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戦場の昼食会

 北平を出立した高順一行は孫堅の本陣に特に何事もなく到着した。
 到着直後、あの高順と華雄を一目見ようと多くの手すきの兵達が集まってきていたが、鬼教官といった形容詞がよく似合いそうな紫髪の少女に一喝されてすぐに持ち場に戻っていった。
 今日はここに泊まるので、高順らが陣を張る中、彼女らを見つめる人物が1人存在した。
 その人物は紫髪の少女が一喝できない、上の存在であり、孫堅の下への案内役の1人でもあった。



「……このような軍は見たことがない」

 そう呟くのは黒髪を長く伸ばし、眼鏡を掛けた少女。
 翠色の瞳が特徴的だ。

 未だ若輩なれど、既に孫堅の信任は厚い。

「冥琳、こんなところにいたの」

 その少女に声を掛けるのは薄い紫髪の少女。
 薄紫の彼女は高順らを一瞥しただけで視線を目の前で唸っている少女に戻す。

「ああ、雪蓮か」
「やっぱりあなたも高順が気になるの?」
「気にならない奴がいるなら是非ともお目にかかってみたい……目の前に1人いたな」
「それってどういう意味よー」

 ぶー垂れる少女にクスクスと眼鏡の少女は笑う。
 そんな少女に紫の少女はふてくされながら告げる。

「ちらっと見た程度だけど、連中一流しかいないわよ。あと、一騎打ちしたら私どころか母様でも敵いそうに無いのも」
「……勘か?」
「そうよ、勘。私の勘はよく当たるから」
「分かってるとも……他所の勢力に加わられると厄介だな」
「ああ、その点なら大丈夫よ。飢えた虎を飼い慣らそうとすれば食い殺されるから」
「……それほどまで、か。孫伯符?」
「それほどまで、よ。周公瑾」

 それきり会話は途切れた。
 やがて陣構築が一段落したのか、長い銀髪の少女と緑髪の少女がやってきた。
 彼女らは孫策と周瑜の前まで来ると、銀髪の少女が口を開いた。

「私が高順よ。孫文台殿のところへ案内願う」
「周公瑾だ。こっちは孫伯符。こちらへついてきてくれ」
「よろしくねー」

 笑顔で手をひらひら振る孫策に周瑜は溜息を吐き、高順らは呆気に取られたのであった。









「よく来てくれた」

 そう言いながら孫堅はにこやかに高順らを出迎えた。
 無論、彼女1人ではない。
 彼女の回りにはずらっと家臣団が勢ぞろいしている。
 誰もが皆、表向きは笑顔であるが、内心では良からぬ感情を抱いているだろうことは容易に想像がついた。

「文台殿、早速ですが……」

 高順はそう言い、賈詡に目配せ。
 彼女は頷き、告げる。

「我々は大将軍何進様及び宦官筆頭の張譲様から要請を受け、馳せ参じました。ですが、北平にて劉太守により、極めて不快な出来事がございまして」
「……それはどんなことだ?」
「我が主の高順様が劉太守配下の兵に乱暴を働かれ、牢に入れられました。そして、牢では看守による暴行が加えられ、また肝心の劉太守は高順が怖い、と居留守を使う始末」

 孫堅は頭を抱えた。
 彼女と同じように孫堅配下の多くの者達も頭を抱えた。

「これに対する対応が行われなければ遺憾な事態に陥るとお考え下さい」

 部下の失敗は上司の責任。
 連合の総大将である孫堅は一時的な部下の劉璋が行ったことに対する責任を取らねばならない。

 そして、賈詡は相手の反論を封じるのも忘れない。

「無論、我々の言が虚偽であるという可能性もございます。ですが、厳顔、黄漢升という劉璋配下の将が援軍として我々の軍に参入しております。彼女らに証言させれば良いかと存じます」
「ああ、わかった。張昭、その件に関しては任せた」

