Categotry Archives: 第3章 悪魔の戯れ

堕ちた乙女


 夜の草原を少女は歩いていた。
 今年で13となった彼女はこれが夢である、と朧気ながら気がついていた。
 彼女の記憶は確かに自室のベッドで寝たところで途切れているからだ。

 にも関わらず、彼女が足を動かしているのは何となく引かれるような、そんな感じがするからだ。
 白く輝く月の下、黙々と歩みを進める少女はやがて草原の中に聳え立つ城を見つけた。
 その城は彼女が見たこともない程に荘厳であった。


 少女を招き入れるように巨大な城門が音も無く開いていく。
 どうせ夢だから、と好奇心旺盛に彼女は足を踏み入れた。


 城の中は誰もおらず、静寂が支配している。
 延々と一本道の廊下が続き、城門から1時間程歩いたところでようやく扉に突き当たった。
 その扉は意匠を凝らしたものであり、少女は見蕩れてしまう。

「……?」

 彼女は扉の上の方に見慣れぬ紋章を見つけた。
 妙に惹きつけられるその紋章であったが、彼女は触れたりしなかった。
 何故ならば、城門と同じようにその扉もまたゆっくりと開いたからだ。

 少女は扉の中へと足を踏み入れる。



 そこは玉座の間であった。
 塵一つ無く、綺麗に磨かれた大理石の床、天井には水晶で造られた大きなシャンデリアが幾つもあり、また壁には何かの戦いを描いたものだろう、壮大な壁画があった。
 しかし、少女はそれらに目を向けることはなかった。

 なぜならば、玉座に座っていた存在に目を奪われていたからだった。
 艶やかな黒髪は長く、雪のように白い肌、特徴的な紅い瞳。
 何よりも、その背から生えている黒い翼。

 玉座に座る少女が手招きすれば、ふらふらと足を踏み入れた少女は歩み寄ってしまう。

「ジャンヌ、あなたの村にイングランド軍が向かっている。あなたの村は1ヶ月後に襲撃を受け、あなたの家族が死ぬ」
「え……」

 少女――ジャンヌは掛けられた言葉に唖然とした。
 そんな彼女を玉座の少女は更に言葉を紡ぐ。

「逃げなさい。家族を連れて逃げなさい。私はあなたに死んで欲しくない。神の操り人形にさせたくはない。あなたは村が襲われた後に啓示を受け、その後、フランス軍の英雄となる。だが、最後の最後で神は裏切る」

 ジャンヌの視界が霞んでいく。
 夢から覚めるのだ、と彼女は直感的に悟り、叫んだ。

「待ってください! あなたはいったい!」
「私は神の敵対者。だけど、あなたの味方。私はあなたを死なせたくない」

 そこでジャンヌの意識は途絶えた。







 翌朝、目が覚めたジャンヌはハッキリと夢のことを覚えていた。
 だが、彼女はどうにも信じることができなかった。
 神の敵対者――すなわち、夢の中の少女は悪魔であると。
 敬虔なクリスチャンである両親から教育を受けた彼女は悪魔の言葉を一方的に信じることはできなかった。




 そして、それから1ヶ月後、ジャンヌは後悔することとなった。
 夢の中で少女が言った通りになったのだから。











「ジャンヌ・ダルクか……使えるのか?」

 空中に投影された大型スクリーン。
 そこに映るのはフランス軍の旗持ちとして奮闘するジャンヌの姿。

 問いかけた者はソファに寝そべり、クッキーを齧りながら紅茶を飲んでいる。

「使える……というよりも、私の個人的趣味なんだけどね」

 答えた方も同じような格好であり、ソファに寝そべり、時折床で丸まっている金色の狐の背中を撫でている。

「お前が直々に行ったそうじゃないか。地獄の大魔王様がな……え? アシュ様?」
「いいじゃないのエヴァ」

 ちゃかすように言うエヴァンジェリンにアシュレイはぶーっと頬を膨らませる。
 彼女の配下達が聞いたらけしからん、と怒るところだが、アシュレイ本人がエヴァンジェリンにこういう砕けた口調を許しているので文句を言えない。

