決戦前夜

 涿県へと移って既に2週間が経過し、到着当初の慌ただしさも消えてきた。
 高順と曹操は色々な意味で仲を深めつつも、お互いにいずれ倒さねばならない、と確信を抱いていた。
 とはいえ、高順は曹操だけでなく、その配下ともそれなりによろしくやっていた。
 初めて会う曹操の妹や従姉妹やらに色目を使ってみたり、夏侯惇や夏侯淵の妹やら従姉妹やらにやっぱり色目を使ったり……
 あるいは司馬懿、郭嘉の2人と共にあれこれ戦術について考えてみたり。
 そのように穏やかな時間が流れていたが、その平穏は唐突に破られることとなった。


「……嘘でしょ?」

 高順の呟きは大広間にいる多くの者の心を代弁していた。
 つい先程、城へと飛び込んできた伝令。
 その伝令が持ってきた案件を聞いた賈詡はただちに必要な面々を大広間に集めた。
 とはいえ、事が事だけに高順・曹操陣営の武将や軍師がほぼ全員集っている。
 それなりに騒がしくなってもおかしくはないのだが、如何せん賈詡から伝えられた緊急事態は彼女らを黙らせるのには十分過ぎた。

 賈詡はメガネを直し、告げる。

「およそ10万の烏丸がこっちへ向かっているわ。どうやら連中、文台殿の前から退却してこっちへ兵力を振り向けたみたいね」
「これまでの烏丸の動きからすれば随分と思い切った……いえ、彼ら本来の戦の仕方に戻ったといえるでしょう」

 郭嘉が賈詡の言葉に補足し、各々がなるほど、と納得したように頷く。
 烏丸をはじめとした遊牧民の戦は縦横無尽に暴れ回り、特定の拠点を置かないというものだ。
 神出鬼没、どこに現れるか分からないというのが遊牧民の強みである。

「拠点防御か、攻勢防御か……どう思う?」

 曹操の問いにすぐさま郭嘉が答えた。

「打って出るべきです。この城は大部隊を収容できるような造りにはなっておりません。1万の兵を城下と城内へ押し込めれば御の字でしょう。現に今でも城壁外に天幕を張っている始末です」

 曹操は頷きつつ、司馬懿へと視線を向ける。
 その視線を受けた彼女は僅かに頷き、答える。

「私も同じ考えです。幸いにも、こちらの将兵は精鋭揃い。周辺地形は平原であり、多少の林や丘陵がある程度ですが、平原でマトモにぶつかっても勝てるでしょう……ただ、さる御方が余計な茶々を入れない、という条件付きですが」

 司馬懿の言葉に各々が溜息を吐いた。
 今回の一件はその御方の既に耳に入っている可能性が高い。
 その御方がしゃしゃり出てきた場合、どんな展開になるか、想像がつかない者はいなかった。

「問題としてはどうやってその御方を蚊帳の外におくか……なのですよ。言うまでもありませんが、あの方はアレですので」

 程昱の言葉に一同、どうしたもんか、と思考を巡らそうとしたそのときであった。


 突然、扉が開かれた。
 一同の視線はそちらへと向き、そこにいた人物に釘付けとなった。
 
「話は聞かせてもらった! 早速出陣じゃ! 勿論、妾が先陣なのじゃ!」

 劉璋その人であった。
 勿論、彼女だけではなく、その他諸々の腰巾着もいた。

 劉璋をどうやって置いてきぼりにするか、話し合われていたことなど露知らず、ただ伝令の報告を聞き、決定事項を伝える為にわざわざやってきたのだ。
 そう、自分が出陣するという決定事項を。

「……戦ったことあるの?」

 高順は小声で曹操に問いかけた。
 彼女は溜息を吐きつつ、首を左右に振った。
 怖いもの知らずだからこそ、こんなことが言えるのか、と高順は納得した。


「妾がかるーく倒してくるのであるが……」

 そう言いつつ、劉璋はビシッと高順を指さした。

「そなたよりも妾の方が優れているのじゃ。妾の凄さを存分に見せつけてやる故、ついてくるのじゃ」
「えーっと、李玉様。あなた様の手勢は……?」

 高順の問いに劉璋は豊満な胸を張って答えた。

「2万じゃ。2万もいれば十分じゃろう」

 さすがの曹操もこればかりは幾ら何でも、と口を開く。

「劉刺史、さすがに無理があります。何分、相手は手負いの獣に等しく、万全の準備を整えなければ……」
「胡人風情が10倍の敵を打ち破れるならば、この妾がたかが5倍の敵を打ち破れない筈がないのじゃ。妾なら500倍の敵を打ち破れると思うのじゃ」

 どういう計算だ、と曹操は呆れながらも、もしかするとこれは高順陣営を抹殺しようという劉璋の策なのかもしれない、という疑問を抱いた。
 だが、目の前にいる劉璋からはとてもではないが、そんな策を企てるようには見えなかった。

