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悪魔も万能ではない

「あれ?」

 視察から戻ってきたアシュレイは首を傾げた。
 いつもならいの一番に自分を出迎えるリリスがやってこないからだ。
 リリスにどこか似ている淫魔の姿が代わりにある。
 アシュレイは頭の中から彼女の名前を探しつつ、何かあったの、とテレジアに視線で問いかける。

「アシュ様、その件についてはこちらの者から……」

 そう言ってテレジアは口を閉じた。
 アシュタロスは興味津々といった風で静観している。

「アシュ様」

 その淫魔はアシュレイの前に膝まずき、頭を垂れる。

「あなたは確か、リリムね。リリスの娘の」

 アシュレイの言葉にリリムは思わず顔を上げた。
 その表情は驚き、ついで歓喜へと変わる。

「覚えていてくださいましたか……」
「勿論。私、淫魔全員の名前と顔を覚えているわ。で、リリスに何かあったの?」

 アシュレイの問いにリリムは重々しく頷く。

「実は我が母、リリスはアシュ様のモノに不満を感じるようになったのか……よりたくさんの者と交わろうと、人間界へ……」

 いけしゃあしゃあとそんなことを言うリリム。
 対するアシュレイははてな、と首を傾げる。

「おかしいわね……人間なんかよりも私の方が濃いし、量が多いし、魔力もたっぷりなんだけども」

 リリムに探るような視線を向けるアシュレイ。

「お言葉ですが……毎日、同じ食事を続けていれば飽きてしまいます」

 リリムの言葉に確かに、とアシュレイは頷く。
 その様子にリリムはもう一押しだ、と思いつつ、さらに言葉を続ける。

「そこで提案がございます。しばらく、リリスは好きなようにさせておいて、私共のお相手をして欲しいのです。アシュ様も毎日リリスの体を味わっていてはさすがに面白みがなくなるかと存じ上げます」

 なるほど、とアシュレイは頷いた。
 どう転んでもリリスは自分から離れることはない。ならば、マンネリとならない為にもこういうのは悪くはない――そう考えた彼女はゆっくりと口を開いた。

「それもそうね。しばらくはそうしましょう。とりあえずリリム」

 アシュレイは名を呼び、リリムの頬に手を当てる。

「色々と教えてくれたお礼として、あなたには毎日やってあげる。リリスと同じようにね……」

 リリムは予想外のご褒美に歓喜の表情を浮かべる。
 しかし、母親と同じ轍を踏まぬように予防策を張っておく。

「アシュ様、できれば他の淫魔達も同時にお相手してください。そうすれば多くの淫魔が満足できます」
「ええ、いいわ。でも、とりあえず、今からあなたをじっくりと味見したいわね」
「はい、アシュ様……!」

 そう言って、アシュレイとリリムはそそくさとアシュレイの部屋へと向かった。
 後に残されたアシュタロスはテレジアに告げる。


「中々、面白い試みだな」

 その言葉にテレジアは背筋に冷たいものが走る。

「ああ、安心したまえ。私はバラしたりはしない。私も退屈でね」

 くっくっくとアシュタロスは笑う。

「もし、これからもそういうことをするなら、私が監視をつけていることを忘れないことだ」

 そう告げて、彼はその場を後にした。
 後に残されたテレジアは思案する。
 もし、アシュ様にバレたらどんな恐ろしいことになるか……

 言うまでもなく、今のアシュレイはテレジア、シルヴィア、ベアトリクスが3人まとめてかかっても、返り討ちにできる程に強大化している。
 主が強くなれば使い魔も強くなるのであるが、それでもその強さの上昇率は主の方が遥かに大きい。

 ちょっとした嫉妬が大変なことを引き起こしそうで、今更ながらにテレジアは後悔した。
 彼女にとって、否、使い魔にとってもっとも悲痛なことは主の役に立てなくなることだ。
 今回の一件で使い魔失格として処分されては目も当てられない。