「当初はフェネクスを派遣して、ミカエルも実は堕天しているんだとかやろうと思ったんだけど」

 そう言うアシュレイにエヴァンジェリンは続けるよう促す。

「ジャンヌへの説明が面倒になるから止めた。私に話しかけたミカエル様が本物で、目の前のミカエルは偽物だとか言われたらスムーズにいかなくなるもの」

 確かに、とエヴァンジェリンは頷く。
 彼女としても神界や魔界の事情は慣れたとは言い難い。

「で、ジャンヌが使えるかどうかだけど……ぶっちゃけた話、これから先、色んな連中が出てくると思うけど、私どころかあなたを派遣すれば全て事足りる」
「道理だな」

 世界が介入とか神族とか上位悪魔とかそういった連中が介入しなければ魔法世界も含めて人間界で最強はエヴァンジェリンである。
 正直なところ、エヴァンジェリン1人いれば大抵の戦闘に対処ができる。
 アシュレイは勿論、その配下の上位悪魔連中も滅多に出番がない、というのが実情だ。
 勿論、デタントのおかげで人間界での戦闘行為は面倒臭いことになる、というのもある。

 ちなみに、人間界へ行く際には上位神魔族は制限を設けよう、という動きがかつてあったが、それはさすがに嫌だ、とアシュレイが帝釈天と組んで叩き潰した。
 妙なところで連携を発揮した2人にとっては何で自分の力をわざわざ抑えてやらねばならないのか、とそういった理由だ。
 これに同調する者は魔族は勿論、神族の武闘派にも多かった。

「しばらくは表立って動かない、と言うことだが……実際にどれくらいだ?」
「500年くらいはのんびりとするわ」

 アシュレイは第一次・第二次の両大戦で人間の魂を多く得なければならないので、この両大戦には介入する。

「500年か……短いな……あっという間だ」

 エヴァンジェリンはそう呟き、紅茶を飲み干す。

「あっという間ね。日々、女の子とイチャイチャしてるだけであっという間に100年くらい経ってるわ」
「……自堕落なのは知っているが、もう少し何とかしてもいいと思うぞ?」
「ハルマゲドンで頑張ったから、もう永遠に怠惰でいいと思うの」
「アシュタロスは怠惰を司っていたんだっけかな……」
「それも一説として人間界ではあるみたいね。怠惰はベルフェゴールよ。私はあくまで恐怖。誰かが恐怖を抱き続ける限り、私は滅びぬ。何度でも蘇るさ。恐怖こそが全ての根源なのだ」

 随分といい加減なことを言っているアシュレイにエヴァンジェリンは溜息を吐く。
 彼女としても、アシュレイがはっちゃける気持ちが最近、良く分かってきた。

 永遠の命とはそれほどまでに退屈なものだ。
 どれだけ勉強し、力をつけようとも時間は無限。
 無限の時間をそれだけに費やすのは退屈ではないが、つまらない。

 最近では神魔界の間に戦闘以外で少しでも退屈を紛らわせる為、ついでにデタント促進の為とテレビ放送みたいなものが始まり、そこのある番組ではキーやんとサッちゃんが漫才コンビとして出ていたりする。

 それだけ何だかんだ言いながら、皆暇なのであった。



 
 そんなこんなであっという間に時間は過ぎ去り、アシュレイがジャンヌに夢の中で警告してから6年余りの月日が経過した。
 彼女はあれ以来、接触する、ということはせずにただジャンヌを見ていた。
 そして、アシュレイは処刑間近となって再び動いた。








 ジャンヌは牢で項垂れていた。
 あの少女の姿をした悪魔の言った通りに全てが推移し、フランス軍の中では英雄と称されるようになった。
 だが、次第に宮廷で孤立し、この様であった。

 かつて聞こえていた啓示ももはや聞こえない。

 そして、それもまたあの少女の言葉通りであった。
 聖人が、天使が、神が、裏切った。
 そのことは幾ら英雄と称されるとはいえ、19歳の少女には重く、彼女の心を神への敵対心で黒く染め上げるには十分過ぎる程であった。