 孫堅の言葉に黒髪の女性が僅かに頷く。

「さて、文台殿。我々としては独自に動いた方がやりやすいのですが、何か作戦などは……?」

 高順の問いに孫堅は笑ってしまう。

「もう少しゆっくりしたらどうだ? 敵は逃げたりはしない」
「敵は逃げませんが、あなたの領民は逃げるのでは?」

 高順の言葉に孫堅はやられた、と苦笑してしまう。
 軍を遠隔地で維持するというのは膨大な物資と金を浪費することと同じだ。
 ましてや、確たる戦果を上げていない現状では領民達には勝っているのか負けているのかもわからない。

 どころか、孫堅自身も連合軍が勝っているのか負けているのか判断に困るところだった。
 有利であるのは間違いないが、被害もまた甚大なのだ。

「私としてはお前達には好きに動いてもらった方が良いと考えている。勿論、私からも援軍を送ろう」

 お目付け役の存在に高順がすかさず問いかける。

「あなたの陣が手薄になるのでは?」
「心配無用。ウチはそんなにヤワじゃないんでな。伯符、公瑾、仲謀、興覇」

 呼ばれ、4人が脇から進み出る。
 孫策は呑気に手を振り、そんな彼女に周瑜は呆れ顔。
 孫権は生まれて初めて見るらしい羌族である高順が気になるらしく、チラチラと高順に視線を送っている。
 そして、甘寧はというとあの高順の手元に飛び込むことに決死の覚悟でも抱いているのか、悲壮な顔であった。

「お前達は300名程、兵を率いて高順殿の手助けを。以後、別命あるまで高順の指示に従え」

 その孫堅の言葉に高順と賈詡は内心驚くと同時にさすが孫堅、と称賛した。
 指揮系統の一本化は戦場において迅速な意思決定に必要不可欠。
 同時に、孫堅の狙いも高順と賈詡は読めていた。
 高順らの戦術を盗んでしまおう、高順らが連合から離反するのを防ごう……そういう狙いだ。

 とはいえ、ここまできたら拒否するわけにもいかない。
 逆に考えれば孫家と交流を深め、仲良くなっておけば交易などがやり易くなるかもしれない。
 高順と賈詡はそこまでお互いに考え、視線を交わし、僅かに頷く。

「というわけで、お世話になるから」

 呑気な孫策。

「高順殿の采配を存分に見させていただきます」

 気づかれていることを悟った周瑜が堂々と宣言。

「改めて、孫仲謀と申します。これからよろしくお願いします」

 礼儀正しく挨拶する孫権。

「甘興覇です」

 短く告げ、鋭い目付きを一層鋭くさせている甘寧。
 
 ところで孫策と周瑜が十代半ば、孫権と甘寧が十代前半程度。
 高順らも彼女らのことを言えないが、随分と若かった。
 そして、甘寧がこの時点で既に孫家陣営にいるということ……これらはあることを暗示しているのだが、さすがに高順や賈詡といえど、それに気づくことはなかった。






 顔合わせということで孫策らを連れて高順と賈詡は陣へと帰還したのだが、ここに来るまで一悶着あった。
 孫策と周瑜、そして控え目ながら孫権が高順に質問をこれでもかと浴びせてきたのだ。
 彼女らは南方出身であることから、いわゆる五胡と呼ばれる異民族を見るのは烏丸が初めてであり、身近で話せるのは高順が初めてであった。

 一番の難問といえる異民族である高順への誤解や偏見、そういったものはこれで無くなったのは僥倖だ。
 だが、それもあくまで異民族というものに対する認識の話であり、敵か味方か、というのとはまた話が違ってくるのは言うまでもない。
 仲良く話したから味方、というのはあまりにもお花畑な考えであった。



「随分と遅かったな」

 陣にて出迎えた華雄は高順と賈詡にそう言いつつ、くっついてきたお荷物に怪訝な視線を向ける。

「こちらは?」
「華雄、こちらはうちに援軍として精兵300名と共に文台殿が送ってくれた孫伯符殿、周公瑾殿、孫仲謀殿、甘興覇殿よ」

 華雄の問いに高順が答え、了解した、と頷く華雄。

「とりあえず大天幕へ来い。皆、昼食を待っているんだ。ああ、伯符殿達も勿論、どうぞ。量は十分ありますので」





 入った大天幕は広く、数十人が入ってもなお余りある広さであった。
 そこには高順配下の主要な者が車座に座っている。
 そして、そこにいたある人物に孫策と周瑜は息を飲んだ。