「曹太守、そなたはこの城を守備していれば良いのじゃ。宦官などという卑しい血筋のそなたにはお似合いじゃろう?」

 その言葉を聞いたとき、高順は反射的に腰に吊り下げていた倚天の剣へ手を掛けていた。
 だが、その剣が鞘から抜かれることはなかった。

「華琳……っ」

 小さな声でその剣を押し留めた者の名を、高順は呼んだ。
 しかし、曹操は彼女には答えず、ただ短く劉璋へ返す。

「御意に……」
「ならばよろしい。出陣は明日じゃ」

 うはははは、と高笑いし、劉璋は腰巾着達を連れて去っていった。
 後に残されたのは面々は沈黙を保っていたが、やがて曹操はその手を高順の剣より放す。

「その剣で斬るのは勿体ないわ」

 やれやれ、と溜息混じりにそう告げた曹操に高順はぷっと吹き出した。
 他の面々もクスクスと笑い出す。

「で……あんた大丈夫なの? 下手したら3000かそこらで10万と戦うことになるけど?」

 曹操の問いは劉璋軍が早期に敗走するというもの。
 そして、残念なことにその予想は極めて可能性の高い未来であった。

「彼我の戦力差は30倍くらいかしらね。中々、面白い戦だわ」

 うんうんと頷く高順に曹操は微笑みを浮かべつつ、告げる。

「法孝直と張子喬……あと、あなたが欲しがっているらしい水鏡塾の2人。譲るわ」

 素直にありがとうとは言わない、実に曹操らしいお礼の仕方であった。
 まさかの宣言に高順は目を数度瞬かせた後、満面の笑みを浮かべる。

 「ああ、それと……」

 曹操は一転して酷薄な笑みを浮かべ、嘲るように言い放つ。

「無為無策でおめおめと負けて逃げ戻った輩に、従う必要はないわね」

 不幸な事故って怖いわよねぇ、と続けた曹操。
 彼女は確かに王の器であるが、非常に執念深い性格であり、自分をバカにした相手を放置しておくわけがなかった。

「しかし、懸念があります」

 郭嘉が何事も無かったかのように告げる。
 彼女に全ての視線が集中するが、ただ冷静に彼女は問題点を指摘した。

「高順殿の配下は降伏した烏丸騎兵が主力となるでしょう。果たして、彼女らが同胞と争うことができるでしょうか?」
「漢族でもできるから、烏丸でもできるんじゃないかしらね」

 高順の答えに一同、苦笑した。
 とはいえ、高順は郭嘉の質問の意図を正確に掴んでいた。

「まあ、とんちの答えはいいとして、私の統率が試されるでしょうね。私が彼女らの信頼を得ていなければ反乱を起こすだろうし、得ていれば戦ってくれるでしょう」
「随分と楽観的ですね」

 呆れたように指摘したのは司馬懿であった。
 だが、そんな彼女に高順は不敵な笑みを浮かべる。

「私には策があるわ。そうであるが故、こうも安心していられる……ああ、早くこないと私の名だけが上がってしまうわよ?」

 最後の挑発は曹操へと向けられたもの。
 その言葉に彼女は面白い、と口角を吊り上げた――そのとき――

 ガシャン、という何かが壊れるような音。
 一斉にその音源へと視線が向けられる。

 視線の先には落下した壺、その横にいる夏侯惇。
 彼女はただ真っ直ぐに曹操へと視線を注ぎ、毅然とした態度で告げる。

「孟徳様、申し訳ありません。壺を割ってしまいました」

 その凛とした瞳に曹操はすぐさまその意図を悟った。

「夏侯元譲、壺を割った罰として一時的に暇を与えるわ。あなたが率いている部隊も連帯責任で全員、誰一人例外なく。そのように準備なさい……郭嘉、あなたは監視役としてついていきなさい」

 曹操の言葉に夏侯惇は僅かに頷き、大広間を飛び出していった。
 その後を追うように足早に郭嘉が出ていった。

「孟徳様、我々はどう致しますか?」

 司馬懿は既に答えは分かっているというような意味ありげな表情で問いかける。
 すると曹操は不敵な笑みを浮かべ、告げた。

「いつでも出られるようにしておきなさい。城を守備しろ、と言われたけど、城から出るなとは言われていないわ」

 屁理屈極まりないが、誰も問題にはしなかった。
 何故ならば劉璋がさっさと戦場から逃げてくるのは誰の目にも明らかであったからだった。







 軍議後、賈詡や陳宮、あるいは他の将軍達が出陣準備に追われる中、高順は夏侯惇の監視役となった郭嘉に案内されて城壁の外へとやってきていた。
 曹操陣営の天幕が乱立する中、開けた場所に彼女らはいた。

 漆黒の鎧に身を固め、横に馬を従えた女の兵士達。
 その顔は精悍で自信に満ち溢れており、練度の高さを窺わせる。


「高順」

 そう声を掛けてきたのは夏侯惇であった。
 その背後には許褚と典韋を従えて。
 随分とまあ、背丈的に対照的な組み合わせであり、高順もあの許褚と典韋がこんなに小さいと知ったときには驚いたものだ。

 高順が何か、と問う間もなく、夏侯惇はさっと片膝をつき、許褚と典韋もそれに続いた。
 すると漆黒の兵士達もまた同じように片膝をついた。

「我が主君の為、剣を抜かんとしたことに最大の感謝を。これより我等、貴公の指揮の下、烏丸を征伐せん……!」

 凛と放たれた言葉はさながら剣の如く響き渡る。

「曹軍の中でも精鋭の誉れ高い虎豹騎3000余名、それと私、郭奉孝です」

 何かご不満は、と視線で問いかけてくる郭嘉に対し、高順は込み上げてくる興奮にその身を委ねつつも、いつも通りの調子で告げた。

「観客が増えたわ」

 唐突な言葉に夏侯惇らや郭嘉、そして兵士達ははてなと首を傾げた。
 そんな彼女らに高順は不敵な笑みを浮かべ、告げる。

「芸術的な戦争をお見せしよう。烏丸は可哀想なことになるわね」

 そう笑う高順に夏侯惇やその兵士らは頼もしく思う反面、郭嘉は背筋が寒くなった。
 10万をわずか6000名足らずで何とかしろ、というのは郭嘉をしても難しい。
 特にそれが平原という遮蔽物のないところで、なおかつ無能な味方を抱えている状態では。

