Categotry Archives: 第3章 悪魔の戯れ

我が名は……明日菜?

 松平郷を後にしたアシュレイはそのまま地獄に帰ることはせず、どうせならと日本観光を敢行した。
 地獄に帰ったところで暇だからしょうがない。

 この時代の京都に行ってみるのもいい、と思ったアシュレイは早速向かったのだが……







「私、何か悪いことした?」

 目の前にいる見るからに友好的ではない6人の男達にさすがのアシュレイも困惑する。
 彼女はただ京に――それも嵐山付近の目立たぬ森に入っただけだ。
 その際、京都を覆う巨大な結界を抜けて入ったのだが、どうやらそれがまずかったようだ。

 結界を無力化してからの方がよかったかしら、とアシュレイは思うが既に後の祭り。
 そんなことを考えている彼女に1人の男が怒鳴った。


「その出で立ち……物の怪か!」

 化物退治を生業とし、陰陽寮とも関係が深い彼らをしても、見たこともない輩であった。

「失敬な。こうすればいいでしょ」

 角と翼を引っ込めるアシュレイ。
 勿論、そういう問題ではない。

「このっ!」

 1人の男が一瞬でアシュレイの目の前に移動した。
 ほう、と思わず彼女は感心する。

「斬岩剣!」

 振るわれた太刀は狙い過たず彼女の首に当たり……そして、飛んだ。

「へ……?」

 呆気に取られたのは太刀を振るった方、そして彼の仲間。
 何しろ、彼の腕が太刀を持ったまま宙を舞いつつ、そして太刀と共に砕け散った。
 勿論、アシュレイは何もしていない。
 ただ立っていただけだ。

 彼らは人間として見れば凄腕の剣士に分類されるが、そうであるが故にその反動でこういう状況に陥った。

「散開!」

 誰かの言葉に弾かれたように彼らは四方に散り、アシュレイの様子を窺う。
 腕を潰された男はそそくさと退避していったのを彼女は感知した。

「んー……どこからでもかかって来い?」

 彼女の言葉を挑発と受け取った彼らは気を瞬時に練り上げ、その刃に帯電させる。
 その集まるエネルギーにアシュレイは再び感心する。

「さっきの技は瞬動というヤツね。斉天大聖に教えてもらったわ」

 そう言った彼女に答えず、彼らは動いた。
 四方八方から瞬動でもって一気に距離を詰め、その帯電した剣先を勢い良く彼女目がけて振り下ろす。
 膨大なエネルギーがたた1点に集中し、眩い光が周囲を包み込んだ。








 そして光が収まった後、彼らは絶望を目の当たりにした。
 
「真・雷光剣が効かない……だと……」

 誰かが全員の心を代弁した呟いた。
 アシュレイは傷一つ負わず、変わらずにその場に立っていた。

「中々面白い見世物だったわ」

 思わず彼女は拍手してしまう。

「でも、もう無理ね」

 アシュレイがそう告げた瞬間、ピシピシという音。
 彼らの持っていた太刀には無数のヒビが入り、やがて砕け散った。
 それだけには留まらず、彼らの両腕から血しぶきが吹き出す。
 彼らはあまりの苦痛に顔を歪ませ、呻き声を上げる。

「骨も木っ端微塵でしょうから、剣はもう握れないんだけど、面白い物を見せてくれたお礼をしてあげる」

 彼女がそう告げた瞬間、彼らは目を瞬かせた。
 痛みが唐突に消えた。
 彼らはまさか、と思い、手を動かし腕を回してみせるが、全く異常はない。

「治してあげたわ。あと、撤退した彼にはこれを」

 アシュレイは懐から小瓶を取り出し、それを1人の男に投げ渡した。
 無色透明の液体がその中には入っている。

「それはエリクサーっていう万能薬よ。飲めば彼の傷も治る」
「……嘘か?」

 男は小瓶を訝しげに見つつ、アシュレイに問いかける。

「あら、あなた方は知らないのかしら? 人外は嘘をつかない」

 彼は小瓶を懐にしまい、そしてアシュレイを真っ直ぐに見据えて告げる。

「高位の妖とお見受けするが、それでも京に入れるわけにはいかない。早々に立ち去れたし」

 彼らの仕事は京の安寧の為、結界を超えて侵入してきた妖魔を退治することだ。
 これまで全て問答無用で殲滅してきたのだが、さすがに今回ばかりは勝手が違った。
 故に言葉でお帰り願おうという判断だ。