「じゅ、寿成殿!?」

 孫権が驚きの余り声を上げた。
 彼女ら3人は孫堅繋がりで数度、馬騰に会ったことがあるのだ。
 高順に敗れ、以後消息不明と聞いたときは孫堅含め、心配したのだが……

「おう、文台の娘共。久しぶりだな」
「なぜあなたが高順殿と……?」

 周瑜はどうにか気を落ち着かせながら問いかける。

「色々あって、今は娘や姪と共に高順の部下やってるんだ」

 そう言い、馬騰は左右にいた馬超と馬岱の首を掴み、孫策らに見せる。

「母様何すんだよ!」
「おば様ー!」

 抗議の声を上げる2人に馬騰は笑い、解放する。

「ああ、それとこのことは文台とかその他諸々の諸侯には秘密にな。まあ、何進や張譲は知っていると思うが」
「はぁ……」

 気のない返事をする周瑜。
 そして、甘寧はただ驚き、高順へと視線をやっていた。
 彼女は会ったことこそないが、馬騰の勇名は知っている。
 その馬騰を打ち破った高順と華雄は大したものだが、それでも異民族であるということから油断はできない……そう思っていた。
 だが、高順が悪虐非道な蛮族であるなら馬騰が共にいることはないだろうこともまた予想がつく。

 そこから導き出されることは敵であった者を迎え入れるだけの器を持った好人物ということになる。

「私に何か?」

 視線に気づいた高順が首を傾げながら問いかけてきた。

「……何でもありません」

 甘寧はそう答え、視線を逸らす。
 対する高順も視線を向けられるのは慣れたもので、特に気にせずに告げる。

「さて、彼女ら4人は文台殿から精兵300と共に送られた援軍よ。左から順に孫伯符殿、周公瑾殿、孫仲謀殿、甘興覇殿。仲良くして頂戴……ああ、自己紹介は昼食の後で。せっかくの料理が冷めてしまうわ」

 そう言い、高順は適当なところに腰を下ろした。
 彼女の両隣にそそくさと賈詡と華雄が陣取る。
 それを見、孫策達も適当なところに腰を下ろす。

「歓迎の宴とか前祝いの宴とかそういうのはウチはやらない主義なの。質素な食事だけど、まあ許してね」

 高順の言葉が終わるや否や、当番の兵達が次々に料理を運び込んできた。

「これは何かしら?」

 孫策は見慣れぬ大根を切ったものを指さす。
 こういう場であっても、彼女は決して物怖じしない。
 そんな孫策に高順は嬉しそうに答える。
 それこそまさに、高順が大陸で広めようと密かな野望を抱いているものであったりする。

「それはたくあんよ」
「たくあん?」
「大根を米糠と塩でつけたもので美味しいの」

 そう言い、高順が手元の皿にあったたくあんを一切れ、口に放り込む。
 するとポリポリという音が辺りに響く。
 孫策は勿論、周瑜や孫権、甘寧も一切れ食べてみた。
 ポリポリという音が辺りに木霊し、やがて4人はそれを飲み込んだ。

「いいわね、これ。塩味と歯ごたえが何とも言えないわ。塩でつけてるなら保存も効くだろうし」
「しかし米糠はともかく、塩を大量に使うと思います。費用が掛かるのでは?」

 周瑜の問いには賈詡が答える。

「思っている程、塩は大量に使わないわ。問題なのは米糠と塩に浸している期間よ。だいたい1ヶ月程漬ければいい。勿論、その際には壺にしっかりと蓋をして石を置いておかないと駄目だけど」