「……アシュ様の喜びこそが全てにおいて優先される」

 その呟きは虚空に消える。
 真実を明かしてしまうべきか、早くも真剣に考え始めたテレジアであった。











「あしゅさまぁ……」

 蕩けた表情でリリムはアシュレイに縋りつき、その体をついばむように口づけをしていく。
 そんなリリムを満足そうな顔で見つめるアシュレイ。
 言うまでもないが、リリス以外の淫魔でリリスと同じくらいにやられたのはリリムが初めて。
 そういうわけで、リリムはあまりの良さから「もうどうにでもして」というような状態になってしまっていた。

「これでいいの……これでね」

 そんな風に呟くアシュレイにリリムは耳元で囁く。

「あしゅさま、わたしをずーっとあしゅさまのものにしてください」

 荒い息遣いに紛れ、リリムの口から零れ出たそんな言葉。
 どういうことなの、と言ってきた本人に問いかけるべく、簡単な精神安定魔法を掛けてみる。
 呼吸がやや穏やかになり、瞳にある程度の理性の光が灯ったところでアシュレイは問いかける。

「どういうことなの?」
「誓約……ギアスです。私をあなたに縛ってください」

 それだけでアシュレイは理解できた。
 基本的に滅多なことでは悪魔は他の悪魔にそんなことを持ちかけない。
 いや、悪魔でなくとも普通はそんなことを言い出さない。
 ギアスにより魂魄レベルで相手に縛られてしまうからだ。

「どうして?」
「……アシュ様が素敵だから……」

 顔をやや俯かせ、小さな声で恥ずかしそうにリリムは言った。
 その仕草がアシュレイにはたまらない。

「そういえば……リリスはそんなこと言ってこなかったわね……」

 私じゃダメだったのかしら、と僅かな不安に襲われる。
 リリスは抱えた疑問から、無意識的に遠慮し、そう言い出さなかっただけなのであるが、彼女の疑問を知らないアシュレイの不安はもっともなもの。

 そして、リリムはその言葉を見逃さなかった。

「おそらく、アシュ様の不安の通りです。淫魔であるなら、誰でもアシュ様に先ほどのように抱かれればギアスを申し出るに違いありません」
「……そう」

 しょんぼりと肩を落とすアシュレイをリリムは優しく抱きしめる。

「私達がついております。裏切り者のリリスを除けば全ての淫魔はあなたのものです」
「そう……ありがとう」

 そう言い、リリムの頭を撫でるアシュレイ。
 その心地良さと予想以上の順調さにリリムは顔を綻ばせる。
 次の、アシュレイの言葉が出るまでは。

「踏ん切りをつけるために一度、リリスを見ておきたいわ」

 リリムはその言葉を理解するのに数秒の時間を要し、そしてそれへの対策をさらに数秒かけて考え出した。

「畏まりました。ですが、おそらくアシュ様の御心に多大な損失を与えてしまうかもしれません……」
「構わないわ」
「畏まりました。私からテレジア様にそう伝えておきます。アシュ様、見つけるには時間が掛かります。それまでの間、他の淫魔達に御慈悲をお与えください」
「ええ……そうするわ」

 リリス追跡機という便利なものがあったのだが、アシュレイはその存在をすっかりと忘れていた。
 もっとも、アシュタロスが中立というよりか、ややリリム側なので適当な理由をつけて使わせなかっただろうが。

 そのとき、扉がノックされる。
 アシュレイが許可を出すと、十数人の見目麗しい淫魔達が部屋に入ってきた。
 誰もが期待に目を輝かせている。

「アシュ様、お願いします」

 リリムの言葉を受け、アシュレイはただ頷いた。












「時間稼ぎを行わねばなりません」

 リリムはテレジアを見つけ出し、開口一番そう告げた。
 その要件を悟ったテレジアは微かに頷きつつも、その胸中の不安を打ち明ける。

「私は怖い。今回の一件でアシュ様に処分されてしまうのではないか、と……」

 テレジアは知っている。
 アシュレイは普段は見た目相応の少女のように振舞っているが、敵には容赦の欠片もないことを。
 今まで裏切り者はいないが、もし出た場合、泣いて懇願しても、アシュレイは嘲笑を浮かべて処分する可能性が非常に高い。