 順序が逆な気がするが、アシュレイがその魔力を極限にまで抑えこんでいるのが原因だ。
 それでも威圧感などはあるが、攻撃を躊躇する程のものでもない。

 また彼女としても、彼らの仕事が妖怪退治であることは容易に想像がついたので、いきなり攻撃を仕掛けてきたことについては何も言わない。
 彼らはあくまで自らの仕事をこなしただけで非難される言われは何もない。

「どうしても駄目?」
「駄目だ。例え貴殿が自らは無害だ、と主張しても何が起こるかわからない」
「それじゃ帰るわ」

 あっさりとアシュレイは引いた。
 無闇にゴネては松平郷の村人達に迷惑が掛かる可能性があるからだ。
 その背に翼、頭に角を生やし、彼女は飛び立ったのだが……








 ここで引き下がるのは魔王としての名が廃る。
 そういうわけでアシュレイは一度結界の外に出た後、自らの知識をフル活用し、自分を侵入者と認識しないよう京都全土を覆う結界を細工した。



 そんなこんなで彼女は京の街に入った。







「何と言うか……あんまり変わらないわね」

 アシュレイは思わず呟いた。
 彼女の記憶にある京都から、現代的な建築物を差っ引いたものがこの時代の京都であった。
 活気に溢れ、人々の顔は明るい。

 アシュレイはふらふらと歩き、やがて市場にやってきた。
 ゴザを敷き、藁の屋根の簡易な店舗がいくつも立ち並んでおり、様々な山菜や作物が並んでいる。

 そして彼女は匂いにつれられて、1つの店の前にやってくる。
 釜で炊かれたご飯のいい匂い。
 並ぶ茶碗の中にはご飯が盛りつけられ、そこに湯が注がれ、その上には梅干が1つ乗っかっている。


「ちょっとこれ頂くわ。お代はこれで」

 アシュレイはどこからともなく金の延べ棒を取り出し、それを店主に渡した。
 渡された方はまさかの代金に吃驚したが、それも僅かな時間。
 すぐに盛りつけられている茶碗と箸をアシュレイへと手渡した。

「いただきます」

 彼女はそう言い、お茶漬けの原形である湯漬けをゆっくりと食べ始めた。








 10分後、お腹もそれなりに膨れたところでアシュレイは散策を再開した。
 のんびりと京都の街を歩き、神社や仏閣を見て回る。
 本来なら悪魔にとって、そういうところは危険なのだが、彼女のような力を持てばそういった悪影響はほとんど無視できる。

 彼女は金閣寺がまだないことに悔しがったり、お稲荷さんの総本山である伏見稲荷大社を見学し、玉藻に稲荷寿司を食べさせてあげようと思ってみたり。
 彼女は当初の目的通りに京都を満喫していた。




 そんな風にあちこち歩いていると、やがて炫毘古社という神社の前に出た。
 石の階段を登った先には無数の鳥居が続いている。

「……何かこの先からたくさんの力を持った人間の気配がするわ。ここが陰陽寮なのかしら」

 アシュレイは嫌な予感がしたので、そそくさとその場を後にした。







 そして、そこから程近い場所で彼女は呼び止められた。
 着物を着た若い女に。

「あんさん、異国の方かいな? こんな辺鄙なところによう来はりましたな」

 艶やかな長い黒髪を一つに纏めており、その顔は十分に美人と呼べるものであった。

「ええ、そうよ。ちょっと観光にね」

 アシュレイの言葉になるほど、と女は頷く。
 瞬間、眼光を鋭くし告げた。

「なら、その角と翼は何や? 異国のモンであっても、角や翼は生えておらんはずや」

 アシュレイは感心した。
 今の彼女は翼も角もしまった状態であり、見た目はただの14歳の少女にしか見えない。
 女は魔王であるアシュレイの隠蔽を見破ったのだ。

「ウチらの家系は陰陽師の中でも優秀でなぁ……バケモンを見破る術は京で一番や」
「そう、それは凄いわ。さっきの退魔師達といい、この時代の日本は凄いヤツが多いのね」
「退魔師……? もしかしてそれは太刀を使う連中やったか?」
「真・雷光剣とか斬岩剣とか言ってたけど」

 女は僅かに後ずさりした。

「もしかして……あんさん、結界を無理矢理破って、その後出てった妖か?」
「そうよ」
「……逃げてええか?」

 女は数時間前、結界を無理矢理こじ開けて入ってきた妖怪が、水際で食い止められなかった場合に備え、街の警邏をしていたのだ。
 どうにか追い返したという伝令を聞き、陰陽寮に戻ってきた矢先にアシュレイを発見し、今に至っていた。

