早いもの勝ち



 曹操・劉璋の軍勢は予定よりも1週間遅れて涿郡へと到着した。
 高順はあの暗殺合戦が終了した直後に賈詡達を呼び寄せ、距離的に楼桑村と近いこともあって彼女は賈詡達と共に援軍を出迎えた。
 そして、その後、責任者会議ということで曹操と劉璋の2名と高順は会うことになったのだが……



「妾が劉李玉であるっ! 胡族の分際で頭が高い! 控えよ!」


 涿県の主城、その玉座に座ってそう高々に宣言したのは劉璋。
 高順はじーっと傍にいる曹操へと視線を向けた。

「分かってるから、何も言わないで……」

 彼女も疲れた顔でそう答えた。
 どうやら道中、ずーっと劉璋の相手をしていたらしい。
 曹操は大勢力を築いたが、所詮は陳留の太守であるのに対し、劉璋は益州の刺史。
 官位に着目すると立場は逆転してしまうのである。

 そもそも何で劉璋が玉座に座っているかというと、妾は皇族だから、という単純明快な理由から。
 曹操も高順も床に直接座らされており、また随員もいないのに対して劉璋は側近達をその横に侍らせていた。


「さて、高順。妾が援軍としてやった2人は十分に戦果を上げたじゃろう……」

 そう言いながら、劉璋はすっと手を差し出した。

「妾はまっことに寛大であるからして、2人の働いた分の金子を支払うだけでそなたを見逃してやろう!」

 何言ってんのコイツ、と高順は曹操へと視線を向けた。
 対する彼女は処置なし、と肩を竦めた。

「妾の寛大な処置に言葉も出ないか! そうじゃろう! 本来なら漢の民への略奪その他諸々の罪で即刻打ち首のところを見逃してやっているところなのじゃ!」

 うんうん、と頷く劉璋。
 そんな彼女に高順は小声で曹操に尋ねた。

「私、漢に対して周辺異民族総動員で反乱起こしていいの? 征服王朝建っちゃうよ?」
「やめて、お願い。本当にやめて」

 わりと本気で勘弁して、と言っている曹操にそんだけ疲れているんだなぁ、と高順は思いつつ、どうやってしまおうか、と考える。
 劉璋は高笑いをしており、彼女の腰巾着――側近達も劉璋を褒め称えており、高順も曹操も蚊帳の外になっている。
 中には褒めていない者もいるが、それはたった1人しかいない。
 
 高順は駄目で元々と法正と張松について尋ねてみた。

「李玉様、つかぬことをお尋ねしますが、そちらに法孝直と張子喬という者はおりますか?」

 高順の問いに劉璋は高笑いをやめ、考え込むこと数秒。
 そして、ポンと手のひらを叩いた。

「あの口うるさい連中かや? あんな無駄飯食らい、そちにくれてやる!」
「お待ちください!」

 待ったをかける声は横から出た。
 劉璋の側近でありながら、褒め称えていなかった唯1人の人物がその声の主であった。
 彼女は劉璋の前に歩み出、礼を取りながら告げる。

「彼の者達を口うるさい、と思われるかもしれませぬが、それでも有能であります。李玉様は聡明なる我が主。故に一時の感情に支配されてはなりませぬ」
「むむむ……それもそうじゃの……ならば王累の言うことを受け入れてやるのじゃ」

 有り難き幸せ、と告げる王累を高順は可哀想な目で見ていた。
 まるでこれから屠殺される牛を見るかのように。

 隣にいた曹操も同じようなものであった。
 彼女は高順が挙げた2人の人物を知らなかった。
 しかし、あの高順が知っている人物となれば話は別。
 それだけ優れた才を持っていることは想像に容易い。

「妾は疲れたのじゃ。今日はもうお開きじゃ」

 1刻も経っていないのに劉璋はそう言って、さっさと側近達を引き連れて部屋から出て行ってしまった。

 残された2人はお互いに顔を見合わせ、すぐにお互いに同じ事を考えていることに気づいた。

「あなたと私はやはり似ているわね」

 曹操の言葉に高順は笑みを浮かべた。
 ちょうどそのとき、扉が開いた。
 劉璋が戻ってきた、という可能性を2人は全く考慮していない。
 事実、足音は2人分。
 その2人は高順と曹操の背後でそれぞれ歩みを止めた。
 高順と曹操は振り返り、全く同じ言葉を発した。