 しかし、高順は虚勢を張っているようには見えず、勝つ気でいる。
 つまり、それだけの策があるという証であった。
 
「さて、私は自陣へと戻り、書類仕事をしてくるから」

 そう告げ、高順は手をひらひら振ってその場を後にした。

 高順とて勢力の長。
 賈詡にほとんど全ての権限を与えているとしても、最終確認は高順がせねばならなかった。






「はい、これで全部よ」

 賈詡から手渡された書類の束。
 それにさっと目を通し、印を押していく高順。
 賈詡はその様子を見ながら、何気なく問いかけた。

「で、策ってあるの?」
「何も無いことが策よ」
「……はあ?」

 賈詡は訳がわからない、と言った様子であったが、高順は説明はせずにそのまま無言で書類を処理し続ける。
 やがて書類の束も消え、高順が窓の外を見れば既に月は天高くにあった。

「勝てるの?」

 賈詡は単刀直入に問いかけた。
 彼女からしてみれば……というか、誰に聞いても今回の戦は全滅しに行くようなものにしか見えなかった。
 烏丸は既に相手が高順であると知っている。
 であればこそ、万全の準備を整えるであろうし、そもそもの最初の段階、兵力の集結及びその行軍を悟らせなかったという点で戦術的には既に優位に立っている。

 賈詡は高順から夏侯惇らが加わったことを聞き及んでいるが、それでも所詮は3000名。
 確かに少数部隊が大部隊に勝利したという事例は古今東西あるものの、それは少数部隊が精鋭であり、さらに名将が率いていた場合だ。
 今回の場合は余計なお荷物、無能な上司というものがくっついてきている。

 これでは勝てる戦も勝てない――そう賈詡は考えていた。
 そうであるが故に彼女は自分をこれまで通りに重用してくれる、と確信していたのだが……


 対する高順の答えは行動でもって示されることとなった。
 彼女は自身が吊り下げていた倚天の剣を鞘に収めたまま、賈詡へと手渡した。

「あなたはこれを。私は青紅の剣を持っていく。この剣、2振り揃ってこそのものだと思う」

 高順なりの、必ず帰ってくるという決意であった。
 しかし、賈詡はすぐにその意味を悟り、鋭く睨みつける。

「ボクを連れて行かないっていうこと?」

 静かな怒気を込めたその口調に対し、高順は彼女をまっすぐに見据え、告げた。

「剣が揃うのは戦場がお似合いではなくて?」

 高順の言葉に賈詡はポカンとした後、笑みを浮かべた。

「王累の件はこっちで何とかするわ……それと詠」

 真名で呼び、高順は不敵に笑ってみせた。

「負けをひっくり返してこその、英雄でしょう? だから、一番いい策を頼む」

 そう言う高順に賈詡は深く、深く溜息を吐いた。

「……時々、あんたって実は凄くバカなんじゃないかと思うわ」
「バカじゃなきゃ、英雄になりたいなんて思わないわ。大抵の場合、一番偉いヤツっていうのは頭がおかしいのが多いのよ。曹操だって何だかんだで色狂いだし、私もそうだし」

 それもそうね、と賈詡は肩を竦める。

「で、私は今から散歩してくるから」

 高順はそそくさと部屋を出ていった。
 残された賈詡も気分良く部屋を後にするのであった。




 黄忠は厳顔と夜空の月を見ながら酒を酌み交わしていた。
 璃々は既に寝かしてあり、ゆっくりと来るべき……おそらくは死ぬであろう戦に備える。

 予想と斥候からの情報では烏丸の軍勢はこの涿県まであと少しという程度に迫っており、数日中には到達するとのこと。
 劉璋にどのような考えがあるのかは分からないが、ほとんど目と鼻の先で迎え討つということになるだろう、というのが大方の予想であった。

「……後悔しているか、とは問わん」

 厳顔は酒を飲むのを一時的に止め、呟くように言った。

「遅かれ早かれ、あの小娘の下にいてはこうなった筈だ」

 ただ、と厳顔は続けた。

「少なくとも、あの娘の下で戦うよりは戦い易かった……いや、マトモに戦った記憶はないが、まあ幾分気が楽であったのは確かだ」
「ええ……」

 黄忠はそう肯定し、小さく告げる。

「璃々だけでも、どうにかできないかしら?」

 その問いに対し、厳顔は沈黙でもって答える。
 彼女は住民を避難させる、という話を聞いていないし、耳にもしていない。

 住民を避難させるならばそこに璃々を紛れ込ませる方法もあったが……

 黄忠は僅かに顔を俯かせた。
 彼女に対し、厳顔は口を開くが何も言えない。

 重い空気が漂う中、それを打ち破ったのは扉を叩く音であった。
 これ幸い、と厳顔が許可を出せば入ってきたのは何と高順。
 彼女がこのように夜に2人を訪ねてくるのは珍しく、これまで一度もなかったことだ。