「私は別に死ぬこと自体は……そう、転生すらできない魂魄レベルでのロストすらも怖くはない。ただ、アシュ様に失望され、捨てられることが怖い」

 自分の身を両手で抱くテレジア。
 見た目相応の少女のよう。

「大丈夫です。泥は全て私に押し付けてくださって結構」

 リリムの言葉にテレジアは目を見開く。
 そんな彼女にリリムは微笑む。

「私達の不満なんて、アシュ様の御心に比べたら塵に等しい……あの御方のお気に入りに手を出す、と決めた以上、覚悟はできています」

 テレジアは思わず彼女に問いかける。

「なぜ、お前はそこまで?」
「淫魔として母親に負けたくなかったからですよ。あなた達は使い魔といえど悪魔ですから、淫魔なんて下賤で矮小な種族と思うかもしれませんが、これでも淫魔なりの矜持がありますから……」

 アシュレイのお気に入りになって以降、日に日に強くなるリリスの魔力、そして身に纏う淫気に他の淫魔達は嫉妬した。
 リリスの淫魔としての格が急激に上がっているからだ。
 中でも、娘であるリリムは嫉妬の度合が大きかった。
 故に彼女は淫魔としてのプライドにかけて、リリスを蹴落そうと策を実行した。

 力が強いものに対して、弱いものは逆らわない……これは地獄の大前提であるが、淫魔のような非戦闘系種族においては例外だ。
 未来のリリスのように、他の淫魔と隔絶した力を持っているなら地獄の前提となる法則が当て嵌まるが、今のリリスは他の淫魔達よりも少しだけ力を持っている程度。
 それならば下克上は十分にありえることであった。

「我々はお前達が来てから、アシュ様が我々に構ってくれる時間が減ったと嘆いていた。それは今も変わらない。お前達にも事情があるように、こちらにも事情がある」

 そこまで告げて、テレジアは一度言葉を切り、リリムの瞳をまっすぐに見据えた。

「ここら辺で妥協点を探そうと思う。アシュ様が求めたときは除いて、だ」
「問題ありません。それに……我々としてはテレジア様も立派なモノをお持ちですし、シルヴィア様やベアトリクス様も良い、と思っておりますので……」

 基本、淫魔も例に洩れず両性具有だ。
 サッキュバスが女のときの名称であり、インキュバスが男のときのものである。
 勿論、女のときに生やすこともできるが、これはどうでもいいことだ。

「それならばアシュ様が構ってくれないときはお前達で鬱憤を晴らすとしよう」
「存分に使ってください。それが我々の栄養ですので。アシュ様が構ってくれないときは我々もそうさせてもらいます」

 こうして使い魔側と淫魔側で妥協点が見つけられたのであった。
 ただ淫魔側は良いとして、使い魔側は問題点を抱えている。
 シルヴィアとベアトリクスの説得だ。
 シルヴィアはまだいいが、ベアトリクスは淫魔達が求めてこようがアシュレイ以外に体を許したりはしない。
 彼女は妙に生真面目で堅物であった。

 テレジアはどうやってベアトリクスを説き伏せようか、と思案するが、ひどく簡単な解決方法があった。

「……我々とそちらの摩擦はアシュ様に普通にお伝えしても、よかったのではないか?」
「……」

 その言葉にリリムも無言になる。
 テレジアはそんな彼女にさらに言葉を続ける。

「淫魔達のリリスに対する不満も、アシュ様に直訴すればよかったのではないか? アシュ様は暗愚ではない」
「……私って、もしかしてバカ?」
「……聞かなかったことにしておくから、適当に自己正当化の理由を考えておけ」

 悪魔でも間違いは犯すらしかった。