「王累を始末し、法孝直と張子喬を引き抜きなさい」

 そこにいた2人――賈詡と荀彧は礼を取り、足早に部屋から出ていった。 

「彩、あなたの予想は?」

 曹操の問いかけの意味を高順はすぐに察した。

「戦場って何が起こるか分からないから怖いわよね」
「ええ、全く。どこから矢が飛んでくるかわからないわ……ところで今からどうする?」

 曹操の問いに高順は怪しい笑みを浮かべる。

「是非とも見て欲しいものがあるの。これはきっと行軍速度向上に繋がる筈よ」

 善は急げ、と高順は曹操の手を引っ張ってその場を後にしたのだった。








 そして2人がやってきたのは城内の高順に割り当てられている部屋。
 高順は部屋に入るなり、曹操にあるものを渡した。
 それは巻物に布を二重に貼りつけたもの。

「……? 何これ?」

 不思議そうにそれを見つめる曹操に高順は胸を張って告げる。

「男性用性欲処理器二号よ。一号は獣の毛を使ったことからアレだったけども……二号は獣の毛をやめて布を二重にしてみました。」

 高順は曹操からそれを取り上げて、具体的に説明してみせる。
 初めこそ微妙な表情の曹操であったが、話を聞いていくうちに段々と興味深そうにそれを見つめ始めた。

「これ、幾ら?」

 単刀直入に曹操は尋ねた。
 自分をわざわざ誘ったのはコレを買わせる為だ、と容易に検討がついていた。
 そして、曹操はかなり乗り気であった。
 何しろ、これがあればわざわざ大勢の娼婦達を金を払って雇わずに済み、その分行軍速度も上がるというもの。

「1個200銭よ」
「……これでそんだけ取るの? 巻物に布をつけただけでしょ?」

 幾ら何でもボリ過ぎじゃないの、とそういう視線の曹操に高順は渋い顔となった。

「私、何回も何回もコレで抜いて使用感を確かめたのよ?」
「でも、200は行き過ぎよ。いいとこ半分だわ」
「じゃあ170でどう?」
「高すぎよ。それならこっちで作った方が安いわね」
「160で……」
「もう一声、欲しいところね。ウチ、男の兵士も多いから……」

 そう言い、どうかしら、と問いかける曹操に高順は溜息を吐いた。

「150。これ以上は無理。ウチの財政真っ赤だからもう勘弁して」
「あら、そんなに赤いの?」
「うん。だって私、援助してくれる人なんていないし、勢力基盤もないし」
「まあ、そこらは自業自得よ。そうねぇ……140だったら買ってもいいかもしれないわ」
「鬼畜巻き毛百合女め」
「あら、それが好きなんでしょ?」

 にこにこと笑う曹操に高順は深く、深く溜息を吐いてみせる。

「130でいいわ……」
「ま、それで妥協しておきましょう……あなたを虐めるのはこういうところよりも、寝台の上の方が楽しいし……」

 そう言いながら、曹操は寝台の上に腰掛け、うーん、と伸びをした。
 あちこち凝っていたらしく、ポキポキと音がする。

「でさ、私、知っての通り、滅茶苦茶疲れているのよ。どっかの馬鹿のせいで」

 ふふふ、と怪しい笑みを浮かべ、曹操は自身の靴や靴下を脱いだ。

「足もこんなに蒸れちゃってね……ねぇ、彩。舐めてくれないかしら? 華琳としてのお願いなんだけど……」

 高順が断るわけがなかった。









 高順と曹操、二大勢力の長がよろしくやっている頃、その配下達は頑張っていた。
 曹操陣営は多数の軍師や文官がいるので然程でもないが、賈詡や陳宮は夏侯楙や公孫瓚、魏延、劉備といった見習い達をお供にあちらこちらに出向いては折衝していた。
 特に賈詡は高順からの頼まれごともやらねばならないので大変だ。
 