 なお、劉璋とは違い、誰彼構わず閨に呼ぶというようなことをしない高順を厳顔も黄忠も中々高く評価していたりする。

「話は簡単よ」

 高順は部屋に入るなり、駆けつけ一杯とばかりに差し出された酒を一気に飲み干して告げた。

「漢升、あなたは戦に出なくていいから」

 黄忠も厳顔も高順が何を言ったのか、理解できなかった。

「それはどういうことですか……?」

 黄忠の問いかけに高順は腕を組み、何故か自信満々そうな表情で告げる。

「娘の傍にいてあげなさい。で、いざとなったら逃げなさい」

 話はそれだけよ、と高順は素早く部屋から出ていった。
 後に残された厳顔と黄忠。

「……わしは明日、出すものができた。紫苑、お前は璃々といてやれ。璃々にはお前が必要だ」

 ではな、と厳顔もまた部屋から出ていった。

「高順様……」

 部屋に残された黄忠、彼女が呼んだ名は虚空へと消えていった。






 孫権は1人、城の庭を歩いていた。
 戦火を免れた為か、それなりに小奇麗な庭園であったが、彼女の気は晴れず、夜空にある月もまたその気を晴らすことはできなかった。

 彼女はこれまでの戦闘で死というものを否応なく感じさせられた。
 戦場での死は唐突に訪れ、物語にあるような場面は無い。
 数秒前まで会話していた者がその数秒後には屍になっていることはよくあることであった。

 そして、孫権がより強く感じたことは姉である孫策の異常性であった。

 何故、人を殺す戦闘に快楽を感じるのか――?

 幸いにも、彼女をはじめとした孫家の者は明日の出陣からは除外されている。
 さすがの劉璋も、家柄はともかくとしてこれまで数多の実績を残し、帝の覚えも良い孫堅に無断で大事な跡継ぎ達を戦場に出すことは拙いという判断が働いた。

 そんなときであった。
 彼女の前方より歩いてくる者が。
 長い銀髪を揺らし、機嫌が良いのか鼻歌を歌っている。

「あら、仲謀殿。どうかしたの?」

 彼女は孫権に気づき、そんな風に声を掛けた。

「高順殿……」

 孫権がその名を呼べば彼女、高順はにっこりと笑った。
 そういえば、と孫権はその顔を見て思い出す。

 漢からは悪鬼羅刹の如く嫌われている高順であるが、あんまり前に出ているのを見たことがないことを。

「あの、高順殿。実は聞きたいことが……」
「何か?」
「何故、あなたは戦において前に出ないのですか?」

 問いに対し、高順はきょとんとした顔で答える。

「だって、総大将が前に出て剣を持って戦うのって負け戦でしょ? どう考えても」
「……確かに」

 正論を返され、孫権は何度も頷く。

「あなたの姉、かなり気をつけた方がいいわよ? 戦場で矢に当たってそのまま死亡とかそういうのって多いから」
「ご忠告、ありがとうございます……」
「で、他に聞きたいことってある?」

 その問いに孫権は躊躇したが、意を決して問うことにした。

「あなたは戦争をどう思いますか?」

 随分とスケールのでかい話だ、と高順は思いつつも、どういう意味かを考え……予想を立てた。
 それは孫権が敵や味方の死に衝撃を受けているのだろう、というもの。

「戦争というものは狂気の産物よ。殺し殺されなんて、マトモな頭じゃできない。どれだけ美辞麗句で着飾ろうともね」

 暫しの間をおいて高順は更に続ける。

「私はどれだけ相手の首を取ったか、というのには興味が無いの。そんなものよりも、勝ったのか負けたのか、それが重要よ。だから私は降伏した烏丸を逃しているし、負傷した烏丸を助けているの。私はね、敵の命を取るために、自分の武を誇るために戦争やってるんじゃないのよ」

 孫権はその言葉に衝撃を受けた。
 こんな物の見方をする輩は彼女の周囲にはいなかった。
 周瑜とて敵は殺さねば禍根を残す――そういう考えだ。

 高順の考えを字面通りに捉えれば甘いものかもしれない。
 だが、高順は極めて冷徹であった。

 そう、彼女は命は取らないが、それ以外の全てを搾取するつもりであった。
 簡単な話だ。
 敵側での評判を上げ、高順になら降伏しても良いという気分にさせる。
 その後、厚遇し、統治を万全に行う。
 すると敵は勝手に自分に忠誠を誓ってくれる、という寸法だ。

 無論、クリアすべき課題は多々あるが、それでも無理矢理に恐怖と力で屈服させるよりは遥かに楽である、と高順は判断していた。

「……あなたは凄い人です」

 孫権は心の底からそう告げた。
 しかし、高順は頬をぽりぽりとかく。
 その仕草はどうにも気恥ずかしいというよりかは困惑しているように孫権には見えた。
 気を取り直した高順はやがて表情を真剣なものとして孫権を真っ直ぐに見つめた。

「私はあなたの方が凄いと思う。あなたはきっと内政に力を発揮するでしょう。そして、国の要は内政であって、戦争ではない。ハッキリ言って、孫仲謀、あなたは孫伯符よりも凄いし、統治者として優れていると思う」

 今度は孫権が困惑する番であった。
 このように真っ向から褒められたことは彼女にはなかった。
 そして、ただのお世辞ではないことも高順の表情から分かる。

「私の真名をあなたに知っておいてもらいたい。そして、あなたの真名を教えて欲しい」

 紡がれた言葉に孫権は僅かに頷いた。
 了承したのは明日出陣の戦にあった。
 幾ら何でも劉璋を引き連れて10万の烏丸と戦うのは負けに行くようなもの。
 そして、高順の知名度から真っ先にその首を狙われることは間違いない。