「神は、天使は、光の存在は我々よりも時として傲慢よ」

 唐突にそのような言葉が牢に響いた。
 その聞き覚えのある声にジャンヌはハッとし、立ち上がる。
 どこだ、と視線を巡らせ……すぐ真横に立っていることに気がついた。
 ジャンヌは戦慄する。
 幾ら旗持ちを好んだとはいえ、多くの戦場をくぐり抜けて来た彼女はそれなりに気配に敏感だ。
 それなのに、彼女に察知されることなく自分の真横……そう、牢の中に立っていたその声の主。
 魔法使いもジャンヌは知っていたが、それでも人外である、と判断するには十分であった。 

「久しぶりね、ジャンヌ」
「あなたは……!」

 ジャンヌににっこりと微笑む少女――アシュレイ。
 彼女はジャンヌが絶句している間に問いかける。

「私はあなたを救いたい。このままではあなたは殺される」

 そう言い、アシュレイは手を差し伸べる。

「私と共に来なさい。あなたはここで死ぬべきではない」

 ジャンヌは悟った。
 きっと目の前の少女はこうしたいが為に警告をわざわざしたのだろう、と。
 自分を味方に引き入れる為に、きっとこんな事態にならないよう、直接介入して自分を助けることができただろうに。

 だが、それについてジャンヌは文句を言うつもりはない。
 悪魔であっても、少女は自分を助ける為に予言をしたことに変わりはないからだ。

 そして、その予言を信じなかったのは他でもない自分である、と。
 信じ、そうしていれば目の前の少女はそれでもおそらくは満足だったのだろう。
 勧誘に来たかもしれないが、それでもハッキリと断れる自信はあった。

 だが、今の自分には選択肢がない。
 味方であった筈の者から魔女扱いされ、神にも裏切られ、味方は目の前の少女を除けばどこにもいない。

 ジャンヌは問う。

「あなたは誰なの?」

 問いに短く、アシュレイは答える。

「恐怖公」

 それに驚き、ジャンヌはまじまじとアシュレイの顔を見つめる。
 聖書などの多くの書物で書かれているアシュタロスの特徴とは似ても似つかぬ容姿なのだ。
 また、耐え難い悪臭を放つとされているが、そんな悪臭はせず、むしろ何だか甘美な、甘い匂いが漂っている。

「私は英雄としてのあなたは勿論、ジャンヌという少女のあなたも欲しい」
「私に選択肢がない、というのも知っていて?」
「あなたがあくまで人間のまま死にたい、というならばそれを尊重する。あなたは私の下に来たならば、後世においてこう書かれる。味方が裏切ったが故に悪魔となった悲劇の英雄、と」

 アシュレイの言葉にジャンヌは告げる。

「私はフランスの為に立ち上がった。だが、味方に裏切られ、ミカエル様や聖女カトリーヌ様、マルグリット様の啓示を受けたものの、その声も、今となってはもう聞こえない。ならば、どうして躊躇う必要があるのだろうか。私が尽くしたフランスはこの程度であった。もはや仕えるに値しない」

 アシュレイは満足そうに頷きつつ、問いかける。

「ジル・ド・レイはどうするの?」
「彼が真に私のことを思い、行動するならば軍隊を率い、私を救い出してくれるだろう。あるいは多くの民衆と共に教会へ抗議するだろう。だが、私が看守から聞いた限りではそのようなことはない」

 ハッキリと言い切ったジャンヌにアシュレイは再び満足そうに頷く。
 そんな彼女の手をジャンヌはしっかりと握った。

「恐怖公よ、私を悪魔にして欲しい。フランスはともかくとして、全ての元凶となった者は滅ぼさねばならない」

 復讐に燃えているジャンヌを止める理由はアシュレイに無く、彼女は笑顔で頷いたのだった。





 アシュレイはジャンヌを魔族化させ、大陸にいたイギリス軍を彼女1人で全て皆殺しにさせた。
 フランス軍や民衆は捕まっている筈のジャンヌが出現し、皆殺しにしたことに畏怖を込め、血塗れの乙女と呼んだ。
 ジャンヌ出現の報を聞いたフランス王であるシャルル7世は自らの無力を嘆き、フランスの復興及びジャンヌの名誉回復を誓った。
 その一方でアシュレイはジャンヌを彼女の家族と別れの挨拶を済ませるよう取り計らった。

 フランスでやることを全てやり終えたジャンヌはアシュレイと共に地獄へと赴いたのであった。


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