 兵や武具、兵糧などの管理、城内と城下の警らの役割分担などなどとやることは山ほどあった。
 特に涿郡を事実上、奪回したとはいえ予断を許さない状況であり、商人などが護衛無しに行き来できたものではない。
 故に基本的に補充ができない、と考えておかねばならない。

 とはいえ、この時代、基本的に補給というのは根拠地などから輸送するというのではなく、現地調達が主流だ。
 現地で購入するのは勿論、兵士が畑を耕して、木を伐採したり、とそういうものだ。
 こんなことをしていては軍隊としての機能が著しく制限されてしまうが、生きる為には仕方がない。
 幸いにも今回は朝廷が色々と動いている為に現地調達ではなく、各地から河川や海を利用した海上輸送と牛車や馬車、あるいは荷車による陸上輸送の複合でもって、前線へと物資が運ばれている。
 もっとも、その頻度もそこまで多くはなく、現代アメリカのように必要なときに必要なだけの物資が前線に揃っているなどということはない。
 どれだけ優秀な軍師や文官を抱えていても、それは曹操陣営も同じ事。
 足らぬ足らぬは努力が足らぬ、その精神でどうにかするのが現状であった。


 曹操・劉璋を加えた涿郡方面軍は一気にその兵力を増加させ、5万3000名余りとなった。
 曹操軍が3万、劉璋軍が2万に高順軍が降伏した烏丸兵も含めておよそ3000という内訳だ。
 曹操軍は完全編成ではなく、1万人余りを領地へ休養させていたり、領地の警備をさせている。
 また、領内が賊の跋扈しているにも関わらず、手が回らないような太守にウチの兵を貸す、という話を持ちかけ、その賃貸料でも収入を得ていた。
 とはいっても、その料金は格安であり、単なる宣伝として曹操は考えていた。
 だが、曹操は軍師や将軍はほとんど全員を連れてきており、高順の戦術などを盗もうという気が満々であった。


 しかし……その前途には暗雲があった。
 楼桑村会戦、あのとき高順は楼班に言った。
 10万あれば無様に負けないだろう、と。
 アレが実現しようとしていた。



 今回、涿郡に曹操が進出したという報を聞きつけた烏丸の大人達。
 彼女らは目の前に布陣する大兵力を従える孫堅ではなく、柔らかい下腹部を突き上げる形で存在する曹操・高順連合軍をまず叩き潰さねば、と考えた。
 しかし、機を見るに敏、戦上手の誉れ高い孫堅相手にただ単純に兵力を動かしては一気呵成に攻め込まれる。
 故に、大人達は一計を案じた。

 そう、これまでの烏丸には無かった戦略的機動を行うことにしたのだ。
 烏丸騎兵は杜預をしても、迅速と言わしめる速さを持っている。
 故に大人達は孫堅の目の前から大規模な退却を行い、村や街からも全て撤退するという決断を下した。
 命令は即座に実行され、孫堅の目の前から敵が消え去った。


 それを見、孫堅は偽装退却を疑い、慎重にならざるを得なかった。
 彼女とて初戦から今に至るまで何度も何度も偽装退却で痛い目を見てきたのだ。
 そうなっても仕方がない。

 疑心暗鬼となっている孫堅を放置し、烏丸はそのままそっくり兵力を涿郡へと振り向けた。

 その数、10万余名。
 かつては数十万の規模で漢へと雪崩れ込んだ烏丸も、長引く戦で次々と数を減らし、今ではここまで減っていた。
 対する漢の連合軍も同じもので開戦当初は100万を超えていたものの、今では60万にまで減っている。
 高順陣営でも討ち死にや脱走などが多く出、投降した烏丸兵を含めなければ1500名を下回っているような状態だった。

 烏丸の大人達がそのまま引き上げずに高順らへ攻撃を仕掛ける意図は簡単だ。

 それは追撃を避ける為。
 曹操陣営は勿論のこと、先の楼桑村会戦において高順だけではなく、その配下にも猛将揃いということから放置していては追いつかれてしまう可能性が大いにあった。


 事実上の最終決戦は刻一刻と迫っていた。
 だが、高順も曹操もそれを知るよしもなかった。