 孫権の了承を見た高順はゆっくりと自らの真名を口にする。

「私の真名は彩よ」
「私は蓮華……何だか、おかしなことになったわね」

 孫権はそう言い、はにかんだ。
 元々は自分から声を掛けたのだが、話はよく分からない方へと転び、こうなった。
 だが、悪くはなかった。

 高順はくすくすと笑い、冗談めかして告げる。

「もし、孫家にいるのが嫌になったなら、ウチに来てほしいわ。倒れる程に仕事させてあげるから」

 対する孫権もくすりと笑う。

「考えておくわ。まあ、行くときは孫家が倒れたときでしょうけど」

 それは残念、と高順は答え、笑う。
 つられて孫権も笑ったのだった。






「はぁ……」

 厩舎の一角で公孫瓚は溜息を吐いていた。
 彼女を憂鬱にさせているのは言うまでもなく、明日の出陣。
 劉璋のダメっぷりは彼女のみならず、兵達にまで広まっており、そんな劉璋と共に烏丸10万を迎え撃つ、それも3万にも満たない数で……となれば憂鬱にならない方がおかしい。

 とはいえ、公孫瓚は逃げようとは思わなかった。
 彼女とて武人であり、敵を背にして戦う前から逃げることはできなかった。

「どうしたものかな……」

 そう呟きつつ、ぼんやりと高順には勝てる策があるのだろうか、と思ったそんなときだった。


「逃げよう」

 そんな声が聞こえてきた。
 何事かと公孫瓚はこっそりと見つからぬよう、厩舎の壁から覗き見る。
 すると数人の男達。
 彼らは揃いも揃って高順陣営の兵であることを示す軍服を着ている。
 
 一目で兵士であることの判別が着くように、と基本的に高順陣営の兵は戦場以外では鎧ではなくお揃いの軍服が支給されている。
 この軍服が中々にお洒落であるのだが、それは置いておく。

「今まで金が良いからついてきたが、もうたくさんだ。十分に元はとった」
「前に逃げた奴らを探して仲間に入れてもらうか?」
「いや、それよりは高順の情報を諸侯や朝廷に売った方が良いだろう」

 ヒソヒソとそのような会話をする連中に公孫瓚は怒りを覚えた。
 密談している連中だけではなく、しっかりと統率できていない自分や他の将軍達に。

 むかっ腹となった公孫瓚であったが、賈詡の教育の賜物か、その冷静さを失ってはいなかった。
 だが、せっかくの冷静さを一瞬で奪わせてしまう出来事が起こった。

「別に逃げてもいいわよ?」

 響いた声に男達は一瞬で言葉を失った。
 彼らが一斉に視線をその声の主へと向ければ、そこには月明かりに照らされた賈詡が立っていた。

 言うまでもなく、高順から全幅の信頼を置かれている賈詡。
 そんな彼女があっさりと逃げていい、と言い放ったのだ。
 その衝撃は凄まじい。

「アンタ達、確か新しく騎兵になった輩だったわね? アンタ達以外にももう50人くらい馬に乗れて逃げたいヤツをすぐに集めなさい。そしたら逃げるのに良い道を教えてあげるから」

 賈詡の言葉は嘘か真か、その判断は逃げたい彼らには勿論、公孫瓚にも分からなかった。

「嘘だとでも思ってるの? それならボクもついていけばいいでしょう? 途中まで案内するわ」

 その言葉に男達はそれならば、と思ったらしく承諾し、三々五々、人数を集めに去っていった。

「さて……そこにいるんでしょ、伯珪」

 告げられた言葉に公孫瓚は仰天して飛び上がり、その拍子に傍にあった桶を転がした。
 彼女は慌ててその桶を立てると賈詡の前へと出てくる。

「アンタ、明日は高順にはついていかなくていいわ」

 公孫瓚が何を言えばいいか、と考えた矢先に賈詡はそう告げた。

「それってどういう……?}
「私と高順の読みが正しければ、アンタは勇猛果敢なる将となれる素質がある」

 賈詡はそう言い、大袈裟に両手を開いてみせた。

「アンタさ、名を上げてみたいって思わない? 高順の下に公孫瓚ありって感じで」

 甘い話であったが、公孫瓚はすぐには食いつかない。
 その姿勢に賈詡は感心しつつ、さらに言葉を続ける。

「これは特別攻撃命令よ。アンタは50の騎兵を率いて長駆、烏丸の本陣を急襲してもらうわ」
「……は?」
 
 本陣、いわゆる敵の総大将がいる司令部。
 そこは敵陣のもっとも奥に存在し、そこへ辿り着くには数多の陣を突破せねばならない。

 言うまでもないが、僅か50騎の騎兵でどうにかなるものではない。
 しかも、その騎兵達が脱走したいという気持ちであるのならばなおさら。

「待て待て待て! 無理だろ!?」
「それが無理じゃないのよ。安心なさい。途中までボクがついていくから。ただし、逃げる連中はきっとただ前へ進むことだけで必死でしょうから、立ち止まって敵の大将の首を取るのは高順でも呂布でも董卓でもない、アンタの仕事よ」

