去を些末事と片付けるあたり、中々に肝が据わっている。

「リリスとかは大喜びしてたわねぇ……無限の欲望だーって」

 人間の欲望には限りがない。
 それは性欲にも言えること。
 リリスやリリムにとってはそれは大歓迎であった。

「アシュ様、私も戦場に出ます。もしかしたらやられてしまうかもしれませんが……私に頼んでよろしいのですか?」
「本当ならあなたには城の保全とか領土の保全とかに回って欲しかったんだけど……この戦いで全ての戦力を出しておかないと、戦後、地獄で発言力が低下しちゃう可能性があるのよ」
「……政治ですか?」

 その問いにアシュレイは頷く。

「高度に政治的な判断というヤツよ。それに、ここで小さな汚点を残すのは嫌だしね」

 アシュレイの言葉は自分の為であることを示しているが、テレジアは何も不快に思わない。
 彼女にとってアシュレイの判断こそが何よりも優先されるからだ。

「もしやられそうになったら、どさくさに紛れて逃げていいわ。むしろ、戦後の発言力向上の為にはある程度の軍団は残しておかないと駄目」
「畏まりました。では、適当に戦ったら全ての軍団を私の判断で引き上げます」
「そうして頂戴。あなたに委任するわ。で、私はあなた以外の子達と一緒に主神と戦って武勇伝を残しておく」
「私も武勇伝を残したいのですが……」
「じゃあ適当な上級神族と戦っておきなさいよ」
「そうさせて頂きます……あの、アシュ様」

 テレジアはもじもじしながら、アシュレイへと視線を送る。

「その……最後にキスしていただいてもよろしいですか?」

 そのおねだりにアシュレイは笑みを浮かべ、頷いた。
 彼女はテレジアの腰に手を回す。
 テレジアはゆっくりとその両目を閉じ、その時を待つ。
 アシュレイは少し背伸びをして彼女の唇に自らのものを重ねあわせた。
 触れるだけの軽いキスに終わらせない、とテレジアは自らの舌でアシュレイの唇をこじ開け、口内へと侵入させた。
 そして、アシュレイもまたその舌を受け入れ、自らの舌と絡ませる。

 広い部屋に響く水音が木霊した。










 それからアシュレイはテレジアにその場で作成した封緘命令書を手渡した。
 無論、内容は既に伝えてあり、簡単にいえばこの命令書はアリバイ工作だ。
 テレジアが残った軍団を纏める為の。

 そして、2人はブリッジへと戻った。






 ブリッジではフェネクスが2人を出迎えた。
 彼女は特に何も言うことなく、いなかった間に起きた状況を手短に伝える。
 状況を把握したアシュレイは呆れたように告げた。

「つまり、何にも変わってないのね」
「簡単に言えばそうです。当初の予定より早いですが、出ましょうか?」

 フェネクスの言葉にアシュレイはスクリーンに目をやる。
 両軍が赤と青で示された駒が表示されており、それらは目まぐるしく変化している。
 赤が魔族で青が神族だ。
 それを見る限りでは程良く乱戦どころか、戦場は混沌となっていることがよくわかった。

「いいわ。出なさい」

 そう告げたアシュレイはベアトリクス達4人にしたように、フェネクスを抱きしめ、そしてテレジアを抱きしめた。
 そして、2人はその場から転移した。


 フェネクスは宇宙空間に飛び出すなり、その身を炎の鳥へと変化させる。
 一際目立つその容姿に早速神族達が集まってくるが、体全体から熱線を発し、一瞬で焼き尽くす。

 テレジアはそんなフェネクスを隠れ蓑にし、より進んだところでその身を変化させた。
 その姿は黒い大蛇だ。ただ、その背中にはは金色の翼、頭には2本の角が生えている。
 彼女はそのまま光速に等しい速度で戦場を疾駆していく。








「久しぶりにテレジアの暗黒体を見たわ」

 席に座り、観戦していたアシュレイは満足そう呟いた。

「さて、いよいよ私の出番が近くなった……真打はラストに登場とはよくいったものね」

 彼女は若干の不安、そして圧倒的に大きな興奮を感じていた。
 未だにヤーウェ、仏陀、竜神王、梵天などが降臨していない。
 もし、彼らがアシュレイが出ると同時に降臨したら、さすがの彼女といえど敵わない。

 彼女が使う次元転移シールドといえど、致命的な弱点がある。
 別世界へと逸らすというのは確かに恐ろしい防御だ。
 天使や主神の攻撃すらも逸らしてしまう。

 次元転移シールドは極論すれば極薄の膜だ。
 その膜は質量のない攻撃を取り込み、逸らしてしまう。
 逆に言えば質量のある攻撃には非常に弱い。
 故にオリジナルの究極の魔体も、次元転移シールドを突破される可能性を考慮して、膨大な数の近接砲を備えていた。
 もし次元転移シールドが弱点のないものであるならばそれらは必要なかった筈だ。
 無論、アシュレイもこの弱点を埋めるべく、非常に嫌らしい防御魔法を既に構築している。

 しかし、戦争は数だ。
 数の暴力の前には敵わない。
 そのことをアシュレイはよく知っていた。
 それでも彼女は不敵に笑う。
 なぜならば近距離に飛び込んでくれば相手に文字通り喰らいつくことができるからだ。
 彼女は相手の血を吸い、肉を喰らえばその力を得ることができる。
 戦争の行方がどうなるにせよ、主神の力が手に入るのならば悪くはなかった。

「まったりと待つとしましょう……そのときを」

 背もたれに体を預け、のんびりとすることに決めたのであった。