「知らないのかしら? 魔王からは逃げられない」
「魔王って何やねん……ちゅーか、真・雷光剣を喰らって生きとる妖魔って……」
「で、もう行っていいかしら?」

 アシュレイの言葉に「駄目や」と告げる女。
 だが、ここで応援を呼んでも目の前の化物を倒せるとは到底思えない。
 故に彼女は駄目元で、ある提案をすることにした。

「なぁ、あんさんの目的は人間を殺したり食べに来たんか?」
「違うわ。ただの観光よ。人外は嘘をつかない」
「観光なら案内が必要やと思うねん」

 アシュレイは話の展開が読めた。
 見張り役として自分を同行させろ、とそういうものだ、と。

 だが、女の提案はその斜め上を行った。

「ウチは陰陽師で鬼とかそういうのを使役するんやけど……あんさん、ウチに使役されへんか?」
「……は?」

 アシュレイは間の抜けた顔を披露した。

「いやな、どう見ても人間に倒せそうにあらへん。ウチはさっきも言ったように、見破ることに関しては京で一番や。神鳴流剣士もそのことに関してはウチには敵わへん。ともかく、あんさんと戦うのは愚の骨頂やと思うねん」

 そう言う女にアシュレイはどうしたものか、と考える。
 別に彼女としては使役されるのもやぶさかではない。
 暇つぶしにそういうのも悪くはない。

「ウチの使役鬼……式神って言うねんけど、それになってもらえば陰陽師も神鳴流も手を出せへん。ゆっくりと京を観光できると思うんよ」
「なってもいいけど、条件があるわ」
「何でも言うてみ。ウチにできることなら何でもするわ」
「あなたを抱かせなさい。もっと直接的に言えば夜伽」

 途端に女の顔が真っ赤になった。
 随分と初心なのね、とアシュレイはくすくすと笑う。

「あんさん女やろ!?」
「人外だもの。何でもあり。私は女でもあり男でもあるわ」
「……両性具有っちゅーやつか」

 そうよ、とアシュレイは頷き、ついで問いかける。

「私を使役したいならそれが条件よ。私が好きなときにあなたを抱く権利。あとはおまけとして衣食住も用意してくれると嬉しいわね」
「……実質的に2つの条件やないか」
「そうよ。何か問題でも?」

 何食わぬ顔でそう言うアシュレイに盛大な溜息を吐く女。
 彼女は拒否することなんぞできない。
 ここでアシュレイを見逃せばどんなことになるか、想像もつかないからだ。

「それでええわ……やけど、その、初めてやから……そうするときは優しくしてな……?」

 伏し目がちでそう言ってくる女にアシュレイは満面の笑みで頷く。
 そして、彼女は女に尋ねる。

「さっさとやりましょう。どうやるの?」
「簡単や」

 女は地面に陣を描き、ついでそこの中心部に血を垂らす。

「あんさんの名前とウチの名前を言い合って、あんさんがウチに使役される言うてくれたらもう終わりや」
「本当に簡単ね」

 せやろ、と女は言い、そして自らの名前を告げた。

「我が名は天ヶ崎千奈。彼の者を我が式神とせん」

 陣が淡く発光する。
 アシュレイは意識的に張り巡らせている呪圏を全て解除し、女――千奈に警告した。

「私の名前、言霊がいくかもしれないから注意してね。陰陽師とかなら大丈夫だとは思うけど」

 その警告に千奈は頷く。
 それを確認したアシュレイは告げた。

「我が名はアシュタロス。地獄の魔王なり。天ヶ崎千奈に我が力を貸すことをここに誓おう」

 瞬間、アシュレイは自らの魂が鎖で拘束されたのを感じた。
 それは彼女からすれば非常に弱々しいものであり、その気になれば一瞬で解けてしまう程度のものだ。
 だが、彼女は破ったりはしない。
 自分で条件付きで従うと決めたのに、それを自分で破るのは魔王の沽券に関わる。

「あしゅたろす? 知らん名前や……地獄にそんなヤツおったかな……」

 千奈が首を傾げてしまうのも無理はない。
 この時代の日本にはキリスト教はまだ伝わっていないからだ。

「ま、とにかく凄く強いって思っててくれればいいわ。改めてよろしくね、千奈」
「よろしゅうな、明日菜」
「……何それ」

 全く違う名前にアシュレイはジト目で彼女を見つめる。

「あしゅたろすやと言い難いんや。やから、頭文字とって、ついで女の子らしく可愛い文字を加えたんやけど」
「あしゅな、アスナ、明日菜ね……まあ、好きにすればいいんじゃないかしら」
「ほな明日菜。早速、陰陽頭に報告や。あと神鳴流にも伝えなあかんな……」


 やることがいっぱいでげんなりする千奈とこういうのも悪くないか、と思うアシュレイであった。