 賈詡は不機嫌な表情ではなく、真剣な表情。
 公孫瓚は悟った。
 これは達成できる仕事である、と。

「策は……あるんだろうな?」

 問いに賈詡は自信満々に胸を叩いた。

「ボクは頼まれればとびっきりの策を授けるわ。高順からは一番いいのを頼まれてる。だから、敵も味方も、全員の度肝を抜くような最高の策を教えるわ」

  高順に言われた何もないことが策、それも部屋を出て歩いているうちに検討はついていたが、それだけでは足りない、と直感した。
 そして、それを劉璋がさせてくれないだろうことも。

「いい? 高順はきっと驕兵の計と空城の計を使う筈よ。でもね、劉璋がそれをさせてくれる訳がない。彼女は絶対に高順を傍に置いて自分が敵を打ち破るところを見せたい筈。故に、ウチは必ず乱戦に巻き込まれる……そして、烏丸は目の前にいる高順に夢中になるわ」

 ここまで言われれば誰でも意図に気がついた。
 公孫瓚は獰猛な笑みを浮かる。

「そして、私が後方から本陣を取る、と」
「ええ、薄くなった本陣など脆いものだから。攻撃する機会はボクが言うから、アンタはただ行って、見て、首を取るだけでいいわ」

 ちょうどそのとき、複数の足音が聞こえてきた。
 逃げたい連中のお出ましに賈詡と公孫瓚はとても良い笑みを浮かべる。
 何も知らないまま、敵本陣に突っ込まされる彼らであったが、忠誠の無い兵隊など賊の一歩手前に過ぎない。
 これまで掛けたカネは勿体ないが、こういった損失は実のところ賈詡も高順も折込済みであり、大して問題はなかった。

 公孫瓚もその辺の事情を悟ったが故の笑みであった。

「ああ、最後に、もし戻りたいと言う兵がいれば戻してあげなさい。大将を潰した後でも逃げようとした輩は速やかに殺しなさい」

 賈詡の言葉に公孫瓚は頷いたのだった。
 





 一方その頃、高順は郭嘉の私室を訪れていた。
 言うまでもなく、明日からの戦について自らの策を伝える為だ。
 しかし、そこにはちょうど程昱もいたので彼女も交えてのものとなった。

「驕兵の計と空城の計……ですか」

 ふむ、と郭嘉は顎に手を当てた。

「ちょっと難しいですね~」

 程昱の言葉に高順がその理由を尋ねれば劉璋の性格を彼女は挙げた。
 絶対に傍におき、自分の指揮を見せようとする筈だ、と。

 高順はそれもそうだ、とあっさりと空城の計を破棄する旨を告げるが、驕兵の計についてはできる、と断言する。

「敢えて劉璋軍を敗走させるのは難しいですね。おそらくただ突撃させるだけでしょうから、あっという間に潰走してしまい、兵は麻のように散り散りになり、とてもではありませんが整然と後退するなど……」
「劉璋軍の練度は正直、駄目駄目ですから~」

 そう答える2人に高順はニヤリと笑みを浮かべた。

「誰が劉璋軍を整然と後退させると言ったかしら? 後退するのは私の軍だけよ」
「ああ、そういうことですか」
「それはアリですね~」

 郭嘉と程昱はそれだけで高順の使う驕兵の計の具体的内容が分かった。

「虎豹騎は劉璋軍よりも後方に配置するよう、元譲殿に伝えましょう。両翼から挟撃できるように……李玉殿の説得も私が」
「まるで釣りのような策ですね~」

 程昱の言葉に高順は告げる。

「この策、釣り野伏せと言うのよ。掎角の計の発展型ね。後退する際は事前に早馬を出すから」

 高順のやることは簡単だ。
 混乱するだろう劉璋軍を放置して遅滞戦闘を繰り広げつつ、後退。
 そして、左右に配置した虎豹騎でもって追撃してきた烏丸を挟撃。
 その頃になれば曹操が戦場に到着している筈であり、彼女と協同して烏丸を撃破する。

 高順含め、劉璋以外の誰もが皆、曹操が大人しく城にとどまっているとは思っていない。
 そして、それを劉璋の腰巾着達は何も言っていない。
 彼女らとて死ぬのは嫌であるが故に、黙認しているのであった。

「高順殿の早馬や伝令の数には驚かされます。そこまで必要か、と思うくらいに」
「連絡手段はあればある程にいいわ」

 郭嘉の言葉にそう答え、高順は程昱へと告げる。

「会敵予想時刻は明朝出発で数刻以内、遅くてもお昼頃になると思う。集合時間に遅れないよう、孟徳に頼むわ」

 高順の言葉に程昱はこくり、と頷き、言う。

「良い策を教えてもらった代わりに、風もいいことを教えてあげますよ~あ、風の真名は風ですので~」
「あ、私は彩よ。で、何?」
「それはですね~風の考えた十面埋伏の計ですよ~」