 そんな賈詡に高順が続ける。

「大根だけでなく、きゅうり、茄子、白菜、人参をつけても美味しいわよ。それに1ヶ月漬けなくても、一晩漬けておくだけでも美味しい」
「これは羌族の料理なのですか?」
「いや、これは高順が勝手に作ったものだ。普通の料理もそれなりにはできるが、保存が効く簡単な料理を作らせたら高順以上に上手い奴もいないだろう」

 孫権の問いに華雄が答えた。
 孫権は感心したように数度頷く。

 とはいえ、高順の作っている料理は彼女自身が考案した創作料理という大層なものは皆無だ。
 大抵の場合、日本に古くからあるものだったりする。

「質素とは仰られましたが……中々に豪勢ですね」

 甘寧は場に出ている料理に素直な感想を告げた。
 白米と麦の混合飯、焼いた牛肉、大根と人参と大豆の煮物、野菜の塩漬け、そしてたくあん。

「兵の士気を高めるには美味い飯であることは勿論、兵を餓えさせないことが何よりも肝心よ。この料理は兵達も一緒なの」

 高順は胸を張ってそう言った。
 当たり前のことだが、糧食に関してはどこの諸侯軍も運びやすく保存が効きやすいものが何よりも優先されている。
 そして、その兵食の献立は白米の飯に主菜と副菜が1点ずつつくだけであった。
 おまけにそれらは全てお代わり不可。
 とりあえず餓えないという程度でしかない。
 孫策らは勿論、甘寧も兵食よりは良いものを食べている、食べられる身分だ。
 
 そんな、ある種の不公平な状態にも関わらず、彼女らに兵達がついていき、かつその練度も高いのはひとえに、将の能力が高く、かつ魅力のある人物であることが窺い知れる。

「……これを一般の兵士も食べているの?」

 孫策は信じられない、といった顔で問いかける。
 それに対し、高順が答える。

「当然よ。ちなみに酒も1人3杯までは糧食の一つとして出るから」
「兵にも?」
「兵にも」

 どうだ、とどや顔の高順に対し、孫策は暫し唸った後、バッと周瑜へと顔を向ける。

「ウチも改善しましょう」
「……どこにそんな金があるのよ」

 周瑜の切実な言葉に孫策は言葉に詰まる。
 今回の戦でもはや財政は真っ赤っかである。
 とてもではないが、今から糧食改善をする為の金はない。

「しかし、姉様。まずは味をみないことには……」

 そんな姉に溜息を吐きつつも、孫権は提案する。
 彼女の提案に孫策はすぐに乗り、不敵な笑みを浮かべ、高順を見る。

「そうよ、味が悪ければ士気なんて上がらないわ」
「どうぞどうぞ」

 笑みを浮かべ、料理を指す高順に孫策らはまず主菜である牛肉へと箸をのばした。
 中々に量が多い。
 戦闘で疲弊した兵達もこれなら元気一杯になるだろうなぁ、と各々が同じようなことを思いつつ、口へと運んだ。

 ほのかに広がる酒の匂い、そして程良い塩加減。

「……何これ普通に美味しい」

 そう言い、孫策は先ほどの張りあいなど忘れ、牛肉を次々と口の中へ。

「酒で臭みを消し、味付けは少量の塩……ありふれたものだが、まさか戦場で食べられるとは……」

 そんなことを呟きつつも孫策と同じように食べる周瑜。

「ご飯と合うわ。こっちの煮物も美味しいし」

 既に孫権は牛肉だけではなく、あちこちに箸を伸ばしていた。
 甘寧は元々の性分か、黙々と箸を動かし、美味しいという表現なのかこくこくと数度頷いている。

「料理が上手い者は戦場には出さないで、炊事をやらせているのよ。献立も日替わりよ」
「高順殿から既に一つ、学ぶことができました」

 ありがとうございます、と箸を止めて頭を下げる周瑜に高順は気分良く、自分の分へと箸を伸ばす。
 こうして比較的和やかな雰囲気で昼食会は進んだ。


 その後は酒が3杯という制限があるものの、振舞われた。
 それに孫策らは気を良くし、高順らと交流を深めたのだった。