 高順は顔がにやけそうになるが必死に抑えた。
 程昱に直接十面埋伏を教えてもらえるなど夢のようであった。







 食堂にて歌声が響く。
 出陣前の宴会は恒例であるが、今回はわりとこじんまりとしたものであった。
 
 明日の戦は死が待ち受けている――そう思った者達は騒がずに静かに時を過ごす、そういう選択をしていた。
 しかし、そんな連中は関係ないとばかりに元気な歌声が響く。

「昨日陥とした敵陣でー今日は仮寝の高いびきー馬よぐっすり眠れたかー明日の戦は手強いぞー」

 肩を組んで歌うのは華雄に馬超、馬岱。
 そんな彼女らを微笑ましく見つめるのは馬騰。
 少し離れたところでは趙雲と関羽が酒を飲んでいた。


「やれやれ、休む暇もない」
「まあ、そう言うな。これも給料の内さ」

 趙雲にそう関羽は答え、彼女の徳利に酒を注ぐ。

「勝てるか、勝てないか……そういうことを言う輩はここにはいない、か。さすがは高順と言ったところか?」

 趙雲の言葉に関羽は肩を竦めてみせる。

「文官連中はそういうことを考える輩は多い。だが、将たる者、常に勝つという気概が大事だ」

 なるほど、と趙雲は酒を呷る。

「まあ……そういうことを考えない気楽な連中もいるがな」

 関羽は食堂の端で陳宮に給仕されている呂布へ視線を向け、すぐに戻した。
 見ているこちらが胸焼けしそうな量を事も無げに平らげていた。

「今日は飲むとしよう。どうせ明日も変わらないさ」

 趙雲は関羽の徳利に酒を注ぐ。

「明日も変わらないとは?」
「行った、見た、勝った……それだけさ。何、途中の困難は多ければ多い程に楽しいものだ」
「お前も随分と豪胆だな」
「何、私は人生を楽しんでいるだけだ。それ以上でも、それ以下でもない……まあ、ここに来てもっとも良かったのが、主がメンマに理解ある人物であったことだ」

 うむ、と至極真面目な顔で趙雲はメンマを一つ、口へと運ぶ。
 そのシャキシャキとした食感に彼女は顔をほころばせる。

「普通ではないのは確かだな、うん」
 
 そう言い、関羽もまたおつまみであるたくあんを一つ、口へと運ぶ。

「で、烏丸の連中はどうだ? 同胞と戦うのは~とか何とか言っているんじゃないか?」
「いや、どうやら連中としては高順様に受けた恩を返したいとか何とかでな」

 関羽の返事に趙雲は告げる。

「先の楼桑村での一戦か」
「ああ、あそこで負傷した烏丸兵を助け、治った者から順次逃したのが効いているらしい」
「もしかしたら、烏丸は高順殿の配下となる為にわざわざ10万の兵隊を率いて来たのか?」

 趙雲の冗談めかした言葉に関羽は笑いながら言った。

「それだったらいいな。一戦した後に打ち負かせば味方になる……うちが一気に最大勢力となるだろう」
「そして、反高順連合で袋叩き、か。笑える話だ」
「何、遅かれ早かれ、曹操とは決着をつけるつもりだ。ウチの主はな」
「らしいな。勝つ気なんだろう?」
「そうだとも、子龍。ウチの大将には勝てる策があるんだろう……そういえば仲穎の姿が見えんが?」
「先程、文遠と共に書類仕事をしているのを見たが」
「そうか……大方、また文遠のヤツがサボっていたのだろう。後で酒の差し入れでもしてやるか」
「仲穎と言えば高順殿はそろそろ後継者を作る必要があるんじゃないか?」

 趙雲の問いにそういえば、と関羽は気がついた。
 曹操にも袁紹にも孫堅にも後継者がいる。
 今回の戦には間に合わないとはいえ、種を仕込む時間はある。

 関羽としては折角、それなりの地位を築き、また待遇も良い高順陣営から今更他の陣営に鞍替えしようとは思わない。
 何よりも、自分をいきなり将に抜擢してくれた恩がある。
 
「それともう一つ、気になることだが……高順殿には実は種が無いんじゃないか?」

 声を潜めて告げた趙雲に関羽は思案する。
 彼女は勿論、高順陣営に属する者の多くは既に高順が両性具有であることを知っている。
 そして、おそらくは他の陣営にも情報が漏れていることも承知している。

 その高順はこれまでに幾人もの女を抱いているが、一向に誰かが孕んだという話は聞かない。
 賈詡が孕んだ女を隠匿しているにしても余りにもそういった話がなさ過ぎる。

 種が無い、となれば高順が両性具有である優位性はほとんど消えてしまう。
 子供を孕ませられるということはそれほどまでに重要であった。

「……極めて難しい話だ。明日の戦よりも遥かに」

 関羽は渋面で答えた。

「だろうな。とはいえ、確認しなければならないことだ」

 趙雲は立ち上がった。
 それを見、関羽もまた立ち上がる。
 2人は頷き合い、食堂を出ていったのだった。






 当の高順はというと、郭嘉や程昱との軍略談義を終え、自室へと戻っており、寝台の上で本日のお相手を考えていた。

「明日の勝利を祈願して蹋達とかを喘がせるのもいいかもしれないけども……賈詡の体を堪能しておきたい気も……」

 むむむ、と真剣に悩む高順。

「あーでも、華雄も……うーん……」

 うんうんと悩む彼女であったが、その悩みは扉が叩かれ中断されることとなった。
 何事か、と誰何すれば関羽と趙雲だと言う。
 夜にやってくるのは珍しい2人に高順が許可を出せば、恐ろしく真剣な顔の2人。
 彼女達は扉を閉めて施錠し、高順と向きあった。

 まるでこれからお命頂戴、と言わんばかりの表情で関羽は問いかけた。

「高順様……あなたは種がありますか?」
「……え?」

 言われた高順はポカンと口を開ける。
 余りにも直球過ぎて彼女は頭が追いつかなかった。

「高順殿、あなたの後継者のことです。何度もあなたは女を抱かれているが、一向に誰かが孕んだという話を聞いたことがありませぬ」

 趙雲の補足に高順は合点がいき、手のひらをポンと叩く。
 避妊というのはあまり一般的ではない。
 やったら子供ができる、というのが当然の常識であった。

「私だけができる特別なおまじないで子供を孕ませないようにできるのよ」
「……嘘臭いですぞ」

 じーっと見つめてくる趙雲と関羽に高順はどうしたものか、と困惑する。
 嘘も何も、それが本当なのだから仕方がない。

「とはいっても、わざわざ誰かを孕ませるのも後継者を決めるときに揉めるでしょう?」

 高順の問いかけに趙雲と関羽は頷く。
 下手な者を孕ませればそれこそ、後継者を決めるときにしゃしゃり出てきて大変めんどうくさい事態になる。

「ということは孕ませても問題がないような人物ならば問題はないのですな?」

 趙雲の更なる問いかけに高順は最終手段を使うことにした。

「賈詡に聞いて頂戴。彼女が許可を出した人物となら……」

 趙雲と関羽は言質を取ったとばかりに頷き合い、すぐさま部屋から出ていった。



「……私の子供、かぁ」

 いつかは持つことになる子供。
 上に立っているが故に、そこらの行きずり娘を孕ませるわけにもいかない。
 一番確率が高いのは、と高順は考え、やがて予想を出した。

「蹋達とかの、孕ませても大きな影響が出ない人物か……」

 大きな影響というのはいつでも切り捨てられるという意味でもある。
 自分の子供を捨てる、というのはアレであるが、高順とてこれまで散々に色々見てきた。
 陳留滞在中に波才隊の妊婦に頭を悩ませたこともあった。
 賈詡に任せて産まれた子供は職人などに預けてあるが、果たして順調に成長しているかどうかは怪しいところだ。
 金銭は渡したとはいえ、その日のうちに川に投げ捨てられてもしょうがない、と当時の高順は最終的に考えた。

「……現代人が旅行感覚でこっちに来たりしたら、聞くに耐えない批難の喚きを上げるでしょうね」

 高順は吐き捨てるようにそう言った。
 現地には現地の事情というものがある。
 それを無視して無理矢理にやろうとすれば現地では不満しか出てこないのは当然だ。

 彼女は未来の知識をこの時代の、この土地の風土にあわせてアレンジするというのに苦心していた。
 できるだろうということができないもどかしさ。
 それが先の狼群戦術での失敗となっている。

 現代人が未開とか土人とか言うのは簡単なことであるが、その現代人も数百年前までは未開地の土人であったわけである。

「誰の言葉だったか、子供来た道叱るな、老人行く道笑うな……良い言葉だわ」

 字面通りに捉えても良し、反対に子供を発展途上国、老人を先進国と見ても良い。
 発展途上国のことを先進国は理解できないし、その逆もまた然り。

 理解できないということを前提においた上で、ありのままに受け入れるのが大事なのだ。

「徹底した調査を行った上で、少しずつ実情にあわせた施策をせねばならない。わかりきったことではあるけど、難しい」
 
 色々とこれからを考えている高順であったが、その思考も再び叩かれた扉により中断を余儀なくされた。
 彼女が許可を出せば入ってきたのは趙雲と関羽と賈詡、彼女らに続いて入ってきたのは厳顔。
 凄い組み合わせに高順は唖然。

「高順、アンタ、孕ませなさい」

 ビシッと指さして告げられた言葉に高順は賈詡をまじまじと見つめる。

「えっと、誰を?」

 問いに賈詡は孕ませるべき人物を指さした。
 やはりというか、それは厳顔。

「アンタの後継者にしないことは約束済みよ。あくまでアンタに種があるかどうか、その確認だから」

 厳顔は親友の黄忠が遊びとはいえ既に子供がいることから、色々と焦りがあるのだろう、と高順は予想を立てる。
 
「というわけで高順殿、励んで下さい」
「明日の朝は精のつくものをお出ししますので」
「寝坊すんじゃないわよ」

 三者三様、それぞれの言葉を残して賈詡達はそそくさと部屋を後にした。
 高順は残った本日のお相手の顔を見て、なんだかなぁ、と居た堪れなくなった。

 遊びで女を抱くのはいいが、どうにもコレは仕事のような気がする……
 
 そんな気持ちに彼女はなっていた。
 しかし、そんな彼女など露知らず、厳顔が彼女の前に跪いた。

「お館様」
「……はい?」

 聞き慣れぬ呼称に高順は目を丸くする。

「わしは先程の漢升の一件、感服致しました」
「ああ、あれね……」
「承知の通り、漢升は弓の名手。此度の戦では弓の撃ち合いが主と予想されますが、それでもなお、娘の為にと残すその心……わしはこのような人物に未だ出会ったことがありませぬ」

 そして、厳顔は平伏し、大きな声で告げた。

「我が真名は桔梗! 我が命、貴女に預けよう!」

 高順は暫しの間を置いた後、獰猛な笑みを浮かべ、告げた。

「我が望みは大陸を制覇し、1000年先まで続く国を興すこと……あなたのかつての同胞と戦わねばならない時が必ず来る。それでも良いか?」

 厳顔は顔を上げ、凛としたその瞳を高順へと向け告げた。

「無論、覚悟の上……貴女の大望の礎となることをここに誓う」

 よろしい、と鷹揚に頷き、高順は厳顔のその頬に手を添え、優しく撫でる。
 厳顔はまっすぐに高順を見つめる。

「桔梗……お前を孕ませる。良いな?」

 厳顔は頬を朱に染め、僅かに頷く。
 そのまま高順は彼女を寝台へと誘ったのだった。